シャークシステム起動
2018年5月――
今世では19歳まで生きられたし、結婚もできた。
あとは、自分の寿命まで人生を楽しめばいいだけだ。
なんだかうれしくなるな。
そんなことを考えていたら、事件が起きてしまった。
調査部の野口さんの子供、野口蓮君が誘拐されたというのだ。
美月さんから聞いた話では、野口さんに助けてもらった田沼事件と関係があるかどうかは、まだ分からないそうだ。
犯人からの要求は、野口さんの会社メール宛に届いたらしい。
野口さんのメールアドレスを、どうやって知ったのかは不明だ。
メールには――
「子供を誘拐した。身代金を1億円用意しろ。
おまえが用意できないのなら、K社の調査部で用意させろ。
警察に通報すれば、子供の命はない。
3日後に再度メールを送るので、それまでに身代金を用意しておけ。」
……と書かれており、子供である蓮ちゃん(7歳)の写真が添付されていたという。
その写真を見たとき、胸が締めつけられるような感覚が走った。
鈴森会長の指示で、身代金1億円は用意され、野口の部下である北山が調査部の人間を指揮して対応に当たっている。
北山は報告を取りまとめるとともに、捜索と交渉の指示を的確に出している様子だ。
念のために付け加えると、K社の調査部という名称は社内でも極秘の部署で、一般には知られていない。
そこに犯行の手がかりがある可能性が高い――つまり、調査部が関与した案件に対する報復の線が濃厚だ。
場合によっては、この事件が田沼案件と何らかの関係を持つことも考えられる。
どうつながっているのか、慎重に調べる必要があるだろう。
***
田沼が仮出所して9年、渋谷でITベンチャーを次々に鴨にして、設立したT社を大きく成長させ、売上高50億の会社にまで復活していた。
やっていることは、前の会社と同じで、手慣れたものだった。
田沼のもとには、いつの間にかF社で非合法なことをやらせていた社員たちが集まっていた。悪が再集合しているらしい。
売上高50億の会社にまで復活したお陰で、自分が直接悪事に手を染めなくても、旧F社の社員たちが勝手に非合法M&Aをやってくれる体制が再構築されていた。
あのハッカー社員も、ハッキングによってM&A対象の会社社長の弱みを握るのに、大いに役立ってくれていた。
自分は、警察に踏み込まれた時、いつでも社員に責任を押し付けて安全な立場になれるよう、顧問弁護士に相談しながら、そうした仕組み作り上げていた。
そうなってくると、鈴森会長のK社、匠たちの未来技術研究所に何とか一矢を報いたいという気持ちが湧いてきていた。
まずは、自分のところに乗り込んできた生意気な野口を、痛い目にあわせてやろうと思ったのだ。
新たに見つけた裏社会部隊を使って、野口の子供を攫わせたのである。
1億円の身代金要求はカモフラージュで、野口の子供を最初から生かして返すつもりなどなかったのだ。
3日後に送られてきたメールには、身代金を2億円に増額することが書かれていた。
これは金が目的ではない――と察した鈴森会長は、蓮君の命が危ないと感じた。
匠に、鈴森会長から連絡が来た。
「秋葉原の研究所で、3人と話がしたい。知っているかと思うが、調査部の野口君の子供が誘拐された。犯人は、調査部に恨みを持っている人間だ。このままでは蓮君の命が危ない」
「わかりました。お待ちしています」
秋葉原ビルの研究所に鈴森会長がやってきた。
お付きの人たちはいない。
父と裕太さんには席を外してもらい、鈴森会長と俺たち3人で向き合って座る。
会長は深く息をつき、机に置いた手を軽く組みなおしてから口を開いた。
「緊急事態だ。犯人は田沼で間違いないと思う。野口君宛に身代金のメールが届いたからだ。あの調査部のメールアドレスは一般人が知り得るものではない。野口君のアドレスを把握しているのは、田沼だけだろう」
続けて、声を少し落として告げる。
「田沼は、渋谷のITベンチャーの若い経営者たちを食い物にして再起を図ってきた。力を取り戻したあいつが、今いちばんやりたいことは――我々への復讐だろう。まずは交渉役を務めた野口君を狙い、身代金など二の次で、蓮君の命を奪うつもりだ」
会長はゆっくりと頭を下げた。
「君たちに大きなリスクを負わせることになるの、本来ならこんなことは頼みたくない。責任は私が取る。君たちの力で、蓮君を探してもらえないだろうか」
頭を下げる会長の肩には、覚悟がにじんでいた。
「わかりました。彩乃、蓮君を探すことは可能か?」
彩乃は小さく笑って肩をすくめた。
「任せて。うまくいくかは分からないけど、やってみる。もちろん、誰がやっているかは絶対に分からないようにするから、安心して」
彼女の目は真剣そのものだが、どこか楽しげな光も宿っている。
彩乃はノートPCのトラックパッドに指を滑らせながら、説明を続ける。
「私が遊びで作っていた“サーチAIシステム”を、少し改良すればいけそうね。そのプログラムは、インターネット空間に入ると対象となるデータや画像を探し回るの。いろんなIPアドレスに寄生しつつ、AIが学習を重ねていくのよ」
言葉を区切りながら、彼女は画面を見つめ、手元で小さなジェスチャーをする。
「そのサーチAIは、すでにインターネット空間を生きた回遊魚のように泳ぎ回っている。私はそれを“シャークシステム”って呼んでるの」
彩乃は片方の頬を引き上げて、照れくさそうに笑った。
「シャークシステムとは、ちょっと特殊な方法でコマンドを送れば通信できるようになっているの。今は公開されているネット画像だけでなく、インターネットに接続された監視カメラの画像をハッキングしながら調べるように改良して、サーチエリアを日本に限定すれば、蓮君の画像をものすごい速度で探し回り続けるはずよ」
その口ぶりには自信が満ちている。俺は思わず息を吐いた──頼もしい、と思えるほどだ。だが同時に、こうした手段の危うさも胸に影を落とす。
「彩乃、何のために作ってたんだ?」
俺は軽く問い返す。声には問いかけるような柔らかさを込めたつもりだ。
彩乃は少し間をおき、いたずらっぽく目を細めて答える。
「“グ……”の検索エンジンと勝負しようと思って、試しに作ってみたのよ」
言い終えると、彼女は満足そうに腕を組み、ちらりとこちらを見てニヤリと笑った。
「今度から実験する時は、僕か優子に言ってほしいな。間違ってCIAみたいなところにシャークシステムが入り込んだら大変なことになるぞ。とにかく、今回のことが終わったら、限定したネット空間の中だけで動き回らせてくれないか」
ここまで、お読みいただきありがとうございます。
励みになりますので
ぜひブックマークや評価などをお願いします。




