遠山・4
火花を散らせながら仰向けに倒れた雪輪の、目の光が徐々に奪われてゆく。
『ザッ、ザザッ――ン』
「!?」
「何をしているの、雪華!」
がくがくと顎が震えている雪華は、こちらに攻撃を仕掛けては来ない。
ただ、籬たちの人工脳に、『それ』は聞こえた。
『ガガッ、ネ…サ…ザジジッン』
「…こりゃあ…」
満身創痍のエ霞から、かすかな声が漏れる。
この無線は、籬にも睡蓮にも聞こえているようだ。
『ネーサ…ン…ネ、ガ…イ…オネ、ガ…ワタ…ザザッシ、』
「ちっ、雪華!下がれ!!」
アヤナの声で、雪華はびくり、と体が硬直した後、屋上から隣のビルへ飛び移り、この場から数秒で消え去った。
「アヤナ姉さん!」
「真!?」
睡蓮の驚愕したような声が、真の耳朶に突き刺さる。
屋上は、悲惨な状態だった。
クレーターのように穴が開き、貯水タンクはすでに原型をとどめていない。
無事な床などどこにもないように、床じゅうぼろぼろになっている。
その光景に息を呑みながらも、アヤナの名を呼んだ。
「…あら、真君。獲物がわざわざ来てくれるなんて、探す手が省けたわね?」
まるで、あいさつをするように、彼女は笑う。
それでも、その目はどこも笑っていなかった。
革のボディースーツを着込んで、一歩、足を踏み出す。
「ダメじゃない。琳さん。"弟さん"を守るんでしょ?まあ、尤も――」
「・・・」
「あなた、真君を『弟として』見てないかもしれないけど?」
嘲笑するように彼女は狂気に笑った。
「え、…」
呆然としながらも、琳を見上げる。琳の表情は、ごっそりと落ち、サングラスのせいで目さえ分からない。
「ま、私にとってはどうでもいいことよ。雪輪はもう使い物にならなくなっちゃったし…さて、どうしましょうかねぇ…」
ちら、とアヤナの部下であろう兵士2人を見る。
男2人は、青ざめた表情で固まった。
「ふざけるな!!」
一閃、
「アヤナ姉さん。…雪輪さんは人間だったんでしょ?人間として、殺されたんでしょう?それなのに、どうして…どうして、そのまま弔ってあげなかったの?」
「――これだから子供は」
アヤナはやれやれ、とかぶりを振って、一歩、また一歩、真と琳へと足を踏み出す。
琳は真の斜め前に立ち、柄を握りしめた。
「いい?この国を遺物共から守るということは、容易い事ではないわ。あなた…真君たちだって、過去の人間たちを踏み台にして生きている。それとどう違うの?」
「・・・」
真っ赤な目が、わずかに伏せられる。
その表情に、再びアヤナが嘲笑った。
「成程。金居アヤナ。貴女はそう思っている…」
「…兄さん?」
琳は、サングラスの縁を持って、外す。その視線は、まっすぐにアヤナへと向かっていた。
その目は今まで見たなかで、一番冷たく、一番怒りに満ちていた。
真が初めて見る、その目は背筋を冷たくするには充分だ。
「人間というものは、踏み台になるために生きているわけではない。個々が、違う人生観を持ち、違う道を辿り――そして、死を迎える。それが、何万、何十万、何百万と繰り返されてきた――」
光を映さない瞳。
その暗黒色がゆっくりと伏せられ、閉じられる。
「それが何?」
「貴女には分からないのですか?“ヒトとして生きる”事への畏怖。その個々が何を決断し、何を思い、何をして生きて死んでいったのか。ヒトは、他人のためにあるものではない」
「へえ、随分と利己主義名のねえ?」
「そう捉えていただいて結構です。貴女とて、そうではないのですか?叶わぬ恋をしている、貴女は」
びゅっ、
琳の頬が、アヤナが放った、小型ナイフによって一直線に切れる。
「兄さんっ!」
「黙れ」
アヤナの、今まで聞いた事がないような低い声に、真は体を硬直させた。
「煩いッ!私は…私は…」
「貴女は、高峯の為に動いているわけではない。愛されたいが為に。その為に動いている」
「…煩い!煩い煩い煩い!!」
ヒステリックに叫び、かぶりを振る。
手がぶるぶると震えて、哀れなほどに声さえ、震えていた。
「それの何が悪い!!叶わぬ恋!?知っているわよ、そんな事!だから何?何だと言うのよ!!」
「叶わぬ恋自体を悪く言うつもりはありません。ただ…貴女は間違っている。ヒトの意思というものを、貴女は知らない。それがどれ程尊く、どれ程誇り高いものかを」
真は、耳を塞ぎたくなった。
意思がなかったのだ。
薬に犯されていたとは言え、今まで、真は言われるがままに『そう』してきた。
くちびるを噛みしめ、ただ琳の言葉に浸されてゆく。
「貴女が『踏み台』と称している人間たちにも、意思はあった。何千万もの意思が。それを踏み台と称す事ができる貴女は、既に――ヒトの心と言うものを失っている」
「・・・」
「その踏み台たちが、どんな想いで未来の人間たちへと紡いでいったのか、貴女も知らないわけではあるまい」
戦争。
大勢の人が死に、それでも未来へと繋げようとした大勢の意思。
踏み台と称することは、その人たちの意思をも無碍にしているという事だ。
「その人たちは、生きようともがいてもがいて、そしてやっと掴んだ。その決死の想いで掴んだものを、アヤナ姉さん…。あなたは、蹂躙して、はき捨てた」
「…煩い。お前に何が分かるというの」
冷えた、冷めた声。
アヤナの黒い瞳は、真っ直ぐ、射抜くように真へと向けられた。
「誰にも愛されず、誰にも信じられず、そして…誰かに使われなければ存在する意味のないお前などになにが分かる」




