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# 第二十九話 見えていなかったもの

 レクシアが、傷を負ったエルフの娘を連れて拠点に戻ってきたのは、それから数日後のことだった。


「その人は、どうしたんだ」


 私が尋ねると、レクシアは、満面の笑みを浮かべた。


「拾ってきた」


「拾ってきたって、お前な……」


「センセイの真似。よかったでしょ」


 悪びれる様子もなく笑うレクシアに、私は、何も言い返せなかった。レクシアの後ろには、まだ痛々しい包帯を巻いた娘が、緊張した面持ちで立っていた。


「サジタ、です。よろしく、、お願いします」


 サジタは、丁寧に頭を下げた。レクシアから、道中の事情は、あらかじめ聞かされていた。動く的に、どうしても矢を当てられないという、彼女の悩みについても。


「弓の扱いなど、私には、まるでわからん。だが、聞かせてくれないか。矢を放つとき、何を見ている」


 私がそう尋ねると、サジタは、少し戸惑いながら答えた。


「的を、です。狙いをつけて、まっすぐ、そこへ」


「動く的の場合は」


「同じです。的の、今いる場所を、見て。でも、どうしても、間合いが……近いのか遠いのか、動いていると、余計にわからなくなって」


 その言葉に、私は、ふと、違和感を覚えた。エルフという種族は、眼の良さでも知られている。だが、目の前のサジタの様子は、どこか、その常識から外れているように思えた。


「一つ、試させてくれないか」


 私は、少し準備をした後、少し離れた場所に立ち、手に持った紙を回転させながら、サジタに、それぞれの輪郭が、どれくらいはっきり見えるかを尋ねた。


ランドルト環、視力測定によく使われるものを簡易的に行ってみた。


「近くのものは、はっきり見えます。でも、少し離れると……輪郭が、滲むというか」


 その答えを聞いて、私は、確信に近いものを覚えた。前の世界で、視力の弱い生徒に、よく見られた症状だった。


「お前は、遠くのものが、うまく見えていないんじゃないか。エルフには、珍しいことなのかもしれないが」


 サジタは、驚いたように、目を見開いた。


「そんな……エルフに、眼の悪い者などいないと、ずっと言われてきました。だから、見えないなんて、思ったこともなくて」


「見えないことに、気づいていなかっただけかもしれない。皆と同じように見えていると、思い込んでいただけで」


 その推測を確かめるため、私は、マレアに相談を持ちかけた。


「レンズ、というものを、作れないか。前の世界にあった道具だ。ガラスを、特定の形に磨くことで、光の屈折を変え、像の焦点を、調整できる」


 マレアは、興味深そうに、私の説明する図を見つめていた。


「ガラスの厚みと、曲がり具合で、見え方が変わる、ってことか」


「そうだ。理屈通りにいけば、だが」


 それから、マレアとの試行錯誤が始まった。ガラス職人から譲り受けた素材を、少しずつ削り、磨き、度合いを変えながら、サジタに何度も試させる。


 その過程を、サジタは、ただ座って見ているだけではなかった。マレアが、削る厚みの見当をつけながら、ぶつぶつと独り言のように呟いていると、サジタが、横から、ふと口を挟んだ。


「その厚みだと、少し削りすぎだと思います。前回、これくらい削ったときに、見え方がこう変わったので……多分、あと、この半分くらいで、ちょうど良くなるはずです」


 マレアが、怪訝そうな顔で、サジタを見た。


「なんで、そんなことが、わかるんだ」


「なんとなく、数えていました。削った量と、見え方の変化を」


 事も無げに、サジタはそう答えた。マレアは、半信半疑のまま、言われた通りの厚みで削り直した。結果は、サジタの見立て通りだった。


 私は、その様子を、少し離れた場所から眺めながら、小さな引っかかりを覚えていた。誰に教えられたわけでもなく、目分量の変化を、頭の中で、数値として追いかけている。それは、決して、誰にでもできることではなかった。


 何度も失敗を重ねた末、ようやく、サジタの目に合った、一組のレンズが出来上がった。


 枠に嵌め込み、紐で耳にかけられるようにした、簡素な作りの眼鏡だった。


 サジタが、それをかけた瞬間、大きく息を呑む音がした。


「……見える。あんなに遠くの木の、葉の一枚一枚まで」


 その声には、隠しきれない驚きと、そして、これまでの人生を丸ごと問い直すような、複雑な色が滲んでいた。



 だが、話は、それで終わりではなかった。眼鏡をかけたことで、視界そのものは劇的に改善した。だが、長年、ぼやけた世界の中で、感覚だけを頼りに矢を放ち続けてきた癖は、そう簡単には抜けなかった。


 的との間合いを、正しく見えるようになったはずなのに、身体は、これまでの、当てずっぽうの感覚で、勝手に動いてしまう。新しい視界と、染み付いた古い感覚とが、ちぐはぐに噛み合わないまま、サジタの矢は、相変わらず、的を外し続けた。


「見えているのに、当たらない」


 ある日の練習の後、サジタは、地面に座り込んだまま、そう呟いた。声には、深い疲労と、諦めに近いものが滲んでいた。


「今までは、見えないから当たらないんだと、思えました。でも、今は、見えているのに、当たらない。これじゃあ、私自身が、下手なだけなんじゃないかって」


 その言葉に、私は、しばらく黙って、サジタの隣に腰を下ろした。


「見えることと、その見え方に合わせて動けることは、別の技術だ。お前の身体は、何年も、ぼやけた世界の中で生き延びるやり方を、覚え込んできた。それを、たった数日で、上書きしろというのが、そもそも無理な話だ」


 サジタは、俯いたまま、何も答えなかった。


「焦る必要はない。お前には、他の誰にもない武器がある」


「武器、なんて」


「お前は、計算式を頭の中で扱う力に、長けているはずだ」


 サジタは、驚いたように、顔を上げた。

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