9話 逃走
前に出ようとするアッヘンベルを、ナスターシャ女王は制止した。
「無礼な小娘には、騎士に斬られるより相応しい散り方があるだろう」
「無礼な? どの口が言っているんだ? ディアナ様はアフロディテ女王の生まれ変わり。アニュラスに住む人間の礎を築いたお方だ」
ミリヤは言い返した。
悪辣なナスターシャより、エゼキエルやシーマ、サウルのほうに王の風格が備わっている。人間ではない彼らのほうが優れているし、気高いのだと今ではわかっていた。
嗜虐趣味者の碧眼は動かない。自尊心を傷つけられた報復として、ミリヤたちを最も残忍な方法で死に至らしめたいのだろう。
──わたしとイザベラは何があっても耐えられる。けど、ディアナ様は……
背中にディアナの熱を感じつつ、打つ手がなくなった時は彼女を殺すしかないとミリヤは決意した。
ナスターシャ女王は高い鼻をツンと上に向け、ミリヤを見下ろした。
「愚かなディアナは、何の力も持たぬ小娘。アフロディテの生まれ変わりであるはずがなかろう」
「アフロディテ女王の持つ光の権能は、別の転生者に引き継がれた。そして、それは今、わたしの体内にある」
「よくもまあ、そんな嘘を……」
「嘘だと思うのなら、じかに感じればいい」
ここで制御されるのは魔力だ。光の力──霊力は自由に使える!
ミリヤは左手に力をこめ、光球を作り出した。その光球を、ナスターシャめがけて解き放つ!
……残念ながら、当たらなかった。
ナスターシャの脇に控えていた大柄なフルアーマーの盾に跳ね返されたのである。ミリヤは光球を放ち続け、周囲の衛兵を蹴散らした。
──城内に逃げ込むことはできないか?……主殿の玄関から、鏡の隠し通路までは距離が遠すぎる。ディアナ様を連れての移動は厳しい。
この場にいる衛兵だけなら、なんとかなるが、城内に控えているのと挟み撃ちされるとまずい。
ミリヤは胸元にしまっていた魔瓶を取り出した。
「出でよ!!」
ユゼフのグリフォンは煙を立ち上らせ、視界を遮った。
「ディアナ様! 早く、お乗りください!!」
腰の上がらないディアナを、ミリヤは抱いて立たせた。
「でも……イザベラは……」
ミリヤは答えず、ディアナの腰を押し上げ、グリフォンに乗せた。
グリフォンは三人乗れる。だが、視界の悪いなか、数キュビット先のイザベラの所へ行き、拘束を解いてやる余裕まではなかった。もし、助けに行こうものなら激怒され、ありったけの呪力で殺されそうである。
イザベラが自分の立場でも、同じように行動したと思う。恨みっこなしだ。
──イザベラ、ごめんな。本当なら、弱いわたしのほうが残るべきなんだろうが
アンジェリーヌ夫人の顔が脳裏にチラつき、目の奥が熱くなった。
「しっかり、つかまっていてください!!」
もしもの時のために、ハーネスぐらい着けておいてほしかった。ユゼフめとミリヤは舌打ちしたあと、ユゼフ本人が乗る用の物を、ディアナが盗んだのだと思い出した。
過去で逢い引きした際、だまし合いはやめ、思いの丈をぶつけ合い、二人が契っていれば……
結局、結ばれる運命だったのだ。邪魔すべきではなかった。最初から二人が手を取り合っていれば、こんなややこしい話にはならなかったし、危険も回避できたかもしれない。全部、全部あとの祭りだ。
ミリヤはディアナを後ろから抱きしめるようにして、またがった。
下半身に寒気が走り、グリフォンが浮上する。咆哮が煙を散らし、向かってくる衛兵が見えた。ミリヤは盾をイメージし、大きな光壁を作り出した。光壁は津波のように兵士たちを絡め取り、吹き飛ばした。
自分の能力を確認できたのはほんの一瞬で、次の瞬間には塔の近くまで上がっていた。
ミリヤは弱々しく呼吸するディアナの耳に口を寄せ、ささやいた。
「大丈夫です。ディアナ様、わたしたち、二人とも幸せになりましょう? 無事帰って、愛する男の人と一緒になるんです。ディアナ様はエゼキエル王と……わたしは……」
頭上を矢が過ぎていき、ミリヤはディアナに覆いかぶさった。城の屋上にいる弓兵たちが、こちらを狙っている。
「もっともっと、浮上しろ! ヴァルデオ・ゾラ=ドラゲ!」
古代語で命令する。体に力を入れて、グリフォンの首まで手を伸ばそうとするが、思うようにいかなかった。光の力は予想以上にミリヤの体力を奪っていた。
──ああ、意識をしっかり持たねば……やはり、わたしの体では負い切れなかったのだな
力に助けられてはいる。けれども、寸差のところで足りなかったのかもしれない。
先ほどの盾がもう一度出せれば、変わっていたのだろう。
塔から、主殿、後殿の屋上から、矢で狙い打ちされた。グリフォンは吠え、激しく羽ばたいた。翼に刺さった何本かが致命的だったと思われる。
グリフォンはよろよろと低く飛び、その間にも弓兵の猛攻を受けた。やがて、塔の合間を抜け、丘のところで緩やかに降下した。
緩やかといっても、着地の時はかなりの衝撃だ。ミリヤはディアナを抱きかかえ、丘の斜面を転がった。起き上がって、すぐに逃げられるだけの力は残っていない。落ちるまえにディアナを楽に死なせてやればよかったと、後悔した。
朦朧とする意識で、周囲がしだいに騒々しさを増していくのを感じていた。集まって来た兵士たちはミリヤからディアナを奪っていくだろう。そして、ディアナは──
──守人、失格だ……わたしは……守れなかった……
目の前が真っ暗で、自分が泣いているのかもわからなかった。背中が異常に冷たく、手のなかにある温もりが離れたとたん、凍ってしまうのではないかと思った。
上から誰かの声が聞こえた。
「ディアナの影武者が使っていた能力か。たしか、ヘリオーティスの」
ナスターシャ女王だ。
「しぶとい女でした。まだ生きていたのでしょうか」
「ディアナの侍女はあの女から、能力を引き継いだのかもしれぬ」
グレースも能力を持て余していたのだろう。本来、ディアナとグレースが一つになって転生を遂げた後、扱う力だ。
「パーティーの余興としては、なかなかおもしろかった。だが、予定外に時間を食ってしまった。死傷者も何人か出ているし……」
「招待客の憤怒を鎮めなければ、なりませぬな?」
ナスターシャ女王が話しているのは、アッヘンベルだろうか。鼻につくしゃべり方だ。
「予定を早めよう。見せしめが必要だ」
腕のなかの温もりが離れていき、ミリヤは絶望に落とされた。
──シーマ、ごめん。わたしのことは忘れてくれ。こんなわたしを愛してくれて、ありがとう
冷たいものが降ってきた。雪か? 主を守れなかった。空までわたしを嘲笑っているのか。
「英雄の名を申していたな? ならば、聞いてやろう。アニュラス四大英雄のなかで、一番強いのは誰だ?」
ナスターシャは、物言えぬミリヤをいたぶろうとする。
「ダニエル=ヴァルタン=イグナティウス—紅蓮剣将だ。最強の英雄は妾の手の内にある」
ミリヤは茫漠とした記憶を探った。イアン・ローズがディナーの時に、そんな話をしていた気がする。
四者会談のすり合わせ中、各城を行き来していたイアンやカオルと、何度か食事をする機会があった。
改造人間となったダニエルが、ナスターシャ女王の手元にいると……イアンのホラ話かと思っていたのだが。
──もしかして、光球を跳ね返したフルアーマーか?
体格がアスター並みにがっちりしていた。彼がダニエル卿だとしたら、強敵だ。
でも、造られた最凶兵器と本物の英雄だったら、英雄が勝つとミリヤは思う。理由はわからないのに、確信できるのだった。
──もう、わたしには関係のないことだ
ザカリヤは忌まわしい行いをしたナスターシャを許さないだろう。四者会談にいた面々は、必ずやディアナの仇をとってくれる。
人間と亜人の戦いを終わらせた彼らなら、乗り越えてくれるはずだ。
そう思うことで、死へ向かうミリヤの心は安らかになった。
ナスターシャの冷たい声が降ってくる。
「ディアナと、その侍女たちを処刑する」
ここで、ミリヤの意識は途切れた。




