虚位(きょい)の水脈
この小説はフィクションです。
「強者の倫理」が今もなお世界を支配し続けているとしたらどうなるか、という仮定に基づき、現代社会が抱える排他的経済水域(EEZ)の脆弱性、核兵器のあり方、あるいはドローン兵器の現実を客観的に組み立てていった結果、浮かび上がってきたひとつの可能性の物語です。
またDVが国家にあると仮定した場合
妻日本、夫アメリカの構造(逆もあります)
もしかしたらなりたつのではないかということも、小説に組み込んでいます・・・
本編
二〇二五年秋、アメリカが「国防総省」の名称を「戦争省」へと戻したというニュースが世界を駆け巡った時、人々はそれを単なる大統領のパフォーマンスだと笑った。
だが、海野だけは背筋が凍るのを感じていた。それはパフォーマンスなどではない。既存の国際秩序を破棄し、目先の勝利のために「戦争を解禁する」という、剥き出しの意志表明だった。
海野は民間の海洋資源研究所に籍を置く技術者であり、同時に、世界の不条理を冷徹に見つめる「知恵者」でもあった。
時代は変わっていた。数万円の安価な自爆型ドローンが、数十億円の最新鋭ミサイルや戦車を次々と無力化する現代戦のリアル。
高価な兵器に依存してきた大国の優位は崩れ、戦争はより泥沼化し、予測不能になっていた。
「これからは、海のドローンだ」 海野が密かに開発を警戒していたのは、自動航行型の「自爆型核潜水艦」だった。
深海をステルスで進み、標的の沿岸で核を爆発させる。
発射元が特定できないため、従来の「撃たれたら撃ち返す」という核抑止力は完全に崩壊する。
全面核戦争による世界崩壊は起きない代わりに、誰の仕業か分からない核テロがダラダラと続く暗黒時代が来る――。
海野はそのレポートを政府の安全保障会議に提出した。
しかし、日本の官僚たちの反応は冷ややかだった。「アメリカが我々の先導者である以上、突出した懸念は無用だ」
彼らはいつだって「空気を読む」。
真実を知っていても喋らない。波風を立てないために身を引く。
それが彼らの倫理だった。
10年後の未来ではなく、今、目の前の保身に汲々とする指導者たちに、海野の言葉は届かなかった。 だが、海野が本当に恐れていたのは別のことだった。
アメリカの倫理なき指導者たちにとって、高い技術力を持ちながら、本心を決して喋らず、空気を読んで追従してくるだけの日本は、守るべき同盟国などではない。
それどころか「裏で何を考えているか分からない、不気味で気持ち悪いブラックボックス」に映っているはずだ。
もし、誰がやったか分からない自爆型核潜水艦が実戦投入されたら、アメリカは猜疑心のあまり、先手を打って日本をハメるのではないか。
予言は、最悪の形で的中した。 数ヶ月後、日本の排他的経済水域(EEZ)の海底で、連続して正体不明の核爆発が発生した。
日本の主要な航路は放射能で汚染され、物流は一瞬で麻痺した。
海野が研究所のディープデータから解析した自爆潜水艦のスクリュー音と制御コードには、まぎれもない「アメリカ製」の暗号が含まれていた。
犯人は、同盟国だった。
「アメリカが仕掛けた。我々をコントロールするために、自作自演のテロをやったんだ!」 海野は上層部にデータを突きつけた。
しかし、返ってきたのは、絶望的な沈黙だった。
「証拠は開示できない。
アメリカとの関係が破綻すれば、日本は終わる」 彼らは知っていた。
知っていてなお、空気を読み、身を引いたのだ。
国としては絶対に手が出せない構造が、そこには完成していた。
日本ができるのは、爆発の被害に怯え、耐えるだけの「受け技」だけだった。
しかし、アメリカの「知恵なき指導者たち」は、致命的な計算違いをしていた。
EEZの破壊による津波とインフラの麻痺は連鎖し、結果として日本の国土と機能の「三分の一」が物理的・機能的に完全に消滅した。
日本という国は、意思を持たない「虚位の国」に見えて、実は世界経済の根幹を支える精密部品やハイテク素材の巨大な集積地だったのだ。
日本の三分の一が消えた瞬間、世界中の半導体サプライチェーンが完全に停止した。アメリカの最新鋭工場も、軍事ラインも、ドミノ倒しのようにストップした。
電気も、通信も、物流も、当たり前のインフラが世界中から消えていく。世界は、強制的に「縮小」を始めた。
他国を支配しようとしたアメリカもまた、自らが仕掛けた罠によって自滅し、暗転していく世界の中で悲鳴を上げていた。
インフラが消滅し、闇に包まれた研究所の片隅で、海野は一人、静かに座っていた。 世界を縛っていた「アメリカという洗脳」も、日本を麻痺させていた「空気を読む呪縛」も、物理的な崩壊によってすべて綺麗に消え去った。
目の前にあるのは、ただ生き残るか死ぬかという、冷酷な現実だけだ。
海野は、かつて身内と交わした、誰も覚えていない古い会話を思い出していた。
『神は、自己満足の人の中でしか存在できない』
「ああ、その通りだ」と海野は呟いた。
客観的な正義も、神も、最初から外の世界にはなかった。
人間が自分を納得させるために脳内に作り出した幻想に過ぎない。
生きることすべてが洗脳だった世界は、今、終わった。
海野は手元の小さな手回しラジオと、最低限の工具をカバンに詰めた。
これからは、誰の洗脳にも頼らない。
空気も読まない。
ただ、自分の胸の中にある倫理と知恵だけを頼りに、縮小していく新しい世界を歩いていくのだ。
海野の目は、暗闇の中でかつてないほど澄み渡っていた。
あとがき
本作『虚位の水脈』は一見、現代のドローン技術や自爆型核潜水艦という架空の兵器がもたらす、冷酷な軍事シミュレーション小説(空想)に見えるかもしれない。
しかし、私が本当に描きたかったのは、兵器の恐ろしさではなく、日米関係の底に潜む「人間の心理」と「倫理の不在」という、きわめて現実的な病理である。
作中、アメリカは犯人不明の緊迫した情勢の中で、意思を示さない日本を「不気味なブラックボックス」とみなして先制攻撃を仕掛ける。
これは突飛な妄想ではない。戦後八〇年間、日本がアメリカに隷属し続けてきた構造の「正体」を突き詰めた時、必然的に導き出される最悪のシナリオなのだ。
アメリカは歴史上、実際に一般市民に向けて二発の核兵器を落とした唯一の国である。
長期的(倫理的)な未来を見ず、「今の選挙、今の国益」の勝利しか考えない倫理なき指導者層ほど、強烈なパラノイア(被害妄想)を抱えている。
すなわち、「自分が過去に行った残酷な仕返しを、いつか同じ形で受けるのではないか」という底知れぬ恐怖だ。 彼らにとって、世界最高峰の技術力を持ちながら、怒りを見せず、本心を決して喋らず、ただ「空気を読んで」追従してくる日本という民族は、守るべき同盟国などではない。
本心を隠して耐え忍び、いつか核による復讐の機会をじっと窺っている「最も予測不能で、気持ち悪い存在」に映っている可能性は否定できない
この関係性は、きわめて歪んだ心理的病理、すなわち「DVの夫と妻」の構造と完全に一致する。
アメリカが行ってきたイラン攻撃や、裏で糸を引くウクライナ戦争といった数々の軍事行動は、実は日本が自分にどれだけ忠実か(忠誠心)を試すための、理不尽な「踏み絵」であった可能性が浮き彫りになる。
激しい見捨てられ不安と猜疑心を抱えたDV夫が、理不尽な大喧嘩を起こしては、妻の従属を試して安心を得ようとする行為そのものなのだ。
しかし、日本がその踏み絵に対して空気を読み、ただ大人しく隷属すればするほど、夫の狂気は深まっていく。
逆らわない妻を見て、夫は「腹の底では俺を憎み、寝首を掻くつもりではないか」と、さらに不気味さを募らせる。
つまり、日本がアメリカに隷属していること自体が、実はアメリカにとって最大の脅威であり、底知れぬ恐怖の源泉である可能性が否定できない。
攻撃したものはいつか攻撃される(復讐される)という歪んだ倫理を抱えた強者にとって、隷属する日本こそが、いつ暴発するか分からない最大の不発弾に見えるからだ。
したがって、日本がアメリカを刺激しないように隷属し続けること自体が、皮肉にも相手の恐怖と防衛本能を限界まで刺激し、作中のように、日本がアメリカによって極秘裏に(先手を打って)攻撃される可能性を常に否定できない状態にしている。
この恐るべき逆説こそが、戦後八〇年の隷属が孕む本当の闇なのである。 生きていることすべてが洗脳であるかのような世界の中で、私たちはいつまで「アメリカという先導者」の幻想を信じ、空気を読み続けるのだろうか。
インフラが消滅した暗闇の中でしか、私たちは本当の意思と倫理を取り戻せないのだろうか。この短い物語が、破滅へ向かう現代社会の「空気」への、ささやかな抵抗となれば幸いである。




