# 第四話 パンひとつ分の言葉
雨が上がったのは、明け方近くになってからだった。
教会の軒先で夜を明かした者たちは、日が昇ると同時に、それぞれの方向へ散っていった。誰も言葉を交わさなかった。ここでは、それが礼儀のようだった。
私はふらつく足で、市場のある通りへ向かった。前日と同じように、裏路地で拾えるものを探すためだった。その日はいくらか運が良く、屋台の裏で、焼き上がりに失敗したらしいパンの塊が一つ、捨てられているのを見つけた。焦げた部分を削れば、まだ十分に食べられそうだった。
拾い上げたそのとき、視線を感じた。
振り返ると、路地の隅に、小さな人影があった。子供だった。歳の頃は、七つか八つか。痩せた身体に、ぼろ布のような服をまとい、じっとこちらを見ていた。目だけが、やけに大きく見えた。
その目に、見覚えがあった。教室で何度も見てきた目だ。空腹の目ではない。何かを諦めきる寸前の、それでも諦めきれずにいる目だった。
私は、拾ったパンを見た。それから、その子供を見た。
迷った時間は、そう長くなかったと思う。半分に割って、大きい方を差し出した。子供は最初、警戒するように動かなかったが、私がもう一度、パンを持った手を突き出すと、おそるおそる近づいてきて、それをひったくるように受け取った。
あっという間に食べ終えた子供は、私の顔を、今度は不思議そうに見上げた。よそ者だと気づいたのかもしれない。私は自分を指差して言った。
「せんせい」
通じるはずもない言葉だった。それでも、何か名乗らなければ気が済まなかった。子供は、きょとんとした顔で、その音を繰り返した。
「せん、せい」
妙な発音だった。だが、確かに真似ようとしていた。
私はその場に座り込み、もう一度自分を指差しながら「せんせい」と言った。子供はしばらく私の様子を見ていたが、やがて自分の胸に手を当てて、短い音を発した。
それが、その子の名前らしかった。
言葉というのは、こんなにも原始的なところから始まるものだったのかと、私は半ば呆然としながら思っていた。教室で教えていた言葉は、すでに体系化され、文法があり、教科書があり、順序立てられたものだった。だが今、目の前で起きているのは、指差しと、音の反復と、表情の観察だけで組み立てられていく、言葉以前の言葉だった。
その日から、私はその子供と、ほとんど毎日のように顔を合わせるようになった。互いに持ち寄れるものは少なかったが、私が拾ったものと、その子が知っている街の裏道の情報を交換するような関係が、いつの間にか出来上がっていた。
子供と過ごす時間が増えるにつれて、私は少しずつ、この街そのものを観察する余裕も持てるようになっていた。最初の数日は、生き延びることだけで頭がいっぱいで、周囲を見る余裕などなかった。だが空腹が多少なりとも和らぐと、目に入るものの解像度が、目に見えて上がっていった。
街の大通りには、剣や槍を背負った者たちが絶えず行き交っていた。冒険者、というらしかった。子供が指差し、その言葉の音を教えてくれた。革の防具を着た若い男女の一団が、酒場の前でにぎやかに笑い合っているのを見かけることもあれば、片腕を布で吊った男が、無言で路地の奥へ消えていくのを見ることもあった。命のやり取りを生業にする者たちの温度差は、私が知っていたどんな職業とも違っていた。
人間だけではないことにも、次第に気づいていった。市場の一角で、耳の長い女が布を売っていた。子供はそれを「えるふ」と呼んだ。荷運びの列の中には、子供のような背丈でありながらも、筋肉が隆々と盛り上がり、岩のようにごつごつした者たちがいた。「どわーふ」という音を、私は何度も反復して覚えた。彼らは互いに、種族の違いなど気にも留めていない様子で、値切り交渉をしたり、道を譲り合ったりしていた。私にとっては、その光景そのものが、教科書のない社会科の授業だった。
夕方になると、教会の鐘が鳴り、市場が畳まれ、人々は思い思いの方向へ帰っていく。子供もまた、どこか決まった寝床があるらしく、鐘が鳴ると同時に、軽い足取りで走り去っていった。私はその背中を見送りながら、この街には、たとえ貧しくとも、それぞれの生活のリズムというものが確かに存在していることを、少しずつ実感するようになっていた。
その輪の外側に、まだ自分はいる。だが、外側から眺めているだけでも、少しずつ、輪の形が見えてきていた。
子供は、物覚えが良かった。一度指差して教えた単語は、次に会うときには、きちんと覚えていた。私はといえば、生徒に教える側の癖が抜けず、無意識のうちに、この子の理解の速度に合わせて、教える順番を組み立てていた。名詞から先に。次に簡単な動詞。文法は最後でいい。
ある日、子供が地面に棒で何かを書いた。文字だった。子供自身は読み書きができないようだったが、街の看板の形を真似ることはできるらしかった。私はその文字を指差し、子供が知っている限りの発音を教えてもらった。一つ、また一つと、音と形が結びついていった。
半月ほど経った頃には、私はカタコトながらも、簡単な受け答えができるようになっていた。値段を聞くこと、道を尋ねること、断ること。生きていくために最低限必要な言葉を、私は、たった一人の、名も知らぬ子供から教わっていた。
皮肉なものだと思った。十年以上、人に教えることを仕事にしてきた男が、この世界で最初に頭を下げて教わった相手は、字も読めない、痩せた子供だった。
だが、その皮肉さの中に、私は久しぶりに、自分の身体に馴染む感覚を見つけていた。教える。教わる。その往復運動だけは、世界が変わっても、変わらずにそこにあった。




