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Vanitas vanitatum  作者: イヲ
第九章
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遠山・5

真っ赤な目が見開かれる。

知っていた。

分かっていた。

理解していた。


真は、分かっていたし、そうだろうと思ってもいた。

なぜなら、自分は他の観世水の本家、分家にとって、尤も異形なものだからだ。

この髪を、この目を疎む分家の人間など、それこそはいて捨てるくらいいる。

分家の目から守られるように、人目につかぬように育てられた真は、外に出るときは極力目立たぬように出歩き、自分自身を隠しながら生きてきた。

そんな自分が嫌いか好きかも分からず、ただただ呼吸をするように一日一日を過ごしてきた真に、12年前――真が3歳のときに、その「お役目」を与えられた。


未来の人間のための礎。


そんな曖昧で、中途半端な目的の為に、高峯は真を「使った」。


「…なんて事を!」


睡蓮が呻く。だが、このなかで一番冷静だったのは、真本人だった。

分かっていたからだ。最初から、知っていたからだ。


「そうだよ。知ってるよ、そんな事。誰からも愛されなくたっていい。誰からも信じられなくたっていい。でも、おれはおれなんだ。自分以外の誰でもない。だから、おれはおれから逃げない」


――逃げるものか。

歯を食いしばる。愛して欲しい、信じて欲しい。その想いも、すべて真を形成するものだからだ。



「あっ…?」



アヤナのくちびるから、かすかな悲鳴が聞こえる。

琳の刃が、彼女の肩に突き刺さっていた。

血しぶきが上がり、琳の頬に降り注ぐ。


「・・・」


後姿を見せる琳は、容赦なくそのまま屋上から彼女の肩を、「押した」。


アヤナの身体がぐらり、と揺れる。

そうしてあっけなく屋上から落ち、鈍い音が真の耳朶に触れた。


「…アヤナ、姉さん…」


地上二十階建てだ。

決して、生きてはいないだろう。

冷静だった。どこまでも。


「…さて」


琳は何事もなかったかのように、呆然とたちすくんでいる二人の兵士に、顔を向けた。

頬を血で汚しながら、刀の柄を握りしめる。

二人の表情は、ひどく青ざめ、足がぶるぶると震えていた。


「このまま引き下がればよし、引き下がらなければ、私が相手をしましょう」

「…ひっ…」


喉を引きつらせ、二人の男は屋上から無様に去ってゆく。

足音が完全に消え去ると、エ霞が大きなため息を吐き出した。


「はぁ…ようやくひと段落だな。おい籬。生きてるか」

「ああ」

「籬!」


片足で立っている籬を案じて駆け寄るが、大丈夫だとうなずく。


「大丈夫だ。すぐに直せる。…それよりも、雪輪を」


未だ火花を散らせている彼女の体からは、体液が漏れ出している。

意識を取り戻した蝶子と道成寺は、彼女の体を調べる為に、片膝をついて何かを弄っていた。

蝶子が言ったとおり、雪輪はもう、鄭重に弔ってあげた方がいい。

だが、彼女の本名も、彼女の出身地も分からなければ、どうしようもできないのだが。


「真君。大丈夫よ」


目を細め、雪輪の体を見下ろしていた真の肩に、百合子の手が置かれる。


「葵重工が責任を持って、彼女の家のお墓を探し出すから」

「うん…お願いします」


百合子は屋上から落下したアヤナを確かめるべく、フェンスから身を乗り出すが、息を呑む音が直後に聞こえてきた。


「ない…」

「え?」

「死体がない!…生きているはずないのに。…誰かが、助けたって事?」


血痕さえ、ここからでは見えない。

完全に、完璧にそこから消え去っていた。


「…死体がないって事は、生きてるってことよ。百合子。あいつの事は今は忘れて、今は籬の治療と、雪輪の処置を優先しましょ」

「睡蓮…。そうね、今応援を呼ぶわ」


無線で連絡をしている間、真は籬の傍から離れることはなかった。

俯き、じっと立っている。


「ごめんね、籬」

「なぜ、謝る?」

「・・・」


左腕を差し出し、籬の足に触れようとした直後、エ霞がそれを止めた。


「…やめとけ。それはもう、使わなくていい」

「・・・」

「もういいんだ。おまえは、イザヤにもう潜らなくていいんだから」


エ霞は、知っているようだ。

真の、左腕のことを。


琳は、それを遠くから見つめ、ゆっくりと顔をそらせた。

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