もぬけの殻
兵士から聞き出した館は森の奥、街道から外れた寂しい場所に建っていた。
外見だけ見れば、どこにでもある古い屋敷だった。だが近づくにつれて漂ってくる鼻を突くような異臭が、その正体を雄弁に物語っていた。
「――くせえな、こりゃ」
ガロンが顔をしかめながら呟いた。
隊長格の兵士を先頭に数人の兵士とルーク、ガロンが館へと踏み込む。玄関の扉は既に半開きのままだった。
「――先に行った奴らがいるみてえだな」
埃や物音の少なさから、既にもぬけの殻であることは、踏み込む前から予感できていた。それでも、目の当たりにした光景は、想像以上のものだった。
薄暗い室内には、割れた硝子瓶や、散乱した書類が至る所に転がっていた。急いで撤収した痕跡が、あちこちに残されている。
「――こいつは……」
奥の部屋に踏み込んだ兵士が絶句したように立ち尽くした。
そこにあったのは目を背けたくなるような光景だった。
壊れた培養槽の中に半ば朽ちかけた獣人の一部。床に転がる摘出されたままの目玉や臓器。壁に立てかけられた解剖台には、まだ乾ききっていない血痕が残っている。
「――うっ……」
流石のガロンも顔を青ざめさせて口元を押さえた。ルークもまた込み上げる嫌悪感を必死に飲み下していた。
(――こいつら、ここまでのことを……)
これまでの旅でも幾つもの惨状を目にしてきたはずだった。だが、この計画的で事務的とすら言える無惨さは、また別種の吐き気を催させた。
散乱した書類に目を通していた兵士の一人が声を上げた。
「――これを見てください。何かの実験記録のようですが……見たこともない術式です」
差し出された紙束には、几帳面な字で、血液や組織の「調和」についての記述が延々と綴られていた。ルークには理解の及ばない、専門的な内容だった。
さらに別の一枚には、走り書きのような文字で、こう記されていた。
『――「屍霊典」も併用する』
(――しれいてん……?)
聞き覚えのない単語だったが、その字面から滲む不穏さに、ルークは眉を顰めた。
視線を巡らせた先、部屋の隅の棚に、細長いガラスの筒が二列に並べられていた。
(――試験管、か? こんなもん、この世界にあるのか)
片方の列には「A」、もう片方には「B」と、雑な字で書かれた紙切れが貼られている。どの筒の底にも、赤黒いものが乾いてこびりついていた。
ルークは、思わず息を呑んだ。
(――A、B。血液型の判定に使う試薬か)
この世界の文字ではない。前世で嫌というほど見慣れた、あの文字だ。
(――血液型なんて概念、この世界にあるはずがねえ。ってことは、これを作った奴は……)
背筋に冷たいものが走った。ここにいたのは、ただの研究者ではない。自分と同じ世界の知識を持つ人間かもしれない。
兵士たちは書類の山に気を取られて、その棚には誰も目を向けていなかった。ルークは何も言わず、胸の奥にその疑念をしまい込んだ。
「――ルーク、こっちも見てくれ」
別の部屋を検めていたガロンが硬い声で呼んだ。駆けつけると、そこには小さな檻がいくつも並んでいた。
空になった檻。だが、その一つに見覚えのある毛並みの塊が僅かに残されていた。
「――これは……」
ガロンが震える手でそれを拾い上げる。
褐色の質の良い体毛。ガロンの故郷の熊族に特有の色合いだった。
「――同じ、色だ」
絞り出すような声だった。
「――でも……何年も前の話だぞ。ここが、その頃からずっとこのままだったなんて、あり得ねえよな」
ガロンの言う通りだった。この館の惨状は決して長年放置されていたものではない。事の起きた時期を思えば、これが兄本人の痕跡だと決めつけるのは早計だった。
「――……分かってる。分かってるけど」
毛並みを握りしめる手が震えていた。
「――同じ色の連中が何人も、何人も、ここに囚われてたってことだろ。兄貴じゃなくたって……うちの村の誰かかもしれねえ」
断定はできない。だが、それでも消えない疑念がガロンの中に重く根を張っているのは明らかだった。ルークはその肩にそっと手を置いた。かける言葉がすぐには見つからなかった。
(――絶対にこの件の元凶を突き止めてやる)
凄惨な現場を前にルークの中で静かな、しかし確かな怒りが燃え上がっていた。




