# 第三十話 数字で恋を語る者
サジタは、驚いたように、顔を上げた。
「数が、好きなんだろう」
私が、改めてそう尋ねると、サジタは、ゆっくりと頷いた。
「小さい頃から、ずっと。弓の稽古の合間、誰も見ていないところで、こっそり、数に関する書を読むのが、何よりの楽しみでした。でも、一族の中では、そんなことより、弓の腕を磨けと、いつも……」
その言葉に、私は、以前、地面に描いて見せた、放物線の図を思い出していた。あのとき、サジタが、誰よりも真剣な顔で、その図を見つめていたことも。
「なら、感覚に頼るのは、一旦、忘れていい。お前の得意な、数字の力を使おう」
私は、改めて、矢の軌道を計算するための、簡単な式を、地面に書き出した。的までの距離、風の強さ、矢の落下量。それぞれの関係を、数字として表す、粗削りな式だった。
サジタは、その式を、食い入るように見つめていた。目の動きが、これまでとは、明らかに違っていた。ただ聞いているのではなく、頭の中で、猛烈な速さで、何かを組み立てているような、そういう真剣さだった。
「この式、応用できますか。距離だけじゃなくて、標的の速さが変わる場合も」
サジタが、そう尋ねてきたのは、その日のうちのことだった。私は、驚きながらも、知る限りの理屈を語った。速度という要素を、式にどう組み込むか。答えを聞いたサジタは、その場で、地面に、自分なりの式を書き足していった。
その式は、私が最初に示したものより、遥かに緻密で、正確なものになっていた。
「これで、合ってますか」
差し出された式を見て、私は、しばらく、言葉を失っていた。私が教えたのは、あくまで、大まかな考え方の枠組みでしかなかった。それを、これほどまでに精緻な形に組み上げたのは、サジタ自身の力だった。
「合ってるどころか……俺には、こんな細かい計算、とてもじゃないが、ついていけない」
素直にそう漏らすと、サジタは、少し驚いたような顔をした後、それまで見せたことのないような、晴れやかな笑みを浮かべた。
その日から、サジタの上達は、目に見えて加速していった。頭の中で組み立てた計算式を頼りに、狙いを定める。眼鏡によって正しく捉えられるようになった視界と、計算による先読みとが、次第に噛み合い始めていた。命中率は、練習を重ねるごとに、着実に上がっていった。
自信を取り戻していくにつれて、サジタの物腰にも、変化が現れ始めた。最初の頃の、萎縮したような態度は影を潜め、代わりに、どこか飄々とした、それでいて、物事の値踏みをするような、鋭さを感じさせる話し方をするようになっていった。
「先生の教え方は、随分と、非効率ですね」
ある日、サジタが、悪びれもせずに、そう言ってきたことがあった。
「非効率、か」
「はい。一つ一つ、丁寧に説明しすぎです。要点だけ、数式にまとめて渡してくれれば、私の方で、勝手に応用します。その方が、お互い、時間の節約になります」
その物言いに、私は、少し面食らいながらも、悪い気はしなかった。むしろ、この率直さこそが、彼女の本来の性分なのだろうと、納得するものがあった。
ある夜、雑談の中で、私は、ふと、サジタの年齢を尋ねる機会があった。
「見た目だと、若そうだが、エルフは、歳の取り方が違うと聞く。実際は、いくつなんだ」
「三十五、です」
あっさりと返ってきた答えに、私は、思わず、言葉を詰まらせた。
「俺より、年上か」
「そうなりますね。見た目に、惑わされましたか」
サジタは、悪戯っぽく笑いながら、そう言った。年下だと思い込んでいた相手が、実は年上だったという事実は、思っていた以上に、私の中で、何かの認識を揺さぶった。
それからというもの、サジタは、私に対して、それまで以上に、遠慮のない態度を見せるようになっていった。
「先生、今日の夕食、隣に座っても?」
当たり前のように、そう尋ねてくる。断る理由もなく頷くと、サジタは、満足げに、隣に腰を下ろした。
「先生って、存外、隙だらけですよね」
「そうか」
「ええ。そういうところ、嫌いじゃないです」
あっさりと放たれたその言葉に、私は、どう返せばいいのか、わからなかった。サジタは、そんな私の反応を、面白がるように、じっと見つめていた。
その眼差しの意味を、私は、まだ、正確には掴めていなかった。




