孤児院
ジャックの補助として依頼をこなす傍ら、ルークはこの街のことを少しずつ知ろうとしていた。
ある晩、焚き火を囲みながら、ふと思いついたことを尋ねてみる。
「――なあ、ジャック。この街に、孤児院ってあるのか?」
「あぁ? まあ、あるにはあるけど」
「あるなら、お前らも入ればよかったじゃねえか」
軽い気持ちで放った言葉に、ジャックは苦笑いを浮かべた。
「入れりゃ、とっくに入ってるよ。あそこ、もういっぱいで、新しく拾ってくれる余裕なんてねえんだ」
「――いっぱい?」
「ああ。噂じゃ、運営の金がまともに回ってねえらしい。子供の数に対して、施設も食い物も、全然足りてねえって話だ」
ジャックは肩をすくめながら、それ以上は興味なさそうに話を切り上げた。彼にとっては、今更どうにもならない、遠い話でしかないのだろう。
だが、ルークの中には、小さな引っかかりが残った。
(――金が回ってない、か)
数日後、暇を見つけたルークは、一人で孤児院へと足を向けていた。
ダウンタウンの外れに建つその建物は、外壁のあちこちが剥がれ落ち、お世辞にも立派とは言えなかった。それでも、庭先では小さな子供たちが数人、駆け回って遊んでいる。
「――あの、すみません」
声をかけると、洗濯物を抱えた若いシスターが振り返った。
「あら、こんにちは。……見ない顔ね、この辺りの子?」
「まあ、そんなもんです。ちょっと、気になって」
「気になって?」
「この孤児院、もう新しい子は入れないって聞いたので」
シスターは、困ったように眉を下げた。
「――ええ、その通りよ。本当は、もっと多くの子を引き取ってあげたいのだけれど……」
言葉を濁すシスターの表情に、ルークは何かを察した。
「金が足りてない、とか?」
「……随分と、鋭いのね」
シスターは小さくため息をついた後、諦めたような笑みを浮かべた。
「街から支援金は出ているはずなのだけれど、ここ最近、届く額がどうにも少なくて。理由を聞いても、はっきりとした答えはもらえなくて……」
その言葉に、ルークの中の引っかかりが、少しだけ形を持ち始めた。
(――やっぱり、何かあるな)
庭で無邪気に笑う子供たちを横目に、ルークはしばらくの間、その場を動けずにいた。
「――ちなみに、その支援金って、いつ頃届くんです?」
「え? ……そうね、大体、毎月十日前後だったかしら」
「ありがとうございます、参考になりました」
軽く礼を言って、ルークはその場を後にした。
(――十日、か)
それから数日後。約束の日が近づく頃、ルークは孤児院の見える路地に身を潜めていた。
気配を薄くする魔力を全身に纏わせ、じっと息を潜める。しばらくすると、街の役所の制服を着た男が、書類鞄を片手に孤児院の門をくぐっていくのが見えた。
(――あいつだな)
用事を終えた男が孤児院を後にするのを待って、ルークはそっと後を追い始めた。
男は大通りを抜け、裏路地に入ると、待ち構えていたように現れたもう一人の男と、こそこそと言葉を交わし始めた。革の鞄を無造作に受け渡す仕草に、ルークは目を細めた。
(――あいつが着服してるのか、それとも、あいつの上にまだ誰かいるのか)
まだ判然としない。だが、確かに何かが動いている――その手応えだけは、はっきりと感じ取れた。
ルークは気配を殺したまま、二人の背後にじりじりと距離を詰めていく。息を殺し、耳だけを研ぎ澄ませた。
「――で、今月の分は、これで全部か?」
「ああ。孤児院に渡す前に、こっちで先に抜かせてもらってる。ナイトシェイドへの上納も、この額から出してんだ。文句言われる筋合いはねえだろ」
「へへ、上納が滞りなく済むなら、俺は構わねえよ。役人様がそこまで気を回してくれるとはな」
下卑た笑いを交わし合う二人の会話に、ルークは思わず息を詰めた。
(――ナイトシェイド……? 聞かねえ名前だな)
どうやら、何かしらの裏組織の名前らしい。役人が孤児院の運営資金の一部を懐に入れ、その一部をその組織への上納金に充てている――先ほどまでは薄っすらとした疑いに過ぎなかったものが、はっきりとした構図として繋がった瞬間だった。
(――ナイトシェイドってのが何なのかは、正直よく分かんねえ)
得体の知れない名前に、深追いする気は起きなかった。今の自分では、聞きかじった名前一つで、裏社会にまで首を突っ込むには早すぎる。それよりも、まずは目の前の役人だ。
(――こいつの正体だけは、はっきりさせとくか)
金の受け渡しを終えた二人が別れると、ルークはそのまま役人の後を尾け続けた。役所らしき建物へと戻っていくその背中を見送りながら、身なりや顔立ちを、しっかりと頭に刻みつける。
(――名前は分かんねえけど、面と着てるもんは覚えたぜ)
ひとまず今は、これで十分だった。ルークは気配を殺したまま、その場をそっと後にした。
(――さて、これをどうしてくれようか)
その日の夜。人通りが絶えた頃合いを見計らって、ルークは再び役場の前に立っていた。
(――大怪盗ルーク様の、お出ましだぜ)
誰に見せるでもなく、一人でにやりと口角を上げる。
(――お宝、いただくぜぇ〜。バロメアの闇よ、震えろ〜っと)
前世で見た、怪盗ものの主題歌の節を、頭の中で適当にアレンジしながら口ずさむ。
(――役人ちゃはぁ〜ん、裏帳簿、見せてくれよぉ〜ん♪)
我ながら、しょうもない替え歌だと思いながらも、こういう馬鹿げたノリが、緊張をほぐしてくれる気がした。
昼間に見た男の顔を思い浮かべながら、窓の明かりが消えた建物をぐるりと見回す。裏手に回ると、案の定、鍵のかかっていない小窓が一つ見つかった。
(――隠蔽、便利すぎるだろ)
気配を殺し、闇に紛れながら、ルークは小窓からするりと中へ滑り込んだ。
執務室らしき部屋を順に覗いていくと、名札の掲げられた机の一つに、見覚えのある書類鞄が置かれているのが目に入った。
(――あった)
抽斗を漁ると、几帳面な字で綴られた帳簿が出てきた。表向きの数字とは別に、細かく書き込まれた裏帳簿らしきものだった。
(――これは、決定的だな)
中身をざっと確認したルークは、しかしすぐには持ち出さなかった。
(――このまま抜き取ったら、こいつすぐに気づくよな。証拠隠滅されたら、元も子もねえ)
しばらく考えた末、ルークは帳簿を手のひらに乗せたまま、闇の魔力をゆっくりと練り上げた。あの獣から与えられた力――影を意のままに操り、形作るその力を使えば、こういう小細工もお手の物だった。
手のひらの上に滲み出た闇が、帳簿と寸分違わぬ姿を象っていく。表紙の傷み具合から、紙の質感、几帳面な文字の一つ一つに至るまで、記憶に焼き付けたばかりの姿を丹念になぞった。
(――よし、上出来だ)
できあがった影の複製を、元あった場所にそっと差し戻す。手の中に残った本物の帳簿を懐にしまい込むと、ルークは足音一つ立てずに、窓から外へと抜け出した。
(――こいつがいつまで持つかは分かんねえけど、当分はバレねえだろ)
これで、動かぬ証拠は手の中にある。あとは、これをどう使うかだけだった。




