# 第六話 値札のついた少女
その日、私はいつもと違う道を歩いていた。
厩舎までの近道になると聞いて、初めて通る裏通りに入ったのがきっかけだった。水路の仕事を終え、疲れた足を引きずりながら歩いていると、ふいに、人だかりの声が聞こえてきた。
石畳の広場に、粗末な木の台が組まれていた。台の周りには、身なりの良い者から、いかにも荒くれた者まで、様々な人間が集まっている。台の上には、進行役らしき男が立ち、何かを声高に喋っていた。
奴隷市場だと気づくのに、そう時間はかからなかった。この街に来て一年以上が経ち、私はこの世界の仕組みを、良くも悪くも、ある程度理解するようになっていた。奴隷制度は、この世界では、驚くほど当たり前のものとして存在していた。
立ち去ろうとした。関わるべきではない、というのが、教員として染み付いた分別だった。だが、台の上に次に引き出された姿を見て、足が止まった。
少女だった。歳の頃は、十四か、十五か。痩せた身体に、粗末な布一枚をまとわされている。俯いた顔にかかる髪の隙間から、感情の読めない目が、ちらりとこちらを見た気がした。いや、こちらというより、誰も見ていないのかもしれなかった。
進行役の男が、値をつり上げるための売り文句を並べ立てていた。私はカタコトの理解力を総動員して、その内容を聞き取ろうとした。
「──魔法の才はある。だが、文字が読めん。呪文の詠唱ができん代物だ。安くしとくぞ」
この世界の魔法は、詠唱によって発動するものだと、私はすでに聞きかじっていた。そして詠唱とは、体系化された文字言語を、正確に読み上げる行為だという。文字が読めなければ、詠唱はできない。詠唱ができなければ、魔法は使えない。この世界において、それは致命的な欠陥として扱われるらしかった。
値は、驚くほど安いところから始まった。誰も手を挙げなかった。進行役の男が値を下げるたびに、周りからは失笑に近い声が漏れた。
少女の表情は、ほとんど動かなかった。感情を殺しているのではなく、すでに感情を殺すことに慣れきっている、そういう静けさだった。
進行役が、値をさらに下げながら、忠告めいた言葉を付け加えた。
「今日で買い手がつかなきゃ、次は別の場所に回す。そっちの方が高く売れるんでな」
その言葉の意味を理解するのに、そう時間はかからなかった。周囲の何人かが、下卑た笑いをこぼしたのを見て、確信に変わった。
私は、自分の財布の中身を思い浮かべていた。この一年余り、ドブさらいを続けて、ようやく貯まってきた金だった。厩舎の一角を借り、これから先、もう少しましな暮らしを目指すための、なけなしの元手だった。
台の上の少女と、目が合った。
あの目には、見覚えがあった。パンを分けたあの日、路地の隅で私を見上げていた、あの子供の目と、どこか重なる気がした。諦めきる寸前の、それでも諦めきれずにいる目。
気づいたときには、手を挙げていた。
周囲がどよめいた。進行役の男が、驚いた顔でこちらを見た。カタコトの発音で、私は自分の貯めてきた金額を口にした。それが、その日の唯一の、そして最後の入札になった。
人だかりが散っていく中、私は台の下で、少女が引き渡されるのを待っていた。手続きは思っていたよりも簡単だった。金を払い、書類のようなものに判を押させられ、それで終わりだった。人一人の値段が、それだけのやり取りで決まってしまうことに、私はあらためて、この世界の乾いた現実を思い知らされていた。
少女は、私の前に立たされても、視線を上げなかった。何を命じられるのかと、身構えているようだった。
私は、覚えたての言葉で、できる限り丁寧に言った。
「キミは、自由だ。もう、誰にも所有されていない」
少女は、顔を上げた。今度こそ、はっきりとこちらを見た。その目には、理解と、疑いと、それから、言葉にならない何かが、同時に浮かんでいた。




