66話 シオンはマイペース
和睦に合意するかは会談してから決めると、シーマは返答するつもりだった。だが、答えを出すには少々、性急すぎたようだ。
口を開こうとすると、シオンに止められた。
「待ってくれ! 渡すものがある!」
シオンは一通の文を差し出した。封蝋には、欠けた月を囲う花の刻印が押されてある──エゼキエルだ。
シーマは自分で封を切り、目を通した。
ユゼフの字が懐かしい。中身は尊大な魔王が書いたとは思えない慇懃な文章だった。
まず、援軍を送ったことに対しての感謝から始まった。前世の騒動は自身の至らなさがもたらした結果で、苦労をかけたことを申し訳なく思っている。今では妖精族を蔑ろにしたことを後悔しており、共生したいと考えていると。過去の蟠りを解いて、わかり合いたい。会談の場に是非とも顔を出してほしい。個人的な感情は抜きにして、民のために話し合いたいと思っている──このような内容だった。
「これは本当にエゼキエルが書いたのか?」
「文章はほとんど俺が考えた」
しれっと答えるシオンの横で、カオルがあたふたしている。そういえば、シオンは達筆であった。
「エゼキエルの奴、文章を考えるのが苦手なんだよ。ほんとはもっと丁寧だったんだけど、カオルやサムが横でごちゃごちゃ言うから書き直したんだ」
人の息子を勝手に使ってくれるなと。文句を言いたいが、不愉快というほどでもなかった。シーマもシオンに代筆を頼んで、やり返してやればよい。
「とても、よく書けている! さすがはシオンだ!」
これ幸いと褒めてやったところ、シオンは八重歯を見せて上機嫌になった。単純だ。
「文才があるだけじゃないぞ? 俺は魔国の戦いで大鴉を倒した。ドゥルジの眷属で一番強い奴だよ! 人間、数百人を蹴散らせるほどの戦闘力がある。俺一人で倒したんだ!」
わかりやすい証拠に自慢話を始めた。戦闘に参加しなかったと聞いていたシーマは、ジャメルをチラとにらんだ。短髭野郎はごまかし笑いをしている。
「ヘリオーティスに監禁されていたと聞いたが、剣は盗られなかったのだな?」
「うん。たぶん友達が守ってくれた」
シオンは胸元へ手を伸ばし、服の下にあるお守りを確認した。シオンの背後からのぞく剣柄は異様な瘴気をまとっている。鬼が作ったというし、人間は恐ろしくて触れられなかったのだろう。呪いの剣のようなものだ。
「ごめん……グリンデル水晶のネックレスは……」
「気にするな。おまえが帰って来てくれただけで充分だよ。本当に無事でよかった」
シーマは立ち上がり、シオンを抱擁した。以前のようには抵抗されず、眉を開く。
「ネックレスだけじゃない。形見のダガーも百日城の地図も、竜の珠も……」
シオンは言葉を詰まらせる。竜の珠とは初耳だが……シーマは憐憫の情が抑えられなくなった。守ってやれなかったと、悔悟の念に責められる。
「おまえを酷い目に合わせたヘリオーティスには必ず報復する」
シオンはシーマの抱擁から逃れ、頭を振った。
「報復しても何も解決しない。それは、この三百年の結果じゃないか? 俺は亜人と人間の戦いを終わらせに来たんだ」
シオンの瞳は淀みなく、サチ・ジーンニアを想起させた。どいつもこいつも、サチの強い思念の虜だ。数年前はちっぽけな存在だった平民出の少年が各所に影響を及ぼし、世界を変えようとしている。
「シオン、この城に戻ってくれないか?」
機嫌が回復したところで、シーマは提案してみた。王子の身分であるシオンが、まだ王にもなっていない男の家来なんておかしい。
シオンは「うん」とは言ってくれなかった。
「もう臣従の誓いも果たしたし、俺はサチの力になりたい」
「どうしてだ? 身分を捨て、王になるかもわからない奴の配下に下るというのか?」
「そうだ。俺はあの人のために戦う!」
「おまえには戦ってほしくない。ヴィナスもそんなことは望まない」
シーマはいっそのこと、シオンの身柄の引き渡しを条件に出そうかとも思った。ヴィナスの遺した子というのもあるが、短い間でも一緒に過ごしたことで情が移ったのである。
無邪気、奔放、ほがらか。隣に並ぶカオルとは違い、かわいげがある。言葉を額面通りに受け取り、裏表なく自分を表現する。怒ったり泣いたり感情豊かで、欲望に忠実。「見て」を繰り返す幼子のように自由だ。守りたくなる。
「俺に向いているのは騎士だ。難しいことはわからない」
おまえには戦いは向いていないと言いそうになり、シーマは口をつぐんだ。赤い瞳がそれこそ柘榴石みたいに、キラキラ輝いていたからである。
「まえも話したけど、俺は戦わない、戦わせない道を選びたいと思った。それと、まるで同じことをサチは考えていたんだよ! しかも、行動に移して実現させようとしていた」
シオンは興奮ぎみに話した。
「一緒に魔界を旅していて思った。こんなにも清廉で、頭脳明晰な人は他にいない。アニュラスの王にふさわしいのはこの人だと思った。そのサチと俺は、まったく同じ気持ちだったんだ」
悲しいことに、シーマはシオンに共感してやることができなかった。そんな甘い考えでは、悪い連中に喰われると思ったのだ。まさか、実現を試みるとは思いもしなかったのである。シオン一人では無理だったことを、サチ・ジーンニアはやり遂げようとしている。
シオンが取り留めのない話に入ろうとするのを、ミリヤが遮った。
「陛下、ご返答差し上げては? もう、お決まりでしょう」
焦らしてやろうと思ったのに、シーマを見る琥珀の目は期待に満ちている。昨晩、噛まれた肩がズキズキ痛んだ。
「よかろう。和睦に向けて、話し合いをしてもいい。四人で集まっても構わない」
ほとんど、言わされた形に近い。四方を固められ、逃げ道をなくされてはこうなる。
もっとゴネると思われていたのか。シオンとカオルは口を半開きにし、一時停止している。おまえたちは兄弟かとシーマは突っ込みたくなった。
沈黙を破ったのはジャメルだ。掛け声を上げ、拍手する。それに合わせてミリヤも手を叩いた。
「やめろ、ジャメル。ウザい」
シーマが訴えようが時すでに遅しで、シオンとカオルも手を叩き始めてしまった。
カオルが「ありがとうございます!!」と頭を下げれば、シオンは「やった、やった!」と宙返りする。玉座の前とか関係ない。
ジャメルは声を立てて笑い、愛しのミリヤは色気たっぷりに片目をつぶってみせる。
腹が悲鳴を上げ始め、シーマは朝食の準備を命じた。




