春日山・1
アヤナシの中枢は、誰も知らない。
彼らは、どこからか指令を受け、そして行動するだけだ。
男なのか女なのかさえ、分かっていない。
「・・・」
蝶子は一人、パソコンの画面とにらめっこをしている。
エンターキーを押しても、画面はなんら変わらない。
暗闇の部屋で、かたかたとキーを叩いている姿は、不気味だった。
あきらかに「蝶子」という名に負けている。
それでも彼女は気にしていない。
薄汚れた白衣を着て、黒髪を適当にぱつんと切ったような、不可思議な髪型。
まるで、こけしだ。
「アヤナシの中枢って誰なの…」
山積みになっている栄養ドリンクを飲んで、片付けずに床に転がす。
それを、背の高いすこし明るい髪色をした白衣の男がせっせと片付けていた。
「ちょっと蝶子さん。ゴミはゴミ箱に!プラスチックの所に可燃ゴミは入れない!何度言ったら分かるんですか!」
蝶子の助手である道成寺は、怒りながらもゴミ袋に丁寧にゴミを拾っては入れている。
彼の声は聞こえておらず、ぶつぶつと独り言を呟きながらキーを叩いていた。
「まったく…」
怒りながらも彼女の世話を焼いてしまうのは、助手だからというよりも、放っておけないからだ。
彼女は生活能力がほぼないに等しい。
自分で掃除も出来ないし、料理も出来ない。
ただ、その代わりに頭脳はもしかすると、葵重工一かもしれないが、性格が性格なだけに、本領は発揮できていない。
彼女は、自分の興味がある事以外で役に立ったことがないからだ。
「アヤナシなんて危ないものなんかに構ってないで、たまには葵重工に顔出したらどうですか?」
アヤナシ、という言葉に反応したのか、椅子をくるりと回して、道成寺の顔をまじまじと見下ろす。
「アヤナシなんて馬鹿げた部隊なんて、潰しちゃえばいいのよ」
「なっ!何言ってんすか!そんなこと言ってたら本当にアヤナシが来ちゃいますよ!?危険な遺物も抱え込んでるっていうし…」
「だからね、アヤナシ共よりもっと強い合成人間を造ればいいんじゃない?」
「…蝶子さん、本気で言ってます?新しいナンバーではもう造ることができないんですよ」
暗い表情で道成寺が呟く。
ああ、そっか、と蝶子は軽くうなずいて、再びパソコンの前に姿勢を正した。
合成人間は、籬-漆号で仕舞いなのだ。
理由は、国からの圧力だった。たぶん、自分たちよりも力を持つ個体を造ることを恐れたのだろう。
しかし、それでは遺物から自分達の身を守ることができない。
よって、国は葵重工にこう通達した。
『合成人間新ナンバーの製造を直ちに中止せよ』
蝶子は道成寺に背をむけたまま「勝手なことをしてくれるよね」とを呟いた。
「…そういえば睡蓮、お国の重要人物の護衛についたみたいですね。いやぁ、出世したなあ、蝶子さん」
「ふん。私には関係ないよーだ。給料も一律、新ナンバーの開発もダメ、出世したって良い事なんてないわさ」
「まあ、そうっすね…」
道成寺は部屋の片づけを終えて、次は昼食を作るために冷蔵庫を開けた。
冷蔵庫には、彼が用意した食材がずらりと並んでいる。
きっちりと整理整頓されていて、どこに何があるのか分かっているのだが、一度蝶子が手を入れるとぐちゃぐちゃにかき回されてしまうので、彼女は冷蔵庫に触れることはない。
「あー、ダメだダメだ。まったくもって進まない。こういうときは、気分転換よ!」
「俺も気分転換したいです!美味い飯屋に行きてぇです!」
この暗い部屋から出たい。
暗くてじめじめしていて、とても気分がいいとはお世辞にも言えない部屋だ。
道成寺は飴色のコートを着込んで、白衣のまま外に出ようとする蝶子を必死に引き止めた。
「…睡蓮。いい加減に主から離れろ」
「やだ。面倒くさい」
真をまるで人形のように抱きかかえて上機嫌の睡蓮は、苛苛としている籬にあっさりと答えた。
膝の上に乗せて、ぎゅうぎゅうと抱きしめている。
「うう…」
真は心底参っているような声を絞り出して、硬直している体を余計硬直させた。
「お、おれ、トイレ行ってくる、から」
「じゃあ、私も行く!」
「…トイレくらい一人で行かせてやれ」
彼女の腕からようやく開放されると、真は急いでトイレへむかってゆく。
そのちいさな背中を見つめて、睡蓮はささやかな声色で、呟いた。
「あんな小さい子、がねぇ…。とてもじゃないけど、信じられないわ」
「そりゃ、俺もだ。だが、ありゃ“ホンモン”だろうよ」
「…本物?どういうことだ」
「言っただろ、真が。『何でも願いを叶えてくれる』って」
「真実なのか?」
だがその分、『何かを』削がれているはずだ。
何でも願いを叶えてくれるなどと、犠牲をなくしてはあり得ない。
だが今のところ、“事故で”左腕を失った以外、特別犠牲をおっているようには見えない。
「真実さ。じゃなきゃ、真をわざわざ生かせている理由はない」
「・・・」
睡蓮はくちびるを閉じたまま、むっとした表情で床を睨んでいる。
彼女にも、今までのことを記録されていた。
「ねえ、なんで真をそんなに殺そうとしているの?」




