【閑話】幻の店「食事処 双翼」
本編完結後のまったりした日々の事とか
魔国城内でいつからか、とある噂が広がり始めた。
夕暮れ時、ふと気づくと王城内に見慣れぬ白木の引き戸が現れる。
ある日は唐突に廊下の突き当りの石壁に。
またある日は、等間隔に並ぶ美麗な扉の端に忽然と。
その素朴な引き戸には白い暖簾がかかっている。
その引き戸を一度目にした者は、その暖簾をくぐるまで逃げられはしない。
踵を返してその場から離れようとも、その者の目線の先には必ず引き戸が現れる。
その引き戸の向こうに足を踏み入れるまでは、その者は王城の外に出る事は叶わない。
観念してその引き戸に手をかけ暖簾をくぐると、なんとも食欲を刺激される香りとともに豊かな白髭を蓄えた厳つい爺が2人、笑顔で待ち構えている・・・。
「「よくぞ参った!!」」
「ひいいぃ!!」
「こんばんはー。大丈夫ですよー、怖くないですよー」
今夜の犠牲者もとい、お客様は瘦せ型の文官っぽい男性だった。
カウンターの向こうからエプロンを装着したトランお爺ちゃんとドッドお爺ちゃんが元気よく男性に挨拶するも、男性は完全に及び腰だ。
「む?お主、二度目だな。なんだ、まだ肉が足りておらぬようだな。どれ儂の手製のスペアリブを振る舞うか!」
「うう・・・。どうぞ、もう、私にはお構いなく・・・。ずっと、胃の調子も悪くて・・・」
「ははは!遠慮せずともよい!肉を食えば力が湧く!」
「話が通じない!」
男性が頭を抱えてカウンターに突っ伏してしまった。
ドッドお爺ちゃんは男性の訴えには取り合わず、自分が出したい料理を鼻歌交じりに準備し始める。
「食べられるだけ食べてもらったら、残りはお持ち帰りで大丈夫ですよー。おかずがこってりお肉なので、一緒にナスとみょうがのお味噌汁と塩むすびを出しますね」
お疲れの様子の男性に声を掛けると、男性がゆっくりとカウンターから起き上がった。
「うう、ナツ様、お優しい・・・・」
男性の目の下にはくっきりとクマが浮かび、頬もこけていて激務が続いている事が窺える。この方、ブランパパがいる部門の方じゃなかったかなあ。ブランパパが無理を言ってなきゃいいんだけど。
その男性の後ろで引き戸がガラッと開く。
「あ、セイ、お兄ちゃん。おかえり」
「ひいいぃ!先代様と将軍閣下!!」
男性のストレス要因が更に増えてしまった。
「怖くないですよー。ただの先代魔王と筆頭将軍ですよー」
男性をどうにか宥めようとしても、男性はカウンターのスツールの上でブルブルと細かく震え続けている。
「なんと線の細い男子か。これではようよう食も進まぬであろう。どれ、夕飯は弁当に詰めなおしてやる。せめてこのスムージーだけでも飲んで帰るがよい」
トランお爺ちゃんが見かねて男性に神々しく光り輝くグラスを一つ差し出す。
肉で何でも解決、肉こそ至高といったドッドお爺ちゃんと違い、トランお爺ちゃんはその日のお客様のコンディションによって出すメニューを考えてくれる繊細さがあったりする。
「トランウィッシュ様・・・。頂戴いたします」
見た目に反したトランお爺ちゃんの細やかな心配りに、男性は感動したようにそっとグラスに手を伸ばす。
ちなみに男性が手にしたスムージーはグラスが輝いているのではなく、その中身が輝いているのである。私からすれば目が眩みそうなほどだ。男性はご神果1個丸々入ったグリーンスムージーを、最初は恐る恐る、次第に勢いよく飲み始める。
「ッ・・・、ッ・・・、プハーッ!」
スムージーを飲み終わった男性は、何という事でしょう、最初の疲れ切った様子とは別人のように目の下のクマは消え、心なしか頬にもハリが出ている。
無事に男性のご神果ドーピングは終了した。
「うむ、だいぶましな顔つきになったな。男子はともかく肉を食え!帰ってからしっかりと食すがよい!」
「うっ!」
男性の前にずっしりとした重量が感じられるお重が一段置かれる。中にはドッドお爺ちゃんが午前中から仕込んでいた、スペアリブがぎっちりと詰まっている。ちなみにソースにもご神果が使われていて、味は抜群に良い。
「お肉は冷蔵庫で4、5日保存できますからねー。職場の皆さんと召し上がってもいいんですよ。お重はお城の食堂に返してくれたらいいですよー」
お持ち帰り用の容器に塩むすび2個とお味噌汁を入れて、お重と一緒に男性に持たせる。
「・・・ごちそうさまでした」
精神的疲労を受けながらも、肉体的疲労は回復するという訳の分からない状況のまま男性は帰って行った。
男性が力なく潜った白い暖簾には「食事処 双翼」と流麗な文字で印刷されている。
この食事処は、「清川」から「双翼」と名前を変えてお爺ちゃん達が不定期に営業するようになったのだった。
「あいつは父上にしごかれている文官じゃなかったかな」
カウンターに座ったお兄ちゃんの前にドッドお爺ちゃんがスペアリブ定食大盛りをドンと置く。
「神域に目をつけられちゃったねえ」
お兄ちゃんの隣に座ったセイの前にはトランお爺ちゃんが銀たらのみりん漬け定食を置く。
「今日の神域の客はこれで終いだな」
私はお座敷が好きなのでテーブルで待っていると、お爺ちゃん達がお盆にご飯を乗せて持ってきてくれる。私はスペアリブと銀たらを両方食べたいので、少しずつ取り分けてもらった。お爺ちゃん達が厨房から店舗側に移動してきて、みんなで夜ご飯を食べる。
セイとお爺ちゃん達がいう「神域」なんだけど、どうやら意思がある様なのだ。
今夜の男性が半泣きでやって来たのは、神域による回避不可能の強制招待イベントが原因だ。神域強制招待のターゲットにされるのは、たいていが王宮勤めの人々、それも幹部未満の中堅どころの人が多い。
ちーちゃんがお店をやっていた時にも幹部以外の職員さんが1人でふらりとやって来る事があったけど、あれも神域の意思によるものだったそうだ。あの人にご神果食べさせてねって言わんばかりに、店舗の中によく実がついたご神木の枝が伸びてきたもんね。
ちーちゃんが店主の時は、お客さんは心身ともに満たされて気分よくお帰り頂いていたように思う。
お爺ちゃん達が店主をつとめる様になったら、お爺ちゃん達とお客さんの相性が合うか合わないかは博打のような状況になっている。
カウンター内にズンと仁王立ちでいるお爺ちゃん達に喜ぶのは武官の皆さん。魔術士の人も喜ぶ人が多いかな?相性が合う人達はお爺ちゃん達のご飯をモリモリ食べながら、お爺ちゃん達の武勇伝を聞き、時には悩みを相談し、戦闘力向上のための質問などもしたりして、有意義な時間を過ごし、大満足で帰っていく。
可哀想なのは今夜の男性のような文官さんや研究職といったナイーブな内勤の方々だ。
繊細なお客さんはまずカウンターにいるお爺ちゃん達に震えあがり、お店には幹部の方もふらりとやって来るので目上すぎる上司と鉢合わせて震えあがり、今日のようにセイの帰宅とぶつかる場合もある。
「アーウェンの意思が神域にはまだ色濃く残っているんだよね」
セイが言うには、愛し子大好きアーウェンが魔王の治世が上手くいくように有望な王城勤務の皆さんの底上げ(ドーピング)をしようと強制招待をしているのだそう。
半精霊化しているお爺ちゃん達は、この世界の理に魔族の皆さんよりもより深く繋がっているので、「今日は2人来る」とか、神域の招待人数までわかっちゃうのだそうだ。
セイが魔王の時はそれほどでもなかったけれど、クルム君の治世になってからはアーウェンの意思を継いだ神域がより心配しているのか、「清川」を営業している時よりもご招待のお客さんが多いように思える。
余談だけど、愛し子大好きアーウェンの意思を色濃く残す神域は、清川家自体も少しずつ時間をかけて増改築していた。
最初に気付いたのは、ある日セイが居間に入って来た時。
セイはいつも鴨居の下を頭を屈めて潜っていたと思ったのだけど、いつの間にやら鴨居の下を屈むことなく楽々と通過していた。
明らかに家のサイズがおかしい。それから私は自宅をくまなく見て回った。
「家全体が、おっきくなってる!!」
それも物凄く!見た目だけは日本家屋だけど、規格が全然日本家屋じゃなくなっていた。足元を見れば畳が通常の数倍のサイズになっていた。
愕然とする私の前でセイは爆笑していた。
「あー、お腹痛い。奈津、気付いてなかったの?俺も双翼達も余裕で家の中歩き回ってるじゃない」
セイに言われて見上げた天井は、ビックリする位に高くなっている。押入れの上の天袋なんか、脚立がないと手が届かない位だ。
ハッとして、私はお爺ちゃん達が使う布団を居間に広げてみる。
「布団も大きい!」
我が家にお爺ちゃん達がお泊りする時は、厨房働きした後の魔人フォームのままなのだった。
日本人規格のお布団ではセイの足でもだいぶはみ出していたのに、2メートルを優に超すお爺ちゃん達が布団にゆったり収まっているのがおかしかったのだ。そしてお爺ちゃん達が悠々と布団を敷いて眠れる居間のサイズももちろん大きくなっている。
更に私はハッとして、店舗の厨房へと走る。
「で、でっかーい!!」
私が厨房に足を踏み入れると、巨人の国に迷い込んだ小人状態だった。流し台が私の目線の上にある・・・。
厨房は魔人フォームのお爺ちゃん達用に変貌を遂げていた。これはもう、私はもちろんちーちゃんもこの厨房に立つことは出来ないだろう。
店舗の厨房の業務用冷蔵庫は2倍以上の大きさになっているし、知らないうちに大きなオーブンや食洗機も付いていた。
「これが・・、神域の忖度の結果・・・」
「ごめんね、奈津。自宅が変わるの嫌だった?」
ちょっと心配になったのか、セイが恐る恐る聞いてくる。
「ううん。大丈夫だよ」
私はセイが安心するように、セイをギュッとハグした。
「改めてあちこち見て回ったけど、自宅の台所や水回り、お仏壇のサイズは変わってなかったの。セイとお爺ちゃん達の生活に支障がある部分だけサイズが大きくなってるみたい。私の事も神域は考えてくれてるみたいだから、嬉しかったよ」
「そっかぁ」
ホッとしたようにセイに笑顔が戻った。
更に余談なんだけど、半精霊化しているお爺ちゃん達は体が代謝を行わず、お風呂もトイレも必要が無いという驚きの事実をこの時に知った。食事をする必要もないけど、その点は娯楽の範囲の行為なのだそう。だから清川家のお風呂とトイレは通常サイズだったという事情もあったみたい。清川家の全てが店舗の厨房のように巨大化していたら私が暮らせなくなるので、その点は本当に良かった。
まあみんなが困らず快適になるなら私に不満は無い。
そんなこんなで、愛し子が快適に暮らせるようにと神域はセイの生活に干渉し、クルム君の治世も支えるべく王城の人々に神域なりに支援を行っているらしい。
セイと二人でまったりと食べるご飯も美味しいけど、こうしてみんなで賑やかに食べるご飯ももちろん美味しい。
「ナツ、元気か。変わりはないか?」
「お兄ちゃん、先週お城で会ったばっかりじゃん」
「そうだけどな」
「トランウィッシュ、銀たら美味しい。塩むすびもう一個欲しい」
「うむ、しばし待て。糠漬けも少し出すかな」
のんびりとそれぞれ会話をしながら食事をしていると、カラリと静かに店の引き戸が開く音がした。
「ん?」
今日のお客さんはお終いだって言ってたのになあと、店の入り口を見てみると、真っ青な顔をした製薬部の魔道人形メリーさんが立っていた。
「お、お、おくつろぎの所を、私めのような者が邪魔だて致しまして、ま、誠に、申し訳なく・・・!」
「メリーさん!またご招待に引っかかっちゃったんだね!」
私は慌ててメリーさんに駆け寄り、メリーさんの土下座を阻止する。
メリーさんは私に引き起こされて、カウンターの一番奥に小さくなって腰を降ろした。
神域のご招待システムなんだけど、アーウェンの理が薄れ始めた影響でちょっとバグが生じているみたいなのだ。ご招待の対象は基本王城の中堅職員の魔族の筈なんだけど、なぜか対象外のメリーさんが時々強制招待を受けてしまうのだ。
「うっ、うう・・。動力部に何度行こうとしても、あの引き戸が私の前に立ちはだかるのです!」
「大変だったねー。まあそんな時は割り切って気軽に遊びに来てね!」
涙ながらに話すメリーさんに私はコップ一杯の水を差しだす。
メリーさんは栄養素の経口摂取機能は付いていないので、動力部で魔力を補充する他は、嗜好品として時々水分を体内に入れるのだそうだ。台所のただの水道水なんだけど、我が家の水を飲む時に少し嬉しそうに笑顔を見せるメリーさんはとても可愛い。
出会った当初は先輩後輩関係だった私とメリーさんは、現在は立場が逆転したように私にメリーさんが畏まって敬語を使ってくれる。私はメリーさんと親しく友達付き合いしたいのだけど、セイとかお兄ちゃんとかパパとか、私の周囲の人々がメリーさんにとっては雲の上の人過ぎてどうしても今夜の登場時の状態になってしまうのだ。無理に距離を詰めるのも可哀想なので、私は一方的にメリーさんにため口を使わせてもらっている。
「メリーとやら、気にせずくつろぐが良い。しばらくすれば何事もなく帰れるだろう」
「お、お気遣い頂き、有りがたき幸せにございます・・・!」
お水を飲んでちょっと気持ちが緩んだメリーさんだったんだけど、トランお爺ちゃんに声を掛けられて再びシャキンと背筋が伸びる。
まあこればかりは、気にするなと言われてもすぐには無理な話だ。時間は無限にあるのだからゆっくり慣れていって貰えたらいいな。
私がメリーさんを介抱していると、更に再びカラリと引き戸が開いた。
暖簾をくぐり、ひょっこりと顔を見せたのはフォークさんだった。
いつもは底抜けに明るい笑顔のフォークさんが、今夜は苦笑を浮かべている。
「どうもこんばんは。また神域に呼ばれまして・・・」
アーウェンの理のバグなのか、対象外な筈なのによく強制招待されている人がメリーさんの他にもう一人いる。それがフォークさんだ。
フォークさんは辺境から王都に定期報告に来ると、高確率で強制招待を受けている。
「ははは、ほんとに神の手違いとかなんすかね?幹部で神域の強制招待受けるの、俺だけなんですけど。それとも、神が、俺の頑張りが足りないと言っているんですか?それとも、神が、俺の素行をご不快に思ってのこの仕打ちですか・・・?」
フォークさんは苦笑を浮かべながらも、若干顔も青白い。
「くっそ、早くリアンさんに会いに行きてぇ・・・」
リアンさんとは、フォークさんが王都に来ると必ず顔を出している行きつけの飲み屋のお姉さんなのだそう。フォークさんよりもだいぶ年上のお姉さまで、フォークさんが一生懸命口説いても、毎回笑顔であしらわれてしまうのだそうだ。
「フォークよ。お主の頑張りが足りぬかどうかは知らんが、何か飲み食いしていけ。それで神域の気が済むであろうからな」
「くっ・・・、辛い。ナツ様、何か・・・。心が温まる物か、言葉を・・・」
トランお爺ちゃんの言葉にフォークさんが胸を押さえる。
辺境の砦でフォーク隊と共闘したお爺ちゃん達は、フォークさんには全くもって遠慮しない。それだけ仲良くなったという事だ。
「えーと、えーと、ポテトサラダとかどうですか?」
なぜポテトサラダかというと、私がちーちゃんからお店に出せると合格を貰った唯一のメニューだからだ。我が家はポテサラが週一ペースで食卓に上がるけど、セイもお爺ちゃん達も文句も言わずにモリモリ食べてくれる。じゃが芋もゆで卵も粗くつぶしてザックリ混ぜるのがポイントだ。ここに角切りにしたご神果も混ぜているのであまじょっぱいポテサラなのだ。
「リアンさんにお土産にする?」
「えっ、いいんすか。わー、リアンさん、前の差し入れも凄い喜んでくれたから嬉しいです!」
テンションが回復したフォークさんは、それから駆けつけ一杯とばかりにご神果スムージーを一気に飲み干し、小鉢のポテサラを一瞬で食べてしまう。お持ち帰りパックにパンパンにポテサラを詰めた物を持たせて、私はフォークさんをお店の外にお見送りする。
「あ、帰れる」
引き戸の外を覗いたフォークさんはホッと息を吐きだす。
この強制招待イベントは、お客さんが神域の認めるまで飲み食いして体力が回復した状態にならないと、何度帰ろうとしても出口の向こうは帰り道が無く暗闇が広がるだけというホラー仕様なのだった。
引き戸の向こうは、無事に王都の繁華街が広がっていた。
「それじゃ、お疲れ様でした!」
元気を取り戻したフォークさんは意気揚々と繁華街に消えていった。
そのフォークさんをカウンターの奥からメリーさんが終始ゴミムシを見るような目で睨みつけていた。
メリーさんはフォークさんとほぼ初対面だったと思うんだけど、メリーさんは潔癖症の気があるのでチャラいフォークさんとは相性が悪かったかもしれない。
まあ、こういう出会いも面白いっちゃ面白いのだ。私の知り合い同士がみんな仲良くなる訳じゃないし、仲が悪かったり、知らない所で友人だったりするので案外魔国も狭い。
このように、知らない人同士が食事をしていったり、知り合い同士が同席したり、「小料理屋 清川」の頃から変わらない夜がここにはある。お店の形は変わっていくけど、これからも色んな人が入れ替わり立ち替わりお店に来てくれたら嬉しいなと思う。
「私も帰れる頃合いの様です。そろそろ失礼いたします」
メリーさんが引き戸を開けると、動力部の入口が目の前にあった。今度はお城の中に帰り道が繋がったようだ。
「お疲れ様。メリーさん、またね!」
「はい、ナツ様。製薬部でまた。皆々様、お邪魔致しました。それではお休みなさいませ」
メリーさんが丁寧に一礼し、引き戸を静かに閉めた。
これで本日の「食事処 双翼」の営業は全て終了だ。
健啖家のお兄ちゃんもご飯をぺろりと食べ終わり、ノエイデス家に帰っていく。お兄ちゃんは月に1、2回のペースでドッドお爺ちゃんの肉料理を食べにやって来る。ドッドお爺ちゃんのワイルドな肉料理を定期的に食べたくなるという言い分だけど、優しい心配性のお兄ちゃんは私の生活ぶりも見に来てくれているのだと思う。血は繋がっていないけど、家族なんだなと面映ゆくも嬉しい。
厨房とお店の後片付けを済ませたら、あとはのんびり過ごす時間となる。
今夜はお爺ちゃん達も清川家に泊っていくので賑やかな夜だ。私は先にお風呂を貰って、縁側で2つの月を見上げながら最近覚えた梅酒をちびちび飲んでいる。
縁側からはなだらかに広がる神域の芝生を見晴らす事が出来て、少し遠くに小山のように寝そべり眠っている虎の周りを小虎ちゃんが走り回っているのが見える。昼も夜も関係なく、小虎ちゃんはいつも元気だ。
「いいね、奈津。俺にもちょうだい。ロックがいいな」
「はーい」
セイがお風呂からあがって縁側にやって来た。
縁側に用意した晩酌セットで、セイのグラスにも大きい氷を入れて梅酒を注ぐ。私はそんなにお酒に強くないし、セイもそれほどお酒は好きではない。でも縁側で月明かりを浴びながら、神域の風景の前で甘いお酒を飲むのがこの頃の2人のお気に入りなのだ。
お爺ちゃん達も清川家の縁側でお酒を飲むのがお気に入りだ。セイの後からドタドタと縁側にやって来たお爺ちゃん達は、自分達の晩酌セットを持ち込み、お好みでお酒をつくり始める。
「うん?ドッドよ、そんないい酒を何でもない日にあけたのか」
「何でもない日にこそ、美味い酒は飲んでしまうに限る。何かあっては飲めなくなるのだからな」
「うむ。それは真理であるな」
もっともらしい事をお爺ちゃん達は言っているけど、別に飲みたい時に飲みたい物を飲んだらいいよね。私とセイは市販の安いパックの梅酒を大満足でちびちび飲み、お爺ちゃん達は日本産のお高いウィスキーをすいすいと飲んでいる。
「明日はお店のお客さん来る?」
「うむ。明日の招待は無いようだな。明後日は2人来るようだ。良い加減に豚バラブロックを熟成させておいたのだ。明後日は燻製にして出すか」
「やった!ドッドお爺ちゃんの手作りベーコンだ!」
ドッドお爺ちゃんの手作りベーコンはお店でも大人気で、厚切りをベーコンエッグにしてご飯に乗っけるだけのベーコンエッグ丼は、お酒好きのお客さんもお酒を脇に置いて注文してしまう人気メニューだ。普段はお酒のおつまみしか頼まないブランパパですら注文していたもんね。特製のだし醤油をタラリと掛けて、半熟の黄身を崩しながらベーコンと黄身に染まったご飯を一緒に口にかき込む時の多幸感といったら。想像するだけで口内が涎でやばい。
「トランウィッシュ、俺にはスルメイカの一夜干し作って」
「ははは、よかろう。先代は本当に魚介に目が無いな。儂は毎週干物を作らされているぞ」
トランお爺ちゃんは魚介担当で、女性のお客さんの支持が厚い。おしゃれな白身魚のカルパッチョと白ワインとか、トランお爺ちゃんはサッと出したりしちゃうのだ。セイはお肉も食べるけど魚介がより好きなようで、セイの夜ご飯はよくトランお爺ちゃんがお世話してくれている。
「食事処 双翼」は不定期ののんびり営業だけど、お爺ちゃん達の美味しい料理を食べて、元気になったお客さん達が魔国の運営を頑張ってくれたら、それはクルム君の助けにもなるよね。
「お店をこれからも頑張って、クルム君を陰ながら助けるぞー」
「「応!!」」
私の緩い宣誓に、セイが軽くグラスを掲げ、お爺ちゃん達は大音声でそれに応える。
すると、遠くで一匹遊びをしていた小虎ちゃんが私達の酒盛りに気付いてこちらにまっすぐに駆けて来た。
「むっ!小虎よ、これはいかんぞ。味が濃くてお主には毒だ。これ、よさんか」
清川家の狭い庭に小虎ちゃんが顔を突っ込んできて、お爺ちゃん達がつまんでいたドライソーセージの匂いをしきりにフガフガ嗅いでいる。小虎ちゃんはほぼ大人サイズになってしまったので、おつまみのドライソーセージなんて一口分にもならないんだけど、トランお爺ちゃんは根負けして小虎ちゃんの為の塩分控えめお夜食を準備しに席を立った。
「小虎ちゃん良かったね。おやつもらえるよ」
「ガウルンルルル」
小虎ちゃんは私の隣に移動してきて、大きな鼻面を私の腰に当てて喉をご機嫌で鳴らしている。小虎ちゃんの顔面をクッションにして体を預け、私は明るい夜空を見上げた。
今夜は月も特に明るくてきれいなので、みんなで月見酒をしながら夜更かしするのも良いなあ。明日のお店はお休みだし、非常勤魔王補佐のセイもお仕事がお休みだ。
半ば隠居生活のような、贅沢なスローライフの幸せを噛み締める。
なんでもない神域の夜は、こうして今日も穏やかに過ぎていく。




