# 第六十七話 誰も来ない教室
王立アカデミーの正門をくぐった瞬間、私は場違いな空気を全身で感じ取った。
石造りの校舎は荘厳で、行き交う生徒たちの身なりも垢抜けていた。誰もが自信に満ちた足取りで歩いている。その中を、冒険者ギルドの最底辺タグを提げたまま歩く私は、明らかに異物だった。
「あれが噂の」
「陛下のご指名とはいえ、魔法も使えない男が、なぜ教壇に」
すれ違う教授たちの視線には、隠しきれない侮蔑が滲んでいた。聞こえよがしの陰口も、日常茶飯事だった。
「コネで採用された、ただの田舎教師らしいぞ」
その噂は、あっという間に広まっているようだった。かつて、あのハーゲンという教務長に、似たような扱いを受けたことを思い出す。この世界では、実力よりも肩書きが、まず先に、人を値踏みする材料になるらしかった。
案内された教室は、校舎の外れにある、埃を被った物置同然の部屋だった。窓は割れ、机も半分ほどしか揃っていない。
「ここが、私の教室ですか」
案内役の職員は、素っ気なく頷くと、そそくさと立ち去っていった。
開講初日、私は誰もいない教室で、一人、椅子に座っていた。定刻を過ぎても、誰一人として現れなかった。
二日目も、三日目も、同じだった。壁の外から、くすくすと笑う声が聞こえてくることもあった。
「誰も来ないってさ」
「そりゃそうだろう。あんな男の授業、受けたい奴なんかいるものか」
その声を聞きながら、私は静かに、これまでのことを振り返っていた。王の頼みを断りきれず、ここまで来た。だが、必要とされないなら、この場に留まる意味もない。一年という約束はあるが、無理に居座る必要もないだろう。
「拠点に、帰るか」
誰にともなく、そう呟いた、その時だった。
教室の扉が、控えめに開いた。
立っていたのは、痩せた体つきの少年だった。目には、隠しきれない怯えと、それでいて何かに追い詰められたような、切実さが浮かんでいた。
「あの……この、授業に、参加させられることに、なりまして」
少年は、俯きがちに、そう告げた。
「参加させられた、というのは」
私が尋ねると、少年は、しばらく躊躇った後、ぽつりぽつりと事情を語り始めた。平民出身の彼は、貴族の生徒たちから、日常的に嫌がらせを受けていた。今回の「最底辺教師の授業」への参加も、彼らからの、いわば懲罰のような、押しつけだったという。
少年が席に着いてすぐ、また扉が開いた。
今度は、覇気のない、疲れた表情の青年だった。
「成績が、底辺で。もう後がないんです。他の授業には、どこも、受け入れてもらえなくて」
青年は、力なくそう言うと、崩れるように、椅子に腰を下ろした。
三人目は、明らかに、敵意を隠さない態度の少女だった。
「言っておくけど、あたしは、あんたの妨害をしろって、頼まれて来ただけだから」
少女は、腕を組んだまま、そう言い放った。どの教授の差し金かは、聞かずともわかった。
四人目は、地味な身なりをした、物静かな少年だった。彼は、名乗ることもせず、ただ黙って、隅の席に腰を下ろした。後になって、私は、彼が、平民と身分を偽った、貴族の子であることを知ることになる。
そして最後に現れたのは、これまでの誰よりも、ふてぶてしい態度の少年だった。
「暇つぶしに来てやった。せいぜい、退屈させるなよ」
そう言い放つと、わざとらしく、机に足を投げ出した。
五人。誰一人として、自らの意志だけで、この教室を選んだ者はいなかった。それぞれが、それぞれの事情を抱え、この、埃っぽい部屋に、辿り着いていた。
私は、その五つの顔を、一人ずつ、順に見渡した。かつて、水路のほとりで出会った、あの怯えた少女の顔が、ふと、脳裏をよぎった。
「よろしく頼む」
私がそう告げると、教室には、白けたような沈黙だけが、返ってきた。
それでも、これが、私に与えられた、最初の一歩だった。




