睡蓮・9
「…ある、」
じ、と言おうとしてくちびるを開けた直後、どん、と屋上に何かが落ちてきた音が聞こえた。
そちらを反射的に見据えると、埃が舞い上がっている。
百合子たちが咳き込んでいるなか、『彼女』は現れた。
長い黒髪を後ろで結い上げ、紅白の注連縄のような布で縛っている彼女の名は、『睡蓮』と言う。
葵重工製合成人間第肆番号睡蓮-参号。
それが彼女の正式名称だ。
「ちょ、ちょっと、睡蓮。なんでこんな急に…!」
未だ咳き込んでいる百合子が非難すると、「救急信号を受け取ったから」と答えた。
「今更でしょうに…。まあ、あなたにしては早い方ね」
ため息混じりに、土煙でぼさぼさになった髪の毛をかきあげながら独りごちる。
真は何が起きたのか理解が追いついていないのだろう、呆然としていた。
「まず、紹介しましょう」
あの巨体の処理を他の研究員に任せて、百合子たちはミーティングルームに詰めた。
彼女の隣に凛としたたたずまいは、まるで日本人形のような冷たさがある。
「この子が、葵重工製合成人間の第肆番号、睡蓮-参号。真君は会うの初めてよね?」
「あ、はい。えっと、観世水真です」
睡蓮に頭を下げると、ん、と無愛想にうなずいた。
「よろしく」
彼女の格好はごくごく普通の浅紫色のワンピースだけだ。
だが、素肌は見えない。足も、黒くごつごつとしたブーツを履いている。
手にはグローブ、首周りもタートルネックで、顔以外の皮膚はどこにも見えない。
切れ目の目は、澄んだ青色をしていた。
「にしてもよく無事だったな、睡蓮。お偉いさんとこで散々な目にあったんじゃねぇの」
「うるさいわね。私は自分の任務を遂行しただけよ。遂行して破壊されたあんたに言われたくないわ」
「うぐ…っ」
正論を突きつけられて、エ霞は口をつぐんだ。
この二人はもしかすると、いいコンビなのかもしれない。
「睡蓮はね、『表』のお偉いさんの護衛だったのよ。でもそいつ、急に病死しちゃってね。病死って怪しいもので、さんざん弄くられてしまったの。結局何にもでなくって、本当にただの病死、で片付けたんだけど」
「…そうなの?」
真っ赤な目が、睡蓮に向けられる。
彼女はわずかにたじろいで、ちいさくうなずいた。
睡蓮にとって見れば、アルビノは珍しいのかもしれない。
うっ、と彼女が声をもらせた。
純粋にこちらを見上げるその目。
真っ赤な、ウサギのような目。
彼女は、白くて小さいものがだいすきだった。
ぶるぶると震える手を、真の頭に置く。
その振動で、真はわずかに首をかたむけることになった。
「・・・」
無表情で穴が開くほど見つめられて、どうすることもできずにただ立ちっぱなしになっている真に助け舟を出したのは、籬だった。
「睡蓮、主に触れるな」
「あ、そっか。籬、この子の護衛をしているんだっけ」
「ああ」
「い、いいなあ。私も、この子の護衛をしたいなあ」
なぜかどもる彼女に、百合子はちいさく吐息する。腰に手をあてて、「そういわれてもねえ」と首をひねった。
「おねがい、百合子姉さん!私も、この子の護衛にまわして!何でもするから!」
「都合のいいときに姉さんってね…。でも、私の権限じゃそうはいかないわ。エ霞は近江に了解を取ったからいいものの…」
睡蓮は、蝶子という華々しい名前の研究員が筆頭として造り上げたのだが、彼女は今現在、単身赴任中で連絡がつかない。
蝶子の部下たちはいるものの、使い物になるかどうか。
百合子は仕方なく内線で彼女の部下たちに連絡を取った。
「うん、うん。そう。そりゃあね、何でもするって言ってるから。え?どういうこと」
声がわずかに低くなる。
真には聞こえないが、他の合成人間たちは完全に聴こえていた。
『対象の護衛を増強せよとの、五室と執行部隊からの伝言です』
彼らには詳しい事情は聞かされてはいなかったようだが、やはりアヤナシに狙われていると踏んでのことだろう。
「…だそうよ。よかったわね、睡蓮」
「わぁああい!!」
彼女は子供のように跳ねて、真をぎゅうっ、と抱きしめた。
「うわあ!」
初めて感じる、そのやわらかさに思わず声が漏れる。
黒い、尻尾のような髪がぴょんぴょんと跳ねて、真の頭に自らの頬をぐりぐり押し当てた。
「はは…。えらい気に入られようだな、真」
「・・・」
籬はなぜか、面白くなさそうな顔をしている、ような気がする。
「俺、すこし妬いちゃうなあ!俺も混ぜてーっ」
エ霞は猩々緋の羽織をはためかせて、真を抱きしめ――
「さわんな」
「ふごっ」
――たが、睡蓮の肘鉄に顎をやられてしまう。
「どこ触ってんのよ!このむっつり野郎!」
「ひ、ひどい!俺は真をだな」
「あ?だったら余計むっつりだわ!真?このおっさんに気を許しちゃ駄目よ?」
わが子のようにいとおしむように、睡蓮は真の頭をやさしく撫でくり回した。




