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最後の一滴が枯れるまで

まえがき


この物語を書こうとした動機は、今まさに私たちが直面している、ある「決定事項」への予感にある。


2026年、イラン戦争が勃発した。この戦争が早期に終結しようと、あるいは最悪の世界大戦へと拡大しようと、日本が歩む道は一本の細い崖っぷちへと収束している。なぜなら、日本はエネルギーの命綱を中東に握られ、その決済をドルに依存し続けているからだ。


戦争によって跳ね上がる原油価格。それを調達するために日本は膨大な円を売り、ドルを買い、さらなる借金を重ねる。米国からすれば、日本が肩代わりするその負担は、ドルの価値を延命させるための「毒の蜜」に他ならない。

仮に戦争が早期に集結したとしても、状況は好転しないだろう。中東依存度を減らそうとすれば、新たなインフラ投資や代替エネルギー確保のために、さらなる莫大なコストが国民にのしかかる。それはもはや、緩やかな物価高などではなく、私たちが築き上げてきた富が霧散していくハイパーインフレへのカウントダウンに思える・・・


戦争の成否にかかわらず、100円の価値が1円へと溶けていく未来は、この構造に組み込まれた「決定事項」なのかもしれない。


この小説は、そんな不気味な予兆の中で、私たちが失おうとしているものの正体を描こうとしたものである。


2026年4月の東京。


カズオは、いつものコンビニで1,200円になった幕の内弁当を手に取り、そっと棚に戻した。

「100円が1円になる感覚」


かつてネットの片隅で見た不吉な予言が、今では皮膚感覚としてカズオに付きまとっている。ニュースでは、イランへの空爆が「限定的な成功」を収め、早期終結の兆しが見えたとキャスターが晴れやかに伝えていた。だが、その背後のテロップには、原油価格のさらなる高騰と、日本政府が追加発行する「防衛・エネルギー特例国債」の文字が踊る。


ホルムズ海峡の封鎖は解除されつつあるというが、一度跳ね上がった物流コストは二度と下がらない。

「アメリカが勝っても負けても、結局俺たちが払うんだな」


カズオは、スマートフォンの画面を見た。円はドルに対してさらに沈み込み、それと同期するようにドルの購買力も溶けていた。


アメリカは戦争という「公共事業」で、世界中にドルを強制循環させ、自国の債務というブラック・スワンが羽ばたくのを力ずくで抑え込んでいる。そのために日本は、高騰する原油をドルで買い支え、結果として日米が共倒れのような通貨安を演じる「毒の蜜」を飲み続けていた。


米国の覇権という巨大なダムが、戦争という土嚢どのうを積み上げることで決壊を免れている。だが、その土嚢の材料は、日本の市井の人々がコツコツと積み上げた貯蓄や、日々の食卓から消えた一品そのものだった。


「早期終結なんて、ただの時間稼ぎじゃないか」

カズオは、かつて当たり前だった「100円」の重みを思い出し、空のレジ袋を握りしめた。


ダムのひび割れはもう、隠しようがない。戦争が止まればブラック・スワンが舞い降り、戦争を続ければ自分たちが枯渇する。世界全体が、出口のない「逼迫」の極致に立たされていた。

カズオはコンビニを出て、夕闇に染まる街を歩き出した。

明日、この街の「価値」がどれだけ残っているか、確信できる者はもう、この国のどこにもいなかった。

あとがき


戦争という巨大な装置によって、かろうじて保たれていた世界の均衡。しかし、その「時間稼ぎ」にも、ついに限界が訪れた。


米国の財政赤字を日本の購買力で支え、ドルの価値を保つために円を道連れにする――。その「毒の蜜」を吸い尽くした果てに待っていたのは、誰もが目を背けていた「国家によるリセット」だった。


瓦解した通貨システムを再構築するという名目のもと、日本政府が国民に向けて発した最後通告。それは、戦後最大の略奪とも呼べる、静かな、しかし抗いようのない一文で締めくくられていた。


「新貨幣経済への移行に伴い、日本政府は本日をもって、従来の100円を1円と再定義デノミネーションします」

貯金通帳に並んだゼロは意味を失い、人々が守ろうとした生活の重みは、一瞬にして百分の一の塵へと消えた。ブラック・スワンは、戦争の終焉と共に、漆黒の羽を広げて日本列島を覆い尽くした。


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