# 第三十五話 見返したかったもの(サジタ視点)
一族から、里帰りの誘いが届いたのは、眼鏡をかけ始めてから、半年ほどが過ぎた頃だった。
正確には、誘いというより、強制に近いものだった。10年に一度行われる、一族の成人たちによる弓の競射会。出来損ないとして扱われてきた私にも、形式上、出場の義務があった。エルフとして成人として扱われるようになる今、さすがに、これ以上、逃げ続けるわけにもいかなかった。
「行ってきます」
拠点を発つ朝、私は、努めて、いつも通りの調子でそう告げた。だが、内心は、複雑な感情が渦を巻いていた。眼鏡をかけ、計算という武器を手にした今の自分なら、あの一族の前で、少しは、胸を張れるかもしれない。そんな期待が、確かにあった。
一族の里は、王都から、馬で三日ほどの距離にある、森の奥の集落だった。久しぶりに訪れたそこは、記憶にある通り、静謐で、どこか、よそ者を寄せ付けない空気を纏っていた。
「よく戻った」
出迎えた父は、そう言ったきり、それ以上、多くを語らなかった。私が、見慣れない眼鏡をかけていることに、僅かに眉をひそめたのを、私は見逃さなかった。
競射会の当日、私は、頭の中で、いつも通り、計算式を組み立てた。的までの距離、風の強さ、湿度による弦の伸び。センセイと積み重ねてきた、数え切れないほどの検証の結果が、すべて、この一瞬のために、頭の中に、整然と並んでいた。
放った矢は、狙い違わず、的の中心を貫いた。
二射目も、三射目も、同じだった。動く的を用いた種目でも、私は、頭の中の計算式に従って、狙いを外すことなく、次々と的を射抜いていった。
競射会が終わる頃には、周囲の空気は、明らかに、変わっていた。
「あの出来損ないが……」
「いや、もう、出来損ないとは、呼べんだろう」
そうした囁きが、あちこちから聞こえてきた。総合の成績で、私は、その年、一族の中で、最も高い記録を残していた。
競射会の後、私を取り囲む顔ぶれは、これまでとは、まるで違うものになっていた。かつて、私を出来損ない扱いしていた者たちが、今度は、揉み手をせんばかりの愛想の良さで、話しかけてくる。私を疎んでいた妹でさえ、態度を一変させ、「姉様、姉様」と、まとわりつくようになった。
「サジタ殿。族長が、お呼びです」
里の長老の一人に、そう呼び出されたのは、その日の夕刻のことだった。
族長の前に通されると、そこには、族長の跡取りの姿もあった。育ちの良さそうな、整った顔立ち、この集落の若い女性が皆憧れる青年だった。かつての私もそうだったように。
「此度の見事な腕前、感服いたした。ついては、我が息子との婚姻を、前向きにご検討いただきたい」
族長の言葉に、私は、しばらく、返す言葉を持てなかった。
昔の自分なら、この申し出を、飛び上がらんばかりに喜んでいたかもしれない。一族の頂点に立つ者との婚姻。それは、出来損ないと蔑まれてきた自分にとって、これ以上ない、雪辱の形だったはずだった。
だが、今、目の前に差し出されたその話に、私の心は、驚くほど、静かなままだった。
その申し出を辞し、一人になった夜、私は、居心地の悪い自室の窓から、暗い森を眺めながら、ずっと、考え続けていた。
私が、見返したかったのは、こんな人たちだったのだろうか。
手のひらを返したように擦り寄ってくる、あの顔ぶれ。結果さえ出せば、掌を返す、そういう価値観の中で、私は、一体、何のために、あれほどまでの劣等感を、抱え続けてきたのだろう。
弓のために。一族からの承認のために。そう信じて、生きてきたはずだった。だが、こんなにも、あっけなく、それが手に入ってしまった今、私の中には、満たされるはずの喜びの代わりに、ぽっかりと、空白のような感覚だけが、広がっていた。
これから、私は、何のために、生きていけばいいのだろう。
答えの出ないまま、私は、翌朝、誰にも見つからないようにして、里を後にした。




