# 第五十一話 忍び込んだ夜(レクシア視点)
ミラの様子が明らかにおかしくなったのは、ある日の授業の後だった。
「どうしました」
センセイが尋ねると、ミラは青ざめた顔で、震える声を絞り出した。
「昔、一緒に働いていた奴隷仲間から聞いたんです。私たちの中で、もうすぐ解放されるはずだった、まだ幼い少女がいます。でも、支払っていたはずの開放準備金が足りないと。その子は、悪質な貴族に転売されようとしていると」
ミラの拳は、強く、握りしめられていた。
「私が、もっと早く数字と向き合えていれば、こんなことには……」
「今、それを悔やんでも、仕方ありません」
センセイの静かな声に、ミラは、はっとした顔をした。
「今、できることを、、考えましょう」
その日の授業は、それで終わった。だが、私はミラの様子に、何か、まだ拭いきれない引っかかりを、感じていた。
その夜、拠点から自宅へ戻るミラの跡をつけていた私は、月明かりの下、足早に通りを歩いていく、見覚えのある後ろ姿に気づいた。ミラだった。
こんな時間に、一人でどこへ。嫌な予感が、胸を過った。
私は、そっとその後を追った。ミラが向かった先は、かつての彼女の職場だった商館だった。
ミラは、辺りを何度も確かめながら、商館の裏手から、慎重に、中へと忍び込んでいった。その足取りには、迷いがなかった。まるで、最初から一人でやり遂げるつもりだったかのように。
ミラは誰にもこの計画を打ち明けていなかった。危険な役目に誰かを巻き込みたくない。その一心で、たった一人、この暗闇に飛び込んでいったのだと。
その覚悟に、私は胸が締め付けられる思いだった。だからこそ、なおさら、一人になどさせておけなかった。
物陰に隠れながら、私はミラの後を慎重に追い続けた。
帳簿の保管されている部屋に、あと少しで辿り着く、というところだった。見回りの用心棒たちに、ミラが見つかってしまった。
「誰だ、そこにいるのは!」
複数の足音が、こちらに向かってくる。ミラは逃げ場を失い、あっけなく取り押さえられてしまった。
「離して!」
ミラの悲鳴が聞こえた。用心棒の一人が、下卑た笑いを浮かべながら、彼女の腕を乱暴に掴んでいた。
「久しぶりだな、ミラ。逃げ出した挙句、こそ泥に成り下がったか」
「こそ泥なら、多少傷ものになっても仕方ねえやなあ」
その光景に、私の中で、何かが、一気に沸騰した。
私は、物陰から飛び出した。
「その手を離せ」
用心棒たちが、一斉にこちらを振り返った。次の瞬間には、私は迷わず魔法を放っていた。
あっという間に、用心棒たちを地に沈める。ミラは、腰を抜かしたまま、私を呆然と見上げていた。
「大丈夫?」
ミラは、こくこくと、何度も、頷いた。
「どうして……」
「早く目当てのものを見つけて、ここを出よう」
私はそう促しながら、内心、ミラが無事だったことに安堵していた。
ミラは、迷いながらも頷き、震える手で目当ての帳簿を棚から探し出した。
「これです……この帳簿に、きっと」
分厚い帳簿の束を大事そうに抱え、ミラは私と共に商館を後にした。




