サイラス・オルグレイブ パート5
積み上げた古文書の山から、また一冊、サイラスは手に取った。
各地の伝承を寄せ集めた、民俗学者の手記。学術的な価値はほとんどないと切り捨てられてきた代物だが、こういう埋もれた資料の中にこそ、公的な記録からは抜け落ちた真実が眠っていることを、サイラスは経験から知っていた。
(――大悪魔、か)
かつて勇者一行が討ち滅ぼしたとされる、伝説上の存在。だが、あくまで御伽噺として語り継がれているだけで、確たる実態を記した資料は驚くほど少ない。
それでも、断片を繋ぎ合わせていけば、輪郭は見えてくる。
狼の顔、蝙蝠のような、あるいは鳥にも似た巨大な翼、そして蛇のような尾――複数の地方伝承に、酷似した姿の怪物が語られていた。呼び名は土地によってまちまちだったが、明らかに同じ存在を指し示している。
(――一体だけじゃ、ない)
興味深いのは、その怪物の「死に方」だった。ある伝承では討伐されたと語られ、ある伝承では封印されたと語られ、またある伝承では、遠い異国の地で今もなお目撃例があるという。
矛盾しているように見えて、サイラスにはある一つの仮説が浮かんでいた。
(――死ぬ間際に、自らの体を各地に飛ばした、としたら)
完全に討たれたのではなく、死に瀕した大悪魔が、己の血肉を各地へ撒き散らし、復活の芽を残した。だとすれば、各地に散らばる「怪物の目撃談」や「災厄の指輪」「呪われた祠」といった伝承は、すべてその欠片にまつわる話だったのではないか。
仮説が正しければ、それらの欠片には、まだ生きた力が宿っている可能性がある。
(――だとしたら、これは)
サイラスの中で、蘇生研究の可能性が、一気に現実味を帯びてきた。バラバラにされても死なない存在の血肉。それこそが、探し求めていた鍵になるかもしれない。
それから、サイラスは各地の「災厄の伝承」を、片端から洗い直した。
辺境の祠、呪われた洞窟、触れてはならないとされる古木――似たような言い伝えを持つ土地は、大陸中に点在していた。その中でも、サイラスの目を引いたのは、カレンディア王国の片田舎、メレンド村という農村に伝わる祠の噂だった。
曰く、森の奥にある祠には、決して触れてはならないものが封じられている。かつて、うっかり近づいた者が原因不明の高熱に倒れたという逸話まで、記録に残っていた。
(――魔力を帯びたものが、封じられている証拠だな)
高熱という症状は、未熟な者が強大な魔力に当てられた時の典型的な反応だった。ただの言い伝えとして片付けるには、あまりに具体的すぎる。
さらに古い文献を漁るうち、サイラスは決定的な一文に行き当たった。ソロモン七十二柱と呼ばれる大悪魔の名を連ねた、古めかしい魔導書の写しだった。その中の一柱についての記述が、これまで集めてきた伝承の断片と、驚くほど一致していた。
――狼の顔、グリフォンの翼、蛇の尾を持つ大悪魔。かつては気高い天使であったが、堕天し、いつか天界へ戻ることを望んでいるという、悲哀に満ちた逸話を持つ者。
その名は――
「――マルコシアス」
声に出して読み上げた瞬間、部屋の空気が、ひどく重くなった気がした。
サイラスは、しばらくその名を見つめたまま、動けずにいた。
(――見つけた)
長い彷徨いの果てに、ようやく辿り着いた一つの答え。メレンド村の祠に封じられているのは、おそらく、この大悪魔マルコシアスの身体の一部だ。
どの部位かまでは、この資料だけでは分からない。だが、それを確かめる方法は、一つしかなかった。
(――行くしかない、な)
氷の棺の中で眠る、イリスの寝顔を振り返る。
「――もう少しだけ、待っていてくれ」
静かにそう呟くと、サイラスは旅支度を始めた。目指すは、カレンディア王国、メレンド村――そこで、ルークという一人の少年と、サイラスは邂逅を果たすことになる。




