春日山・3
イザヤから隔離され、最終段階に差し掛かったと高峯から聞かされたとき、真は今まで忘れていた何かを思い出した。
それは、『死にたくない。』ただそれだけのこと。
だが、それさえ今も奪われはじめている。
泡沫のように浮かんでは消え、消えては浮かび、まるで夢現のようにそれを繰り返した。
ベッドのなかで、ただただ思考さえ奪われはじめている。
まるで、人形。
まるで、死人。
元々色素がほぼない皮膚は、真っ白だ。
だが、それでも生きていた。今ではただ青白く、脈が遅く、血圧もひどく低く。
「・・・」
からからに乾いた喉を動かして、唾液を飲み込む。
乾燥した室内の空気は、あの時に感じた風とは比較にもならない。
あの冷たい、頬を駆ける風。
上下に広がる、きれいな人工的な光と、自然的な光。
あれを、もう一度見たい。もう一度、この目で見てみたい。
「も、いち、ど…」
「真」
聞きなれた、兄の声が耳朶を通り過ぎる。
いつの間にいたのだろうか。気付かなかった。
ぼんやりと映っている兄の顔は、今まで見たこともないほどに苦渋に満ちている。
「…真」
琳が、弱く、力のこもらない声で呟く。
「すまない」
「・・・」
「すまない。真」
もう、誰にも止められないのだと。
兄の冷たい手が、頬に触れる。ひやりとした手のひらに、真は瞬きをして返した。
「私はあの男を止めたかった」
目を見開く。
兄の右手。そこが、血にまみれていたのだ。
「兄さん、右手!」
悲鳴を上げる体を無視して、飛び起きる。体が軋むが、今となってはどうでもいい。
力なく白木の仕込みを持っているその手は、見れば見るほどに血に染められている。
「どうしたの?怪我、してる!」
「…私は…」
呆然と呟いている兄の様子がおかしい。
目が僅かに開き、朦朧としている。
「…にい、さん?」
「私はただ、あなたを守りたかった。それだけだった」
鬱々と言葉を吐き出す彼の、その右手。よく見ると怪我ではない。
――返り血だ。
「…まさ、か…」
このにおいは、遺物のものではない。
人間のものだ。鉄くさい、人間の。
「父さんを…」
近くで、何人もの足音が聞こえてくる。急いでいるようだ。
「兄さん!どうして…!!」
真は兄の黒いコートを掴んで、引っ張るも、彼は何も言わない。
何も、伝えてはくれない。
「…!!」
ぬるり、とした感触が手のひらに滲む。黒いコートにまぎれて分からなかったが、血がついていた。
これも返り血かと思ったが、違う。
滲む血は、後から後から出てくる。
「兄さん、こっち!」
真は兄の手首を掴んで、部屋から出、走る。
怒号と足音がまるで生き物のように襲ってきた。白い床は、血が滴り落ち始めて、まるで薔薇の花弁のように点々としている。
「!」
部屋が二階部分だったせいか、すぐに玄関は見えた。
だが、エントランスには銃を構えた人間たちが待ち構えるように立っている。
「真君」
そこには、当然のように金居アヤナがいた。
相変わらず、革のボディースーツを着、手には小銃を持っている。
「そこの男を渡しなさい」
「…アヤナ姉さん…」
「いい子だから、ね?」
彼女の手が真に差し出され、注意深く琳を見据えた。
何も言わない琳は、ただ真に手首をつかまれたまま、何もしようとはしない。
「でも、兄さんはおれを、助けようとして…」
「黙りなさい!!」
びくっ、と真の肩が竦む。
苛苛としている、アヤナの声と表情。
一歩、彼女が足を踏み出す。つられてこちらも、一歩足を下げた。
「こいつは実の父親を刺したのよ!!人間じゃないわ!ただの遺物となんら変わりはない!!」
「!」
ぱんっ、
エントランスに発砲音が響いた。




