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Vanitas vanitatum  作者: イヲ
第十話
53/56

六合・2

「……見つかった(・・・・・)のでございますね?」


その少女は目覚め、そうしてささやいた。


「はい」


御簾のむこう。

緋袴に白衣を纏った少女は確かに頷く。


「彼は、混沌の街――東京にいます」










「……真?」


花瓶の花を換えようと病室から出た後、戻ってくるとそこにいた筈の真の姿がなかった。

正確には、「気配がない」と言ったほうがいいだろう。


ただ、冷たい風がカーテンをゆらせている。


「兄さん?どうしたの」


後ろから声がした。あれから二日しかたっていないというのに、もう動けるのか。

花瓶を机の上に置き、安堵の息を吐き出す。


「寒いでしょう?窓、締めますよ」

「うん。寒いけど、でもあったかいところにいすぎても、身体がなまっちゃうから」

「……あなたは」

「?」


あなたは、戦うつもりですか。

問うと思った言葉は、無意識的に呑み込んでしまった。

戦って、傷つくのは、琳やあの合成人間たちだけでよかったというのに。

そう伝えても、彼は納得しないだろう。

そういう子なのだ。


「いえ、……真。そういえば、最近、きちんと勉強をしていますか?」

「ぅえ。え、ええっと……」

「……していないようですね。いいでしょう。せっかくゆっくりできるのですから、私が直々に勉強を教えて差し上げます」


真が冷や汗を垂らせている姿が容易に想像できる。

逃げようと、背中で壁を這う姿も。


「待ちなさい」

「ぐえっ」


走り出した真の襟を掴むと、蛙がつぶれたような声をたてたが、これは逃げる方が悪い。


「ど、どうしたの真!今、蛙がつぶれたような声が……って、あれ?」

「主、どうし……」


琳の手のなかで、猫の首を持っているかのような姿を見て、睡蓮と籬が言葉を失った。


「ちょ、ちょっと、一体どういう……」

「ええ。最近、勉強をしっかりとしていなかったようですので、見ようとおもっていたところです。ああ、あなたたちも見てもらいたいのでしたら、ここで……」

「うええっ!勘弁!!私らは頭を使うより、体を使った仕事のほうが向いてるから!」

「そう遠慮しないでください」


睡蓮は、籬の襟首を掴んで、信じられない速度で逃げ帰ってゆく。

何をしにきたのか。

大方、真の顔を見に来たのだろうが。


「……ふふっ」


真の、ちいさな笑い声。

それを聞いて、襟首を掴んでいた手を離す。

白い髪が、ちいさく揺れていた。


「真?」

「はは、おかしい。兄さんと話してきたなかで、いちばんおかしいよ」


涙を浮かべながら笑う真は、まだ痛むのだろう、腹を押さえて苦しそうにしている。


「……そうでしょうか?」

「うん。でも、きっとこれからは、たくさん笑いあえるよね?おれ、兄さんと色んな話をしたかったんだ」

「……」


胸のうちがわが、じくり、と痛んだ。

目を伏せ、拳を握りしめる。


「あ、えと、……ごめんなさい」


沈黙してしまった事で自分が悪いと感じてしまったのだろう。

琳はかぶりを振って、そうっと真の右手を取った。


「……?」

「謝らないでください。私は、……」


その先の言葉は、言ってはならない。

禁忌だ。


――とられちまうぜ。

俺みたいな、わるーい狼にさ。


「私、は……」

「兄さん、どうしたの?どこか、痛い?」


――痛む。

痛むのは、心だ。

だが、言えるわけがない。


「ああ、何でもありません」

「……おれじゃ、駄目?おれじゃあ、兄さんの役にたたない?」


真っ赤な瞳。

それがまっすぐに琳を見上げている。


言ってしまえ。

言ってしまえば、楽になるだろう?()が。


そんな事は出来ない。

自分のためだけに、その言葉を放つことは許されない。


「兄さん?」


そうっと、真の背に手をまわす。

硝子の破片に触れるように、わずかな力で。


「変わらないでください」

「……え?」

「あなたは、……あなただけは、変わらないでください。そのままで、どうか」

「にい、さん?」


僅かに困惑したような声。

それでも、琳は続ける。


「人の為に悲しみ、人の為に怒り、人の為に戦う。それはひどく尊い事です。どうか、それを忘れないでください」


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