# 第十八話 森の奥で(レクシア視点)
森の奥へ進むほどに、木々は密度を増し、日差しは、地面に届く前に、幾重もの葉に遮られるようになった。
今回の依頼の本来の標的は、この森の最奥に棲みついているという、大型の魔獣だった。近隣の村を襲い、家畜を食い荒らしているという報告が、ギルドに何件も上がっていた。狼の群れは、その魔獣の縄張りに引き寄せられて集まった、いわば前哨戦に過ぎなかった。
三日目の朝、私たちは、ついにその魔獣の痕跡を見つけた。人の背丈の倍はあろうかという、爪痕が刻まれた大木。その根元には、荒々しく踏み荒らされた土が広がっていた。
「熊型か、それに近い何かだろうな。しかし、爪痕が大きすぎる。」
ガランが、爪痕の深さを確かめながら、そう呟いた。
「厄介なのは、皮膚が厚いことだ。並の攻撃は、通りにくい」
パーティの魔術師が、険しい表情で付け加えた。過去の討伐記録によれば、この手の魔獣には、通常の炎系統の魔法は、あまり効果が薄いという。分厚い脂肪と毛皮が、外部からの熱を、内部まで伝えにくくしているらしかった。
その日の夕刻、私たちは、木々がまばらになった、開けた谷間に差し掛かった。
最初に気づいたのは、地面の震えだった。遠くから、規則的な、重い足音が近づいてくる。ガランが、無言で腕を上げ、全員に停止の合図を出した。
やがて、正面の茂みが、大きく揺れた。
姿を現したのは、聞いていた通りの、熊に似た輪郭を持つ魔獣だった。だが、実際に目にすると、想像していたよりも遥かに大きかった。肩の高さだけで、ガランの背丈をゆうに超えている。全身を覆う剛毛は、鈍い赤褐色をしていて、所々に、これまでの戦いでついたらしい傷痕が、古い瘡蓋となって残っていた。
魔獣は、こちらの気配に気づくと、太い前脚で地面を掻き、低く、腹の底に響くような唸り声を上げた。息を吐くたびに、鼻先から、蒸気のような白い息が漏れる。丸太のような四肢に、瘤のように盛り上がった筋肉。その一挙手一投足が、これまで相手にしてきた狼とは、明らかに桁違いの力を秘めていることを物語っていた。
「来るぞ!」
ガランの声と同時に、魔獣が、地を蹴って突進してきた。
私は、目を閉じ、魔獣の毛皮の様子を、思い描こうとした。だが、脂肪の奥深くにある何かまでは、想像の中でも、うまく像を結べなかった。見たこともない内部の構造を、確信のないまま思い描いたところで、それはただの当てずっぽうにしかならない。センセイの授業で聞いてきたのは、あくまで、目に見える現象の話だった。分厚い毛皮の、その奥がどうなっているかまでは、私自身、まだ、何一つ、知らなかった。
仕方なく、私は、これまでと同じやり方で、魔獣の毛皮の表面に、炎をぶつけた。案の定、威力は表面を焦がすだけに留まり、魔獣は苛立たしげに唸り声を上げただけだった。
「効かねえ、後ろに下がれ!」
ガランの怒声が飛んだ。魔獣の太い前脚が、剣士の一人を薙ぎ払い、悲鳴とともに、その身体が吹き飛ばされた。
このままでは、押し切られる。私は、焦りながらも、必死に頭を働かせた。表面を焼くだけでは駄目だ。だが、内部までは、まだ届かせられない。ならば、今の自分にできることは何か。
目に留まったのは、魔獣が踏みしめている、地面の様子だった。連日の雨で、ぬかるんだ土。その土の中にも、目には見えない、湿った空気の粒が、いくらでも漂っているはずだった。
直接、魔獣を狙うのではなく、魔獣の足元、ぬかるんだ土そのものに、狙いを変えた。土に染み込んだ水分を、一気に沸き立たせる。狼のときに使った理屈と、同じものだった。
放たれた炎は、魔獣の足元で、白い蒸気を伴って弾けた。突然の熱と湯気に、魔獣は驚いたように後ずさり、体勢を崩した。
「今だ!」
ガランが、その隙を逃さず、盾で魔獣の脚を強かに打ちつけた。魔獣が、大きくよろめいた。
完全な決め手にはならなかった。だが、体勢を崩し続けることで、ガランたちの攻撃は、次第に有効打として通るようになっていった。私は、何度も同じ手を繰り返した。足元を狙い、蒸気で怯ませ、その隙に、前衛が攻撃を叩き込む。単調な繰り返しだったが、それでも、確実に、魔獣の体力を削っていった。
何度目かの応酬の末、ついに魔獣が、大地を揺らして倒れ伏した。
パーティの誰もが、荒い息をつきながら、しばらく言葉を発せずにいた。
「……危なかったな。だが、助かった」
ガランが、汗を拭いながら、そう言った。私は、自分の魔法が、決して万能ではなかったことを、痛いほど実感していた。表面の炎をぶつけるだけでは足りない。かといって、まだ、対象の内側にまで踏み込む術は、私の中にはなかった。ただ、目の前の状況に応じて、使える理屈を、必死にかき集めただけだった。
それでも、これまでの自分より、確かに一歩、前に進めたという実感だけは、あった。
討伐を終え、王都への帰路につく道中、パーティの面々の、私を見る目は、以前とは明らかに違うものになっていた。臨時雇いの新人ではなく、一人の実力者として、皆が、自然に接するようになっていた。
「王都に戻ったら、正式にうちに来ないか」
ガランが、道すがら、そう声をかけてきた。悪くない話だった。だが、私は、迷わず首を横に振った。
「帰る場所が、、あるから」
その答えに、ガランは、少し意外そうな顔をしたが、それ以上は、深く追及してこなかった。
王都の城壁が、遠くに見え始めた頃、私の足取りは、自然と速くなっていた。早く、この話をセンセイに聞かせたい。そう思う気持ちが、疲れた身体を、それでも軽くしていた。




