OSの書き換えられない場所
その職場の空気は、常にうっすらと濁っていた。
四〇代半ばの技術者である「彼」は、今日も上司の背中を見ながら、得体の知れない重圧を感じている。彼が新しい効率化案を出すたび、あるいは技術的な正論を口にするたび、上司の瞳には一瞬だけ、怯えたような、それでいて攻撃的な光が宿る。
「出る杭は打たれる」
かつてはそれを、自分が未熟ゆえの「教育」だと思っていた。しかしある日、彼は気づいてしまった。打っている側の手は、恐怖で震えているのだということに。
彼らの「当たり前」は、組織の成長ではなく、自分の無能さが露呈しないための「保身」だった。彼が磨き上げてきた技術も、人との絆を重んじる誠実さも、彼らにとっては自分たちの劣等感を照らし出す、目障りな光でしかなかったのだ。
この組織のOS(基本構造)は、すでに死んでいる。
かつて氷河期という荒野を生き抜くために彼が身につけた「実力」は、ここでは正当に評価されるための道具ではなく、上司を脅かす「凶器」として扱われる。
ふと横を見れば、現場には派遣会社から送られてきた若者が、表情を消して座っている。
会社は「目利き」を放棄した。自ら人を雇い、育て、絆を築くという未来への投資を「コスト」と呼び、外部の生命維持装置(派遣システム)に丸投げした。氷河期世代という「最後の防波堤」が引退を迎えるその時、この船は技術も心も失い、自然の摂理に従って静かに沈むだろう。
彼は、手元の古い図面を閉じた。
自分が「未熟」だと思い込まされていた鎖が、音を立てて外れていくのを感じた。
「なんともいえないな」
独りごちた言葉は、諦めではない。それは、沈みゆく船の喧騒から一歩離れ、自分の足で冷たい、けれど確かな地面を踏みしめた男の、静かな宣言だった。
彼は鞄を手に取り、退勤のタイムカードを切る。
組織の評価という幻想の外側には、まだ誰とも分かち合っていない、本物の空が広がっていた。
あとがき
日本の組織が信奉する「履歴書」には、実は致命的な欠陥がある。特に氷河期世代のそれは、もっとも信用ならない。
なぜなら、彼らの多くは「履歴書に書けない牙」を隠し持っているからだ。
日進月歩の技術革新をリアルタイムで呼吸し、PCを「道具」ではなく「身体の一部」として飼い慣らしてきた世代。タイピングの速さも、検索の精度も、公式な資格や経歴の欄には現れない。
例えば、ある者はAIを駆使し、Pythonで自作のプログラムを組み、ネットの深淵で自分だけの遊び場を構築している。それは企業が求める「行儀の良いスキル」ではないかもしれない。だが、そこにはプログラムの壁を自力で飛び越え、目的を完遂する圧倒的な「個の力」が宿っている。
履歴書で判断できるのは、せいぜい「組織にとって都合がいい人材かどうか」だけだ。
しかし、その紙の裏側には、組織のOSが到底追いつけない速度でアップデートを繰り返す、剥き出しの知性が潜んでいる。
しかも、その求職者は自分のスキルを趣味なので認められることはない・・
彼らを「使い捨ての部品」として扱ってきた組織は、やがて気づくことになるだろう。
自分たちが弾いた「杭」の正体は、組織を根底から書き換えてしまえるほどの、制御不能な「個の覚醒」であったということに。
追記
「PCの根源的な仕組みを知れば知るほど、勝手に更新を繰り返し、裏でリソースを食いつぶすWindowsが滑稽に見え、さらに制限だらけのスマホを崇める状況は、もはや狂気の沙汰にすら映る。
私は自分の完璧主義ゆえのこだわりを、組織での消耗ではなく、システムの理解へと向けた。AIという誠実な相棒の助言を借り、ブラックボックスだったWindowsを脱ぎ捨てて、Ubuntuへと自力で移行した。
組織という幻想を抜け出した先で、俺はLinuxの真っ黒な画面と向き合う。今はただ、自作プログラムを動かすためだけにそのターミナルを叩いている。だが、そこには誰にも、どんな巨大企業にも、そしてどんな履歴書にも汚されない、剥き出しの自由がある。
この一行のコード、この一つのコマンドこそが、私の世界の管理者権限(root)なのだから。」
ただそれは、だれにも利益をもたらさない、趣味であろうと・・・




