六合・1
あれは、何だったのだろう?
結局、名前も聞けなかった。
だるい。
体も、精神もまるで泥沼のなかにいるかのようだ。
枕が硬い。
腕が痛い。体も痛い。
「ぅ……」
動かそうとすると、ひどく痛む。
薄暗い。
ここは、どこだろう。消毒液のにおいが、鼻をつく。
ふいに手のひらにあたたかい、別の体温があることに気付いた。
「に、さ……ん?」
「……真?」
「ん……っ」
頷こうとしても、体が言う事を聞いてくれない。
呻く真の、その真っ白に包帯を巻かれているその姿を見下ろし、琳は目をわずかに開いた。
怪我をしていないその手を、あたたたくて、大きな手で握り返してくれる。
「――私は……」
「?」
琳のくちびるが僅かに開いた直後、がらっ、と大きな音をたてて扉が開いた。
「真っ!!」
「真君!」
まるでなだれのように突っ込んできた合成人間の面々と、百合子。
その大所帯に、真は驚いたように目を見張った。
(これで、よかったのかな。……おれは遺物に、ならなくても……。)
そこで、根本的な疑問が生じた。
機械と人間が融合して出来たものが遺物になると、籬から教わった。
でもあの人は、あそこにいたら、遺物になる、と言っていたように覚えている。
(遺物って、本当は何なのだろう?)
「真?どうした?どっか、痛むか?」
「大丈夫、エ霞。ありがとう」
「……ごめんなさい。真。私たち、あなたを守ることができなかった」
「謝らないで。籬にはおれが命令したんだから。籬は、ちゃんと見ていてくれた。それだけで、おれは充分だよ」
睡蓮がひどく暗い表情で頭を下げてきたけど、それを受けるわけにはいかない。
真が望んだことを、或は、我侭を聞いてくれたのだから。
「兄さんの怪我は?もう、だいじょうぶ?」
「……はい」
「そっか、よかった。……父さんは?」
琳の表情が強張る。
それでもすぐに、口を開いた。
「あの女を連れて、五室に帰りました」
「……そっか……」
頷きかけたその時、百合子の後ろに、ちいさな影が見えた。
首を伸ばそうとしたが、ひどく体が痛んでしまった故に、それは叶わない。
「社長!」
その視線に気付いたのか、百合子が叫ぶ。
黒くて長い髪、紺色のワンピースに、緋色のリボンタイ。
「しゃ、ちょう?」
「初めまして、真君。わたしは葵重工社長の、源狭霧です」
「え……」
どう見ても、真と同じほどの背しかない。そして、幼い顔立ちは、決して社長と呼ぶことが躊躇われる容姿だ。
彼女はちいさく笑って、すっと、凛とした姿勢で真の前へと歩む。
「え、と……観世水真です」
「ふふ、礼儀正しいのね。今日は、お詫びをさせていただこうと思って、参りました」
「お詫び……?」
狭霧の表情は、ひどい悲しみに耐えるような、辛そうな顔をしていた。
「わたしはね、真君。あなたの、その左腕と脳のことを知っています。勿論、イザヤのことも。わたしは、イザヤを破壊したいの。そのために、あなたを守ろうとした。でも、実際あなたは重症を負ってしまいました」
「……イザヤを、壊す?」
「はい。イザヤは、ヒトの意思を壊す機械。そんなもの、わたしは認めるわけにはいきません。イザヤを壊す。それが、わたしの真実。真君、わたしたち葵重工は、これから本格的にイザヤを壊すために活動します。しかし、あなたを巻き込むことを躊躇っている……その理由は、分かりますね?」
それは、真の実の父である高峯が五室にいるからだろう。
頷いて、それでも、と思惟をする。
それでもイザヤを破壊しなければ、きっと父らはあきらめてしまう。
『未来の人間のため』ではなくて、『今の自分を生きること』を。
高峯たちは、生きることを諦めているようにも見える。
だったら、それは駄目だ。
――あなたは、呪いを受けねばならない。
人間を守るという、呪いを。
「でも、おれは父さん達に教えたい」
ぴくり、と狭霧の眉が顰められる。
たぶん、彼女は父のことが嫌いなのだろう。
「今だって、そんなに不幸せじゃないでしょ、って」
「……真」
軋む体を押さえながら、琳に笑いかける。
「おれも、不幸じゃないよ。だって兄さんがいるし、葵重工のみんなだっているし。おれを守る為に戦ってくれたひとがいる」
それって、幸せなことなんじゃないかな、と呟いた。
「だから、その為におれもイザヤを破壊しなければいけないとおもう」
「あなたの協力に感謝します。……今は、どうか休んでください。万全の体制で、五室、そして執行部隊に挑みましょう」
「……」
真は、頷けなかった。
なぜなら、狭霧の目は怒りや憎しみ、怨恨の色を隠しきれていなかったからだ。




