# 第九話 焚き火の授業
「火は、なぜ、燃えるの」
その問いに、私は少し考えてから、口を開いた。
「難しい質問だな」
そう前置きしてから、私は、目の前で爆ぜる炎を指差した。
「物には、目に見えないくらい小さな粒が、無数に詰まっている。その粒はな、いつも二つ、三つと手を組み合って、じっとしている。落ち着いた組み方で、手をつないでいるんだ」
少女は、眉を寄せた。理解が追いついていないのが、表情でわかった。私は、説明の順番を変えることにした。生徒が躓いたときにいつもそうしてきたように、抽象的な話を、目の前にある具体的なものに引き戻す。
「この枝を見てみろ。枝の中の粒たちは、今、ある組み方で手をつないでいる。そこに、空気の中を漂っている、別の粒が近づいてくる。その粒は、今つないでいる手よりも、もっと強く、もっとしっかりと手を握れる相手なんだ」
私は地面に、枝で簡単な図を描いた。丸を二つ並べ、線で手をつないだ様子を描く。それから、もう一つ丸を近づけ、元の手を離させて、新しい相手と結び直す様子を、矢印で示した。教室の黒板でやっていたことと、大差はなかった。ただ、チョークの代わりに枝を使い、生徒の代わりに、火を熾すことしかできない男の話に、じっと耳を傾ける少女がいるだけだった。
「手をつなぎ直すとき、前の手をつないでいた分の力が、余る。強く握り直すほど、余る力は大きい。その余った力が、熱と光になって、外に溢れ出す。それが、火という現象だ」
少女は、地面の図を、食い入るように見つめていた。私は続けた。
「だから、風が要る。風は、新しく手をつなぎたがっている、あの空気の中の粒を、次々と運んでくる。粒が足りなければ、手をつなぎ直す相手がいなくなって、火は消える。逆に、風が強すぎると、粒が勢いよく通り過ぎるだけで、うまく手をつなげない。ちょうどいい加減の風が、一番、たくさんの粒同士を結び直させる」
少女は、地面に描かれた図と、燃える焚き火とを、何度も見比べていた。目の動きが、いつもと違っていた。ただ聞いているのではなく、何かを頭の中で組み立てているような、そういう真剣さだった。
「粒が、手をつなぎ直す」
少女が、小さく呟いた。私に確認するというより、自分の中で言葉を反芻しているような呟き方だった。
「そうだ。目には見えないが、確かに、握り直している」
少女は、しばらく黙り込んだ。炎を見つめる目は、いつもより見開かれていた。まるで、炎の向こうに、私の話した「見えない粒」の動きそのものを、透かして見ようとしているかのようだった。
この世界の魔法は、書かれた文字を読み、それを正確な心象として頭の中に描くことで発動すると聞いていた。魔術師は皆、術式を記した魔術書を杖のように携え、それを開いて詠唱する。少女は、文字が読めない。杖となる魔術書を持つことすら、許されない存在だった。だから、魔法とは無縁の存在として、値札をつけられ、売られていた。
だが、今、彼女の頭の中で起きていることは、文字を心象に変換する作業とは、まるで違う種類のものだった。目に見えない現象を、言葉による説明だけを頼りに、想像の中でありありと組み立てていく。文字という記号を介さず、現象そのものを、直接、像として結んでいく。
少女の唇が、小さく動いた。
最初は、独り言のようだった。だが、その音の連なりは、次第に、はっきりとした輪郭を持ち始めた。それが、これまで彼女がどこかで聞き覚え、意味もわからないまま記憶の底に沈めていた、詠唱の断片なのだと、私が気づいたときには、もう遅かった。
空気が、震えた。
焚き火の炎が、突然、輪郭を失うほどの勢いで膨れ上がった。熱の塊が、私と少女を中心に、渦を巻きながら立ち上る。周囲の商隊の男たちが、驚いて叫ぶ声が聞こえた。誰かが、水をかけろと怒鳴っていた。
少女自身も、何が起きているのか、理解が追いついていない様子だった。目を見開いたまま、自分の唇から漏れ続ける詠唱を、止めることができずにいた。
私は、とっさに少女の肩を掴んで、大きく声を上げた。
「もういい、やめろ! 十分だ!」
その声で、ようやく少女の唇が止まった。炎は、それでもしばらく渦を巻き続けていたが、少女の意識が現実に引き戻されると同時に、次第に、元の焚き火の大きさへと、収まっていった。
辺りは、静まり返っていた。商隊の男たちは、遠巻きに、こちらを見つめていた。恐れとも、驚愕とも取れる視線だった。
少女は、自分の両手を、何度も見つめていた。信じられない、というよりも、まだ状況を飲み込めていない、そういう顔だった。
「今、私、何を」
声が、震えていた。
私にも、正確な答えは持ち合わせていなかった。ただ、確かなことが一つだけあった。文字も読めず、魔法の才もないと切り捨てられていたこの少女が、今しがた、私が見たこともないほどの規模の魔法を、ほとんど無自覚のうちに発動させたということだった。
震える肩を抱くようにして、私はふと、あることに気づいた。この少女と出会ってから、私は一度も、彼女の名を尋ねていなかった。買い取ったあの日から、生き延びることに精一杯で、日々の仕事と、次の宿と、次の食事のことばかりを考えていた。名を尋ねるという、当たり前のはずのことすら、この数ヶ月、私の頭からすっぽりと抜け落ちていた。
「お前、名前は」
震える少女に、私はできるだけ静かな声で尋ねた。少女は、驚いたように顔を上げた。名を尋ねられるということ自体が、久しく経験していなかったのかもしれなかった。
「……レクシア」
少女は、しばらく間を置いてから、そう答えた。掠れた、けれどはっきりとした声だった。
「レクシア、か」
私がその名を口にすると、少女は、まだ興奮の冷めやらない顔のまま、小さく頷いた。
「よくやった、レクシア。もう大丈夫だ」
名を呼ばれた瞬間、少女の目に、それまでとは違う光が灯った気がした。ただの「奴隷だった少女」ではなく、レクシアという一人の人間として、この場に立っている。そのことを、彼女自身が、その一言で初めて実感したかのようだった。
周囲の商隊の男たちは、まだ遠巻きにこちらを見つめていた。だが、私にとってその夜、何より鮮明に残ったのは、燃え上がった炎の記憶よりも、震える声で名乗った、レクシアという名前の響きだった。




