10話 兄は冷静
(エゼキエル)
通信役のカッコゥをディアナのもとへ向かわせていたのは、たまたまだった。
まず、オートマトンが主国の北部を侵攻していると報告があり、エゼキエルは軍を送ることになった。
偶然、魔王城に居合わせたサウルとザカリヤは帰国を遅らせ、瀝青城からの援軍を待った。
カッコゥが瀝青城にいたおかげで速やかに援軍の要請をできたのだが、今思えば、それが間違いだった。
援軍を出したため、瀝青城の守りは弱くなった。さらに、参謀役であるサウルと騎士団長のザカリヤが不在の状態である。
オートマトンの北部侵攻から五日目、瀝青城は襲撃された。
「なんてことだ!! すぐさま、ディアナを助けに行かねば!!」
愛する女が危険にさらされている。エゼキエルは狼狽した。
「くそっ……! なぜ、サウルは留守にしたのだ!」
サウルに憤怒した。これでディアナに何かあったら、ただでは済まさない。
サウルとザカリヤは自軍と合流し、オートマトン討伐に出向いている。まさか、グリンデルから一番離れた瀝青城が攻撃されるとは、誰も思わなかった。
サウルにしてみれば、自分を振った女の安全より、軍務を優先させるのは当然だろう。事前に警戒すべきはエゼキエルだった。
「そうだ! カッコゥだ!」
青い小悪魔は瀝青城にいる。襲撃の報はカッコゥがもたらしてくれたのである。
しかし、短い距離ならカッコゥのところへ瞬間移動できるが、瀝青城は無理だった。
エゼキエルは瞼を閉じ、カッコゥの意識の中へ入った。
カッコゥは猛女(イザベラ)の肩に乗り、玉座に沈み込むディアナを見ていた。猛女が不安がるディアナを励ましている──
城を包囲され、ディアナは気が気でないだろう。すぐにでも行って、抱きしめてやりたかった。
瞼を上げたエゼキエルは思いを行動に移した。
ラセルタに命じ、月読を持って来させる。兵を引き連れ、愛する女を助けに行こうと思った。
「待て!!」
止めたのは現世の兄、サムエル。
「エゼキエルよ。軍務を放棄して城を離れるつもりか?」
「放棄はしておらぬ。一時的に離れるだけだ」
「今は戦の最中。王が自城を離れるには、相応の理由がいる」
エゼキエルはうんざりした。
頭の固い骨野郎は納得いくまで、反対し続けるつもりだ。
「一刻を争う事態なのだ! ごちゃごちゃ言って、邪魔するな!!」
「罠だったらどうする? 魔国とグリンデルは隣接している。留守中にこの城が襲われたら?」
「その時はその時だ! 今はディアナの命のほうが大事だ!」
「王は個人的な感情より、国のことを優先せねばならぬ」
兄の言うことはもっともだと思う。他のことであれば、ユゼフの精神に侵食されたエゼキエルは言うことを聞いただろう。だが、これだけは絶対に譲れなかった。
「愛する女を失うぐらいなら、王位など、かなぐり捨ててやる!」
「ならば、我も同行しよう」
「え!?」
エゼキエルは、済ました白い頭蓋をまじまじと見た。顎骨はカチ……と元の位置に戻っている。どうやら、本気のようだ。
現世の兄はわがままに付き合ってくれるという。心苦しい反面、素直になれず、エゼキエルはしかめ面を意識した。その代わり、すべきことはきっちり済ませようと思う。
王の間に魔将たちを集め、不在中の指示を細かく出した。ティムには情報総括の役目を与える。報告をまとめてもらい、後ほどカッコゥを通じて伝えてもらおう。カッコゥは、エゼキエルが到着するまでディアナの所に留め置く。所在不明のリゲルのことは放っておいた。
魔人たちは虫食い穴を通れないので、飛空部隊で行くことにした。彼らの翼は優秀だ。移動範囲によっては、人間の足で虫食い穴を経由して行くのと、所要時間はたいして変わらない。ティムに命じて、魔王城と瀝青城をつなぐ虫食い穴の設置も考えていたが、まだ実現していなかった。もし、虫食い穴があれば、エゼキエルはユゼフの姿になり、単身で乗り込んでいただろう。
サウル、ザカリヤの留守、虫食い穴の未設置……悪い要素が重なっていた。
主国から来た報告では、グリンデル軍は十万を超える大軍だと。時間の壁をどのようにして抜けたのか、疑問が残る。
エゼキエルは千の飛空隊を引き連れ、魔王城を出発した。内海の上空はところどころ時空がねじれているため、海岸線に沿って南下する。魔人、人間だけでなく、鳥獣に至るまで周知されている常識だ。
氷点下の寒空だろうが、エゼキエルの飛空隊はものともしなかった。彼らはハヤブサやイヌワシより速く飛べる。重そうなサムを乗せるバジリスクが気の毒ではあった。死の軍団は首領であるサムが命じれば、どこであろうと地の底から這い上がってくるらしい。便利な連中だ。
アスター傘下の青い鳥やグリフォンに乗った主国の騎士団を目の当たりにして、エゼキエルの人間に対する評価は大きく変化していた。以前だったら、自分一人でなんとかしようとしていた問題も国単位で考える。人間を侮るのをやめたから、それなりの兵を率いたのだ。
どこまでも続く青空に背中を圧迫されるようで、苦しかった。空が青ければ青いほど、広ければ広いほど、気持ちが急かされる。
飛ぶのに夢中で、カッコゥの意識に入るのを怠っていた。一日も経たぬうちに、状況が変わるとは思いもしなかったのである。
日が傾き始め、まばら雲が増えてきたころ。エゼキエルが高度を上げようとすると、サムの乗っているバジリスクが寄ってきた。速度を緩め、エゼキエルは兄の声に耳を傾ける。瀝青城の様子はどうかと尋ねられた。
そういえば瀝青城の襲撃に驚愕してから半日、カッコゥの中に入っていなかった。エゼキエルは翼を広げたまま、おそるおそる瞼を閉じた。
拘束され、歩かされているディアナが瞼の裏に映った。間に合わなかったのか!?……背中を氷でなでられるような悪寒が走り、エゼキエルは歯を食いしばった。
とうとう、愛する女が敵の手に落ちてしまった。悠長に飛んでいる場合ではなかった。
しかも、ディアナがいるのは瀝青城ではない。万を超える軍勢がディアナの後ろに控えている。
「どこだ!?」
黒い邪悪が愛する人に覆い被さろうとしていた。
「そんな、馬鹿な!?」
兵士たちに引かれるディアナは、時間の壁に入っていった。ディアナが入るなり、壁はぱっくり割れた。
「リゲル!?」
兵士たちを先導する魔女の姿が見えた。
「何があった?」
サムの声で寒空に引き戻される。エゼキエルは怒鳴り声を上げた。
「旋回する!! 敵軍は撤退した!!」
翼を持つ魔人兵たちは何が起こったのか、把握できないでいた。ぐるりと方向転換するエゼキエルを同速度で追いかけられたのは、サムだけだった。
「エゼキエル! 落ち着け! きちんと話せ!」
「グリンデル軍はディアナを捕らえると、城を占拠せず撤退した。時間の壁を通って……」
「リゲルだな?」
リゲルの裏切りを言い淀んでいると、サムは即座に被せてきた。
「中隊長以上には事情を周知させる必要がある。飛びながらでいいから、魔紋伝令に伝えろ。いったん地上に降りさせ、伝令から各隊長へ周知させるがよかろう」
当たり前のことだ。魔紋伝令は眷属であり、エゼキエルは心に直接呼びかけることができる。動揺するあまり、総大将としての自分の立場すら忘れそうになっていた。
「すまぬ……」
「気にするな。我らは飛び続け、飛空隊には、あとから追いついてもらおう」
兄にはいつも助けられる。ユゼフの時は触れあう機会が少なかったと聞いていたから、後ろめたさもあるのだろう。しもべとなった今は、充分過ぎるほど尽くしてくれる。
兄に背中を押される形で、エゼキエルは飛行速度を上げた。




