祠
夕餉を終えた後、エドガーが炉端に座るルークの前に、静かに腰を下ろした。
「村長から話を聞いた。ブルーノが半泣きで帰ってきたそうだな」
責めるというより、確かめるような声だった。
(――さて、なんて言おうか)
「友達がいじめられてたから助けたんだ」などと、いい子ぶった台詞を口にするのは、ルークにとって恥ずかしかった。
「ああ、殴ったよ。あいつ、村長の息子だからって調子に乗っててさ。ちょっとムカついたから、こづいてやっただけだ」
「……こづいた、だけか」
エドガーの眉が、わずかに動く。
「ブルーノは、お前より三つも上だぞ」
「まあ、なんとかなったんだよ」
悪びれずに肩をすくめるルークを、エドガーはしばらく黙って見つめていた。
まだ五つだというのに、毎朝欠かさず畑に出て、小さな体で鍬を振るう真似事を続けてきた息子だった。弱音も吐かず、ただ黙々と土と向き合う姿を、エドガーはずっと見てきた。
(――こいつが、わけもなく人を殴るような子じゃないことくらい、分かってる)
「――理由はどうあれ、力で人を傷つけるのは、褒められたことじゃない。相手が誰であれ、な」
「……分かってるよ」
思ったより真剣な口調に、ルークは少しだけ居心地悪くなって目を逸らした。
しばらく沈黙が流れた後、エドガーは小さく息をついた。
■
真相が明るみに出たのは、数日後のことだった。
夕方、家の戸口にフィンがおずおずと顔を出し、エドガーにあの日の一部始終をたどたどしく語ったのだ。
話を聞き終えたエドガーは、居間の隅で素知らぬ顔をしていたルークを、じろりと見やった。
「――こづいた、だけだったか?」
「……悪いかよ」
バツが悪そうにそっぽを向くルークに、エドガーは今度こそこらえきれないというように、豪快に笑い出した。その笑い声には、隠しようのない誇らしさが滲んでいた。
(――勘弁してくれよ)
居たたまれない気分で、ルークは畑仕事の続きでもしてくる、と足早に外へ逃げ出した。
■
メレンド村は、人口百人にも満たない、こぢんまりとした集落だった。教会を中心に木造の家が点在し、周囲を畑と牧草地が囲んでいる。村の外れには小川が流れ、その向こうには、深い森が黒々と横たわっていた。
その森の奥に、村の誰も足を踏み入れない小さな祠があるのだと、以前フィンが声をひそめて教えてくれたことがあった。
「あそこ、絶対近づいちゃダメなんだって。大人たちも近づかないみたい」
「へえ、何があるんだ?」
「知らない。でも、昔からそう言い伝えられてるらしいよ」
その時は、ただの子供の噂話だと思って聞き流した。
——それから、一年が過ぎた。
■
「なあ、本当に行くのか?」
八歳のボブが、声を潜めながら聞いてくる。口では渋りながらも、好奇心を隠しきれない顔をしていた。
「行こうぜ。ちょっと見るだけだって」
言い出したのはルークだった。六歳になったこの年、なぜかその日に限って妙に胸がざわついて、気づけば足が森の方へ向いていた。
「わ、私も行く……」
七歳のアンナが震える声でついてくる。フィンだけはいつものように及び腰だったが、結局は皆と一緒に森へ足を踏み入れた。
木々の合間を縫うように進んでいくと、やがて聞き慣れない音が耳に届いた。獣の唸り声とも、風の音ともつかない、不気味な響き。四人は思わず足を止めた。
「な、なんか変な音しなかった?」
「し、静かに……」
茂みの向こうを覗き込んだルークの目に飛び込んできたのは、朽ちかけた小さな祠と、その前に佇む、猫背で痩せぎすの男の姿だった。
男は祠に張られた見えない何かに指先を這わせながら、抑揚のない声で呟いていた。
「――魔力反応、良好。封印強度も、想定通りだ」
淡々とした言葉が、静まり返った森に溶けていく。
「……間違いない。これで、いいはずだ」
そして、誰に言うでもなく、ぽつりと零す。
「――もう少しだけ、待っていてくれ。イリス」
その時、男の傍らの闇が蠢いた。
そこから、狼の姿をした黒い影が二体、音もなく這い出してくる。
金色に光る四つの目が、ゆっくりとこちらを向いた。
(――やべえ)
ルークの背筋を、冷たいものが駆け抜けた。




