付け焼き刃じゃ足りねえ
その日から、ロイの特訓が始まった。
と言っても、ルークにできることは限られていた。魔力による身体強化は、ロイには使えない。教えられるのは、あくまで技術と、体の使い方だけだった。
「――いいか、大事なのは膂力じゃねえ。重心と、間合いだ」
空き地に引いた円の中で、ルークはロイに向き合っていた。
「お前の体格じゃ、真正面からぶつかり合ったら勝ち目はねえ。だったら、相手の力を受け流して、隙を作る動きを覚えろ」
「――は、はい!」
見よう見まねで構えを取るロイに、ルークは容赦なく仕掛けた。軽く小突く程度の力加減で、それでもロイは何度も地面に転がされた。
「――くっ……!」
「立て。もう一回だ」
土埃にまみれながらも、ロイは歯を食いしばって立ち上がる。その姿に、ルークはふと、かつての自分を重ねていた。
(――あの頃の俺も、こんな感じだったんだろうな)
センスもなく、体格にも恵まれず、それでも諦めきれずに食らいついていた、前世のあの日々。今、目の前でもがいているロイの姿が、記憶の中の自分と重なって見えた。
日が暮れる頃には、ロイはすっかり泥だらけになっていた。それでも、最初に比べれば、受け身の取り方も、体の捌き方も、見違えるほど様になってきていた。
「――今日はここまでにするか」
「あ、ありがとうございました……!」
息も絶え絶えながら、ロイの表情には、確かな手応えが滲んでいた。
特訓を重ねて数日が経った頃、その日は集落の広場で、ちょっとした騒ぎが起きていた。
「――よぉ、ロイちゃんよぉ」
軽薄な声が響く。振り返ると、派手な身なりをした青年が、こちらに歩み寄ってくるところだった。
コヨーテ族特有の鋭い目つき。着崩した服装、やたらと整えられた毛並み。一目で「軽そうな男」だと分かる、独特の空気を纏っていた。
「――ヴィンス」
ロイが、警戒したように呟く。
「聞いたぜぇ? リゼちゃんに粉かけようとして、なんか特訓始めたんだって? 悪いこと言わねえから、やめときなって。無駄な努力ってやつだぜぇ、それ」
へらへらと笑いながら、ヴィンスはロイの肩を小突いた。
「――どうせ大会出たって、俺の相手にもならねえだろうしなぁ? 恥かく前に、諦めときなよ」
(――こいつぁ……)
少し離れた場所でやり取りを見ていたルークの中で、何かがフツフツと沸き立っていた。
(――前世で見た、あのタイプの奴じゃねえか。中身空っぽのくせに、口だけは達者な……)
生理的に受け付けない類の人間だった。
ロイは、俯いたまま何も言い返せずにいた。悔しそうに拳を握りしめる様子に、ヴィンスはますます愉快そうに笑った。
「――まあ、せいぜい頑張んなよ。応援してるからさぁ」
言うだけ言うと、ヴィンスは軽い足取りでその場を去っていった。
残されたロイの肩が、小さく震えていた。
「――くそ……!」
「――ロイ」
ルークが声をかけると、ロイは涙を堪えるように顔を上げた。
「――僕、やっぱり……」
「――今更、弱気になってんじゃねえよ」
ルークは、ロイの肩をぐいと掴んだ。
「あんな軽薄な野郎に、いちいち心折られてどうする。お前が本気だってこと、証明してやろうって話だったろ」
「――でも……」
「付け焼き刃じゃ、確かに足りねえかもな。だったら、もっと積み重ねりゃいい」
真っ直ぐな目で見据えられ、ロイは息を呑んだ。
「――大会まで、まだ時間はある。とことん付き合ってやるから、腹括れ」
その言葉に、ロイの瞳に、再び光が戻ってきた。
「――はい! お願いします!」
深々と頭を下げるロイの姿を見て、ルークは小さく笑った。
(――あの野郎、後で吠え面かかせてやる)
ヴィンスへの苛立ちを密かに燃料にしながら、ルークはロイの特訓に、これまで以上の熱を入れることを心に決めていた。
「――あんにゃろ、また余計なことしてんじゃん」
不意にかけられた声に、ロイがびくりと肩を跳ねさせた。振り返った先に立っていたのは、長い耳をぴょこりと立てた、活発そうな娘だった。着崩した衣に、耳や首元を飾る派手な装飾――一目で、只者ではない雰囲気を纏っている。
「――リ、リゼさん!」
ロイの声が、明らかに上ずった。
(――こいつが、リゼか)
噂には聞いていた通り、兎族らしい大人しさとは無縁の、勝気な空気を放つ娘だった。
「見てたよ、さっきのやつ。人が弱っちいからって、ボロクソ言うのはさすがにないくない?」
腕を組み、リゼは呆れたように鼻を鳴らした。
「――あ、いや、その」
「別に、ロイの肩持ってるわけじゃないけどさ。ああいう弱い者いじめ的なノリ、単純に見てて気分悪いんだよね」
歯切れの良い口調で言い放つリゼに、ロイはたじろぎながらも、どこか救われたような顔をしていた。
ルークは、少し離れた位置から、そのやり取りを興味深く眺めていた。
(――なるほど、単純にフェアじゃないやり方が嫌いってタイプか)
ロイへの好意というより、筋の通らないものへの嫌悪感――そんな距離感の掴めなさに、ルークは内心で首を捻った。
「――で、そっちの人は?」
不意に水を向けられ、ルークは軽く手を挙げた。
「ルークだ。旅の途中で、こいつの特訓に付き合ってる」
「へー、旅人なんだ。物好きだねー」
あっけらかんとそう言うと、リゼは踵を返した。
「――ロイも、出るなら出るで、ちゃんと恥ずかしくない試合しなよ。応援くらいはしてあげるからさ」
それだけ言い残し、リゼは軽い足取りで去っていった。
残されたロイは、しばらく呆然とその後ろ姿を見送っていたが、やがてぐっと拳を握りしめた。
「――今の、聞きましたか? 応援するって……!」
「――おう、聞いた聞いた」
浮かれるロイを横目に、ルークは内心では複雑な思いを抱えていた。
(――脈があるのかどうかは、正直まだ何とも言えねえな)
好意なのか、単なる筋論なのか。リゼの本心がどちらにあるのかは、まだ何一つ見えてこなかった。それでも、目の前で喜ぶロイの姿に、水を差すつもりはなかった。




