王への報告
それから数日、兵士たちによる裏取りが進められた。
別々に尋問された二人の下っ端は、リーダー格の証言と、大筋で食い違いはなかった。ただ一点――「研究者本人の正体は誰も知らない」という部分だけは、三人とも判で押したように口を揃えていた。
「――これに関しちゃ、嘘をついてる感じでもなさそうだな」
報告を受けたルークは、そう結論づけた。徹底した秘匿主義なのか、あるいは本当に末端には知らされない体制なのか。どちらにせよ、これ以上の追及は、この場では難しそうだった。
(――結局、名前も、顔も、分からないままか)
この時のルークには、逃げた張本人が何者なのか、知る由もなかった。
一連の報告は、程なくして王ライオネルの耳にも届けられた。
謁見の間に呼び出されたルークとガロンは、玉座に座す王と緊張の面持ちで向き合っていた。
「――此度のこと、大儀であった」
ライオネルの声は、いつもと変わらず落ち着いていた。だが、その奥に隠しきれない重さが滲んでいるのが分かった。
「――他国の者が、我が国の民を、あのような形で狩っていた。看過できる話ではない」
「――どうなさるおつもりで?」
ルークの問いに、ライオネルは、しばし沈黙した。
「――正直に言おう。表立って抗議したところで、国力の差は歴然としている。下手に事を荒立てれば、それこそ相手の思う壺だ」
その言葉に、ルークの中で、以前感じた予感が、確かな形を持って蘇った。
(――やっぱり、そうなるのか)
個としての強さと、国としての脆さ。この国が抱える構造的な弱さは、王をもってしても覆せるものではなかった。
「――だが、指を咥えて見ているつもりもない。国境の警備は強化する。各部族長にも、通過儀礼で旅立つ若者の把握を、これまで以上に徹底するよう通達を出そう」
小さくとも、できることから。ライオネルの声には、そんな覚悟が滲んでいた。
「――ところで、お前たちは、この先も旅を続けるのだろう」
「――まあ、そのつもりです」
「――ならば、一つ頼まれてはくれぬか」
ライオネルが目配せすると、側近が、封蝋を施した一通の書状を恭しく差し出した。
「――東の森に住まう、エルフの長老に宛てた書状だ。帝国の手が、我が国だけに留まるとは限らぬ。彼の地にも、警告を届けておきたい」
「――俺たちで、いいんですか」
「――大祭での戦いは、この目で見ていた。お前たちなら、信用できる」
淡々とした口調だったが、その言葉には、確かな重みがあった。
「――エルフは古く、保守的な種族だ。容易く他種族に扉を開かぬ。だが、この書状があれば、少なくとも話は聞いてもらえよう。ただし、森の奥まで通れる保証はできぬ。そこから先は、お前たち自身の言葉で、信を得るほかない」
「――分かりました。確かにお預かりします」
ルークは、両手で書状を受け取った。ずしりと、紙以上の重みを感じた。
(――エルフ、か。バロメアで見かけたけど接した事はないな。めちゃくちゃプライド高いとか無いと良いけど。)
ファンタジーの定番とも言える種族の名に場違いな高揚が、ほんの少しだけ顔を出す。それと同時に回復役のいないパーティーのことも、頭をよぎった。森の民なら毒消しや傷薬の類にも、詳しいかもしれない。
「――此度の働き、真に助かった。特に――」
視線が、ガロンへと向けられた。
「――お前の兄のこと、力になれず済まぬ」
その一言に、ガロンは、一瞬息を詰まらせた。
「――……いえ。今は、まだ何も分からねえだけです。諦めたわけじゃ、ねえんで」
「――そうか。その心意気、忘れるな」
静かな激励だった。ガロンは、深く頭を下げた。
謁見を終え、王城を後にしながら、ルークはガロンの横顔を見やった。
「――大丈夫か」
「――ああ。むしろ、はっきりしたよ」
ガロンは、前を見据えたまま、静かに答えた。
「――おでは、これからも、探し続ける。兄貴のこと。それに、こういうことが二度と起きねえようにするための、力もな」
その声に、迷いはなかった。ルークは、小さく頷くと、その肩を軽く叩いた。
「――なら、一緒に探そうぜ」
二人の間に、確かな絆が結ばれた瞬間だった。
出立の朝、ルークとガロンは、世話になった面々に別れを告げていた。
集合場所に現れたガロンの姿に、ルークは思わず目を見張った。
背中には、身の丈ほどもある大楯。腰には、無骨な鉄のメイスが吊られている。
「――おいおい、どうしたんだよ、それ」
「――レオニスの鍛冶屋で、新調したんだ。大会は素手限定だったから出せなかったけどよ、おで、本当は素手だけじゃ守りきれねえって、思い知らされたからな」
ガロンは照れくさそうに、大楯の縁を拳で叩いた。重い金属音が、朝の空気に響く。
「――タンクなら、盾は要るだろ。殴るのは、これで十分だしな」
「――違いねえ」
館で目にした光景が、その決意の背景にあることは、言うまでもなかった。ルークは、それ以上は何も言わず、相棒の背を軽く叩いた。
そんなやり取りを、少し離れたところから見ていたロイが、感心したように目を丸くしていた。
「――もう行ってしまうんですね」
寂しげに呟くロイが、包帯の取れたばかりの拳を握りしめていた。
「――色々世話になったな、ロイ」
「――こっちこそ、です。ルークさんのおかげで、少しは、前に進めた気がします」
少し離れたところで、リゼが腕を組んだまま、こちらを見ていた。
「――リゼも、元気でな」
「――ん。旅、気をつけなよ」
素っ気ない言葉だったが、その目には、確かな親しみが浮かんでいた。ロイとリゼの関係が、この先どうなっていくのかまでは分からない。それでも、二人の間に芽生えた何かは、確かに本物だった。
(――あとは、お前ら次第だな)
ルークは、それ以上口を出すことなく、静かに見守ることにした。
街道を歩き始めてしばらく、ルークたちの横を、豪奢な装飾を施した馬車の一団が通り過ぎていった。
「――お、あれは?」
「――大祭に呼ばれてた、他国の要人だろ。聖国の紋章だな、あれは」
馬車の窓に、ふと目をやったその時だった。
窓の奥、白を基調とした衣に身を包んだ一人の少女と、一瞬だけ視線が交わった。
それは、本当に一瞬の出来事だった。少女は、すぐに視線を逸らし、馬車は何事もなかったかのように走り去っていく。
(――今の、誰だ……?)
言葉にできない、奇妙な感覚だけが、胸の奥に残った。特別な何かがあったわけではない。それでも、なぜか目を離せなかった、そんな一瞬だった。
「――どうした、ルーク」
「――いや……なんでもねえ」
軽く首を振ると、ルークは再び前を向いた。
振り返れば、既に馬車の姿は、遠く霞んで見えなくなっていた。
レオニスの街並みが、徐々に遠ざかっていく。
振り返ったガロンが、名残惜しそうに目を細めた。
「――色々あったなぁ、この街も」
「――ああ、本当にな」
武闘大会、ロイたちとの出会い、そして密猟の闇――短い滞在の中に、あまりにも多くのことが詰め込まれていた。
「――さて、次はどこに向かう?」
ガロンの問いに、ルークは少し考えて答えた。
「――東だ。王様の頼まれごともあるしな。エルフの森を目指すぜ」
「――エルフかぁ。おで、見たことねえんだなぁ。楽しみだぁ」
無邪気に笑うガロンの隣で、ルークは、さらにその先に思いを巡らせた。東の先は、北東の帝国へと続く道でもある。兄の手がかりも、あの研究者の足取りも、そのどこかで繋がっているかもしれない。
行き先は決まった。それでも、その先に何が待つのかは、誰にも分からない旅路。それでも、隣にはもう一人、頼れる相棒がいる。
二人分の足音を鳴らしながら、ルークとガロンは、新たな地平線へと歩みを進めていった。
――彼らがまだ知らぬ、様々な出会いと因縁を、その先に待たせたままで。




