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Vanitas vanitatum  作者: イヲ
第十話
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六合・1

あれは、何だったのだろう?

結局、名前も聞けなかった。




だるい。

体も、精神もまるで泥沼のなかにいるかのようだ。

枕が硬い。

腕が痛い。体も痛い。


「ぅ……」


動かそうとすると、ひどく痛む。

薄暗い。

ここは、どこだろう。消毒液のにおいが、鼻をつく。

ふいに手のひらにあたたかい、別の体温があることに気付いた。


「に、さ……ん?」

「……真?」

「ん……っ」


頷こうとしても、体が言う事を聞いてくれない。

呻く真の、その真っ白に包帯を巻かれているその姿を見下ろし、琳は目をわずかに開いた。

怪我をしていないその手を、あたたたくて、大きな手で握り返してくれる。


「――私は……」

「?」


琳のくちびるが僅かに開いた直後、がらっ、と大きな音をたてて扉が開いた。


「真っ!!」

「真君!」


まるでなだれのように突っ込んできた合成人間の面々と、百合子。

その大所帯に、真は驚いたように目を見張った。


(これで、よかったのかな。……おれは遺物に、ならなくても……。)


そこで、根本的な疑問が生じた。

機械と人間が融合して出来たものが遺物になると、籬から教わった。


でもあの人は、あそこにいたら、遺物になる、と言っていたように覚えている。


(遺物って、本当は何なのだろう?)


「真?どうした?どっか、痛むか?」

「大丈夫、エ霞。ありがとう」

「……ごめんなさい。真。私たち、あなたを守ることができなかった」

「謝らないで。籬にはおれが命令したんだから。籬は、ちゃんと見ていてくれた。それだけで、おれは充分だよ」


睡蓮がひどく暗い表情で頭を下げてきたけど、それを受けるわけにはいかない。

真が望んだことを、或は、我侭を聞いてくれたのだから。


「兄さんの怪我は?もう、だいじょうぶ?」

「……はい」

「そっか、よかった。……父さんは?」


琳の表情が強張る。

それでもすぐに、口を開いた。


「あの女を連れて、五室に帰りました」

「……そっか……」


頷きかけたその時、百合子の後ろに、ちいさな影が見えた。

首を伸ばそうとしたが、ひどく体が痛んでしまった故に、それは叶わない。


「社長!」


その視線に気付いたのか、百合子が叫ぶ。


黒くて長い髪、紺色のワンピースに、緋色のリボンタイ。


「しゃ、ちょう?」

「初めまして、真君。わたしは葵重工社長の、源狭霧です」

「え……」


どう見ても、真と同じほどの背しかない。そして、幼い顔立ちは、決して社長と呼ぶことが躊躇われる容姿だ。

彼女はちいさく笑って、すっと、凛とした姿勢で真の前へと歩む。


「え、と……観世水真です」

「ふふ、礼儀正しいのね。今日は、お詫びをさせていただこうと思って、参りました」

「お詫び……?」


狭霧の表情は、ひどい悲しみに耐えるような、辛そうな顔をしていた。


「わたしはね、真君。あなたの、その左腕と脳のことを知っています。勿論、イザヤのことも。わたしは、イザヤを破壊したいの。そのために、あなたを守ろうとした。でも、実際あなたは重症を負ってしまいました」

「……イザヤを、壊す?」

「はい。イザヤは、ヒトの意思を壊す機械。そんなもの、わたしは認めるわけにはいきません。イザヤを壊す。それが、わたしの真実。真君、わたしたち葵重工は、これから本格的にイザヤを壊すために活動します。しかし、あなたを巻き込むことを躊躇っている……その理由は、分かりますね?」


それは、真の実の父である高峯が五室にいるからだろう。

頷いて、それでも、と思惟をする。

それでもイザヤを破壊しなければ、きっと父らはあきらめてしまう。


『未来の人間のため』ではなくて、『今の自分を生きること』を。


高峯たちは、生きることを諦めているようにも見える。

だったら、それは駄目だ。


――あなたは、呪いを受けねばならない。

人間を守るという、呪いを。


「でも、おれは父さん達に教えたい」


ぴくり、と狭霧の眉が顰められる。

たぶん、彼女は父のことが嫌いなのだろう。


「今だって、そんなに不幸せじゃないでしょ、って」

「……真」


軋む体を押さえながら、琳に笑いかける。


「おれも、不幸じゃないよ。だって兄さんがいるし、葵重工のみんなだっているし。おれを守る為に戦ってくれたひとがいる」


それって、幸せなことなんじゃないかな、と呟いた。


「だから、その為におれもイザヤを破壊しなければいけないとおもう」

「あなたの協力に感謝します。……今は、どうか休んでください。万全の体制で、五室、そして執行部隊に挑みましょう」

「……」


真は、頷けなかった。

なぜなら、狭霧の目は怒りや憎しみ、怨恨の色を隠しきれていなかったからだ。


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