獣化
決勝の舞台に、二つの人影が立っていた。
片や、規格外の巨躯を誇る熊族の戦士。片や、人族でありながら人並み外れた身体能力を持つ旅人。観客席の熱狂は、これまでの試合とは比較にならないほどの高まりを見せていた。
「――負けねえぞ、ルーク!」
「――おう。俺もだ」
審判の合図と共に、両者が同時に地を蹴った。
ガロンの拳が、唸りを上げて振り抜かれる。
(――重い……!)
ルークは辛うじてこれを受け流したが、腕全体に痺れるような衝撃が走った。素の膂力に、闇の魔力による身体強化を重ねてなお、真正面から受け止めれば骨まで軋む一撃だった。
(――さすがだな、こいつは)
ガロンの動きは、巨体からは想像もつかないほど機敏だった。前世の記憶にある熊の生態そのままに、重量を感じさせない俊敏な踏み込みと、圧倒的な瞬発力を併せ持っている。
打ち合いが続く。ルークは意図的に、組み付く動きを避けていた。
(――こいつと組んだら、間違いなく終わる。)
馬鹿正直に力比べに付き合う理由はない。距離を保ち、拳と拳、蹴りと蹴りで応酬する、打撃主体の展開に徹していた。
互いの拳が交差する。ガロンの一撃を紙一重で躱しながら、ルークはカウンターの正拳を叩き込んだ。
「――ぬおっ!?」
巨体がぐらりと揺れる。だが、すぐに体勢を立て直し、ガロンは獰猛な笑みを浮かべた。
「――やるなぁ、ルーク!」
「――そりゃどうも!」
軽口を叩き合いながらも、双方の呼吸は既に荒くなっていた。互角と見えた打ち合いは、しかし、徐々にその均衡を崩し始めていた。
(――くそ、スタミナが……)
連戦の疲労が、じわじわとルークの体を蝕んでいた。対するガロンは、まだ余力を残しているように見える。純粋な体力の総量で、根本的な差があった。
放った蹴りを、ガロンの太い腕がガードする。攻撃が通ってない、効いていないのを感じた。
(――このままじゃ、まずい)
冷静な部分が、そう結論を出していた。技術も、経験も、拮抗している。だがフィジカル(質量の差)、そして残りの体力――このまま純粋な打撃戦を続ければ、押し切られるのは自分の方だ。
(――あの袋、絶対に持って帰るんじゃなかったのかよ、俺)
自分自身を鼓舞するように、心の中で呟く。
(――やるしかねえ、な)
(――幸い、この姿は動物寄りだ。うまく言い訳できりゃ、正体まではバレねえはずだ)
狼を思わせる自分の変身姿を思い浮かべながら、ルークは咄嗟の算段を組み立てていた。
(――「変身」とだけ叫べば、そのまま怪しまれる。だったら、いっそ堂々と、獣人らしい技だと思わせちまえばいい。悪いなガロン、ズルするぜ)
ガロンが、大きく踏み込んできた。渾身の一撃が、唸りを上げて迫る。
その瞬間だった。
「――獣化ァァァッ!!」
ルークは、そう吼えた。
闇の魔力が奔流のように溢れ出し、体を包み込んでいく。二足歩行の狼のような輪郭が、瞬く間に立ち上がった。金色の瞳が、闘技場の照明を受けて妖しく輝く。焦げ茶色の翼、紫がかった鱗の尾――変貌を遂げたその姿に、観客席がどよめいた。
「――な、なんだあれ!?」
「――す、すげえ! あんな変身技があるのか!?」
「――おい、狼族にあんな一族、いたか?」
「知らねえ……珍しい血統か何かじゃねえのか?」
悲鳴に近い驚愕の声が上がる。だが、その響きに、これまでの旅で嫌というほど味わった、恐怖や忌避の色は薄かった。
(――よし、いける!)
狼を思わせる獣の姿に、獣人たちの反応は、人族の街で見せた時とは明らかに違っていた。「化け物」ではなく、あくまで「狼族の珍しい血統」として、興奮混じりに受け止められている。
迫っていたガロンの拳が、驚愕に一瞬固まった。
その隙を、逃す理由はなかった。
変貌したルークは先程までとは比較にならない速度でガロンの拳を弾くと共にガロンの脇腹を捉える。
「――ぐおおっ!?」
巨体が大きくよろめいた。それでも、根本的な頑丈さは、さすがというべきだった。ガロンはすぐに体勢を立て直し、真正面から迎え撃つ構えを取った。
「――化けようが、なんだろうが、関係ねえ!」
叫びと共に、ガロンの拳が唸る。
だが両者の時間軸があまりに違っていた。ルークはこれを躱しながらカウンターを放ち、間髪入れずに逆の拳を叩き込んだ。
次の瞬間には鋭いローキックをいれる。脚を崩させならもガロンはどうにか組もうとして突進するが横に避けたルークが顎先を拳で撃ち抜いた。
巨体がうつ伏せのまま、ドウッと地響きを立てて倒れ込む。
闘技場に、束の間の静寂が落ちた。
「――しょ、勝者、ルーク!」
審判の声が響いた瞬間、観客席が割れんばかりの歓声に包まれた。
変身を解きながら、ルークは息を吐いた。全身に残る疲労と痛みが、これまでの戦いの激しさを物語っていた。
(――勝ったか、、)
地面に倒れたままのガロンに歩み寄る。
「――おい、大丈夫か」
「――いてて……。いや、負けたぁ……」
悔しそうに呻きながらも、ガロンはどこかさっぱりした顔で笑った。
「――強えなぁ、ルーク。それに、あの変身、なんなんだよ」
「――企業秘密だ」
誤魔化すようにそう答えながら、ルークは内心で密かに安堵していた。
(――ギリセーフどころか、思った以上に好感触じゃねえか)
この国でなら、あの姿を見せても、恐れられるどころか、むしろ喝采を浴びる。そのことが、これまでの旅で積み重ねてきた孤独に、小さな光を差し込んでくれるようだった。




