# 第八話 道すがらの授業
王都までは、徒歩でひと月近くかかるという話だった。だが、街道には魔物が出る。剣も使えない身一つで、少女を連れて歩く距離ではなかった。
厩舎の主人に相談すると、ちょうど王都行きの商隊が、荷運びと雑用の人手を探していると教えてくれた。腕っぷしは期待されていない。荷の積み下ろし、火の番、炊事の手伝い。そういう仕事なら、この一年で嫌というほど鍛えられていた。
商隊の頭は、私の身なりと年齢を一瞥して、渋い顔をした。それでも、日当を安く済ませられるという一点で、雇うことを了承してくれた。少女については、最初こそ渋られたが、こちらも働くと申し出ると、あっさり通った。この世界では、働く手が増えることに、文句を言う者は少なかった。
荷馬車が連なる隊列の後ろについて、私たちは王都を目指すことになった。商人たちは、腕の立つ護衛を何人か雇っていた。魔物が出れば彼らが対処し、私たちのような雑用係は、荷馬車の陰に隠れているだけでよかった。それでも、頼れる者が周りにいるというだけで、荒野を二人きりで歩いていたときとは、比べ物にならない安心感があった。
夜になると、隊商は決まった場所で野営を組んだ。焚き火は、護衛や商人たちの分と、雑用係の分とで、いくつかに分かれて焚かれた。私と少女は、隅の方に小さな火を熾し、その番をするのも仕事のうちだった。
少女は、この世界に生まれ育った人間らしく、現地の言葉を不自由なく話した。私たちの会話は、最初から現地の言葉で交わされていたが、私の方はまだ、覚えたてのカタコトを抜け出せずにいた。少女は、私が言葉に詰まるたびに、根気強く言い直しを手伝ってくれた。路地裏の孤児から教わった言葉は、生きるための最低限のものだったが、少女から教わる言葉は、もう少し丁寧で、もう少し広がりのあるものだった。
火を熾すという作業は、この一年余りで、私にとってもすっかり手慣れたものになっていた。乾いた枝を集め、火口になる繊維をほぐし、火打石を打つ。ある夜、私が枝を組んでいるところに、少女がそっと隣にしゃがみ込んだ。
「なぜ、そんな風に組むの」
だいぶ聞き取れるようになった現地の言葉で、少女がそう尋ねた。
「空気が通るようにだ。火は、燃える物と、燃やす力と、それから風がないと、育たない」
自分でも、なぜそんな説明をしたのか、はっきりとはわからなかった。ただの世間話として済ませることもできたはずだった。だが、口を開くと、教員時代の癖が、勝手に喋り出してしまう。相手が何を知りたがっているかを見極め、順序立てて、理解できる言葉で伝える。染み付いた習性だった。
少女は、黙って聞いていた。理解しているのか、していないのか、その表情からは読み取れなかった。だが、話を遮ることもなく、じっと火を見つめ続けていた。
道中、こうした時間は、何度も繰り返された。私が火を熾すたびに、少女は隣に座り、私はつい、余計な説明を挟んでしまう。なぜか地球のそれと変わらない星の並びについて聞かれれば、覚えている限りの知識で答え、川の流れる音について聞かれれば、思いつく限りの理屈を並べた。教える相手がいるということが、この世界に来て以来、自分でも驚くほど、心を落ち着かせることに気づいていた。
少女の方も、次第に、自分から言葉を発するようになっていった。ぽつぽつと、これまでの自分のことを語ることもあった。生まれた村のこと、そこを追われた経緯のこと。多くは語らなかったが、断片をつなぎ合わせるだけでも、彼女がこれまで歩んできた道のりの過酷さは、十分に伝わってきた。
王都まで、あと数日というところまで来ていた。隊列の先に、遠く霞むように、大きな城壁の輪郭が見え始めていた。
その夜も、私たちは、いつものように隅の焚き火を熾した。少女は、いつもの位置に腰を下ろし、パチパチと爆ぜる炎を見つめていた。
「ねえ、センセイ」
少女が、ふいに口を開いた。
その呼び方をされたのは、初めてのことだった。私は思わず、少女の顔を見た。顔見知りの孤児たちに呼ばれていたセンセイという言葉を私の名前だと思っているのだろう。この一月あまり、私が誰にともなく話し続けてきた説明の数々を、先生と呼ばれたことで、彼女は「授業」として聞いていたのだと、その一言で初めて気づかされた。
思えば、私はこの少女の名前すら、まだ知らなかった。買い取ったあの日から、生き延びることに精一杯で、日々の仕事と、次の宿と、次の食事のことばかりを考えていた。名前を尋ねるという、当たり前のはずのことが、いつの間にか、私の頭から抜け落ちていた。
「火は、なぜ、燃えるの?」
その問いに、私は少し考えてから、口を開いた。




