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Vanitas vanitatum  作者: イヲ
第六章
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睡蓮・8

「なに?」


見据えられていたことに気付いたのか、振り返る。

眼鏡の奥の目は、子供らしい、きれいなものだった。

昨夜の無機質で、まるで機械のような目とは程遠い。


「…いや」

「昨日のこと?」

「・・・」


言い当てられて、籬は嘘をつくこともできずに俯く。

それに気を悪くすることもなく、見つめていた貯水タンクから目を離して笑ってみせた。


「・・・」


邪気もなにもない、微笑みだった。

籬は息を呑み、それを見下ろす。何故だ。何故、笑っていられる。

昨夜、真に危険は及ばなかったものの、確かにアヤナシは真を狙っていた。


「籬に怪我をさせてしまった事は悪いとおもってるよ」

「そんな事はどうでもいい。貴殿が――」

「どうでもいいことじゃない」


一閃、

真はどこか痛むような表情で、籬を睨みつけている。


「籬だって、エ霞だって生きてる。人間と一緒だよ」

「自分は、人間ではない。故障してもすぐに直る」

「人間だって、怪我をしたら治るよ。おなじ事でしょう」

「・・・」


返せる言葉が見つからない。

真は、真剣だった。おちゃらけた様子は見当たらない。

真剣に、言っているのだ。真剣に、人間とおなじだと言っているのだ。


「…そう、か…」


言い返せるはずもなく、籬はただ口をむすんだまま真をじっと見下ろした。


「籬は、うれしいって言ってくれた。それが嘘でもうれしかったよ」

「…!」

「おれが生きていてくれて、うれしいって。そんな事言われたことなかったから」

「・・・」


確かに記録されている。

真はうれしそうに笑って、籬の腕に左腕でそうっと触れた。


「…この腕はね、願い事を叶えてくれるんだって、イザヤが言ってた」

「…願い事?」

「うん。イザヤは、おれのことをよく知ってるし、色んなことを教えてくれる」


これは、誰にも言っていない。

高峯にも、琳にも、誰にも。

せめてもの意趣返しだ、とだけおもっていたそれは、まるで御伽噺のようだった。


「おおっとぉお!」


びくっ、と真の肩が竦む。

エ霞の声だった。わざと音をたててこちらに向かってくる。

大またで歩いてきて、真の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。


はたから見れば、じゃれあっている様子にしか見えない。

しかし、エ霞の表情は硬い。

それに気付き、口をつぐんだ。


「…真」

「別に、もう…隠さなくてもいいんじゃないかって、おもって」

「駄目だ」


エ霞らしかぬ、険しい表情でかぶりを振る。


『どういうことだ』


無線が急に入ってきたが、エ霞は口を噤んだまま押し黙った。


『エ霞』

『…よく考えてみろ。五室や、執行部隊共が真を“わざわざ”生かせている理由だ。真しか知らない情報をどうやって吸い取るか。それを考えあぐねているんだろうよ』


不思議そうに、籬とエ霞を見比べている真は、やはりそのことを知っているのだろう。

何も聞こうとはしてこない。


「主。主はどこまで知っている?どこまで、自分のことを知っているんだ」


ふっ、と、赤い目が暗闇に落ちる。

昨夜の、無機質で、何も感じていないような瞳。


「ぜんぶ。ぜんぶだよ」


まるで、他人事のように真は呟くようにささやいた。

真っ白な手が握りしめられて余計白くなる。


「おれは、おれから逃げられない。どう足掻いても」

「・・・」

「父さんが、全部話してくれたから。おまえはあと数年しか生きられないから、好きなことをして過ごせって」


真は、感謝していた。

下手にこそこそと隠されていたらきっと、もっと傷ついていただろう。


「でもね!」


声色がくるりと変わって、真は楽しそうに顔を崩した。

それでも、むりやり笑っているという事はエ霞でさえ、分かっている。


「籬や、エ霞たちと出会えて、おれは救われたんだよ」


籬は、ずきりとした胸の痛みを感じた。


それは、感じたことのない内部的なものだった。

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