3話 前編 『青果コーナーが解禁されました。』
翌朝、私は干し草のベッドの上で目を覚ました。
昨夜は「子供の頃に憧れてたあの某国民的アニメ ハ◯ジのベッドだ…!」と興奮しながら眠りについたものだ。
ハ◯ジといえばあの木のボウルに入ったとろんとしたチーズが乗ったパンも一生のうちに食べてみたいな…なんて。
それにしても、久しぶりによく眠れた。満員電車も、鳴り止まないスマホも、ここにはない。
それがなんて素晴らしいことか……
「おはよ、メイ。よく眠れた?」
暖炉の前でマルタさんが振り返る。窓から朝の光が差し込んでいる。
明るいところで見ると、マルタさんの顔は昨夜よりずっと若々しく感じた。
ふと気になって聞いてみる。
「マルタさんって、おいくつですか?」
「あたし? 二十五だけど」
……同い年だ。
「ええっ、私も!」
「ほんと? なーんだ、それならもっと早く言ってよ」
マルタさんがけらけら笑う。
「というか同い年なら堅苦しいの禁止で! マルタって呼んでよ」
「ふふ、マルタ。なんか照れるかも」
なんだか急に距離が縮まった気がした。
同じ二十五歳。
私が満員電車で吊り革に揺られている間、マルタはこの村でテオを育ててきたわけだ。
同じ年齢なのに、過ごしてきた中身はまるで違う。
それでもこうして笑い合える事が、なんだか嬉しかった。
テオがもぞもぞと身を起こし、こちらへやって来る。
「テオ、おはよう」
名前を呼ぶとマルタの後ろへぱっと隠れる。照れているらしい。
けれど、その隙間からチラチラとこっちをうかがっている。昨日よりずっと元気そうだ。
「あの子があんなに食べたの、ほんっと久しぶりなの。しかもこんなに元気な姿が見れるなんて…。」
マルタが木のテーブルにパンを並べながら言う。
「うちの村ね、ほんの二、三年前まではもうちょっとマシだったの。隣街から行商も来てたし、甘い実だってやわらかいパンだって、たまには食べられた。テオも小さいなりに『おいしい!』ってよく言ってたのよ」
『美味しい』という言葉は、ちゃんとある。この子もちゃんと知っている。
失われたのは言葉じゃない。それを言える食事のほうだ。
「でもここ最近は、街道がさびれて行商も来なくなって。
良いものは基本的に王都のほうに流れてっちゃう。
あたしらの口に入るのなんて、硬いパンと塩と多少の穀物くらい。やんなっちゃうわよね」
あっけらかんとマルタは笑う。けれど、ふとその手が止まった。
「あの子……あれから、だんだん食べなくなっちゃってね。
昔の『おいしかった』を覚えてるぶん、今のパンが余計に味気なく感じるみたいで。
『どうせおいしくないもん』って」
すとん、と、疑問に思っていたことが腑に落ちた。
そうか。テオが食べなくなったのは、わがままでも病気でもない。
この子は美味しいものを知っている。知っているのに、もう手に入らない。
だから食べることそのものに、希望を持てなくなっていたのだ。
昨日のバターのパン。あのとき見開かれたテオの目は、初めての驚きじゃなかった。
あれはきっと―忘れかけていた幸せが、ふいに戻ってきた顔だ。
……前の世界の私も、ちょっと似ていたかもしれない。
週末のデパ地下だけが、すり減った私の唯一の楽しみだった。
あの時間がなかったら、私もきっと「どうせ」と言う側になっていた。
だったら、尚更。
テオに、もう一度ちゃんと知ってほしい。食べることがこんな幸せだってこと。
一回きりではなく、これからずっと続くものとして。
「ねえマルタ。私、もう少しこの村にいてもいい?
……ちょっと、やってみたいことがあるの」
マルタがきょとんとした顔で私を見て、それからにっと笑った。
「いいに決まってるじゃない。むしろ大歓迎よ。……まあ、何にもないところだけどね」
何にもない、か。ふふ、と私は心の中で笑った。
ないなら、これから増やせばいい。いくらでもチャレンジすればいい。
自分にできることを探すんだ。
青果コーナーは後編で解禁します!




