悪意に備えよ
「ありがとうございます。田沼が手足に使う裏社会の連中は、専門家を用意しなければ対応できないほど巧妙で、しかも強力なんですね。本当に助かります。……坂下社長はどうですか?」
坂下さんは腕を組み、真剣な表情でうなずいた。
「協力するに決まっているよ。自分の家族がターゲットになっているわけだからな。それにしても……とんでもない悪党に目を付けられたものだ」
すると横で、彩乃ちゃんが勢いよく声を上げる。
「お父さん、私がF社をハッキングして、F社を戦闘不能にしてギッタギタにしてやるわ!」
「彩乃ちゃん、そういうことは安易に口にしてはいけないし、誤解を招くような発言も控えた方がいい」
鈴森会長が眉を寄せ、静かにたしなめる。
「F社も優秀なハッカーを抱えている。もし不用意に動けば、逆に弱みを握られて相手の思う壺になる」
父の坂下さんも厳しい声を飛ばした。
「彩乃! よく考えずに過激なことを言うのはやめなさい。勇ましいだけでは大人の戦いには勝てないんだ。わかったな!」
彩乃ちゃんはむくれたように唇を尖らせつつも、しぶしぶ返事をする。
「……わかったわ。父さんから頼まれるまではやらない」
「こらっ、誤解されるようなことを言うな!」
坂下さんは慌てて声を張り上げた。
「父さんがそんなことを頼んだことは一度もないぞ。鈴森会長、念のために言っておきますが、本当に一回もやらせていませんからね。彩乃、SS警備の信用問題になるんだ。黙っててくれ!」
「坂下さん、安心してください。僕がそんなことは絶対にさせません」
俺は場を和ませようと微笑みながら言った。
「……それにしても、またこの要塞ビルに籠もることになりそうですね」
「匠はインドア派だから籠もるのは苦にならないでしょうけど、問題は私たちよ。外に出るなと言われても困るわよ。買い物にも行かないといけないし」
「そのための専門家3人です。彼らをSS警備がサポートする体制を組めば、きっと大丈夫だと思います」
「言い忘れてたけど、最近このビルのサーバーに侵入しようとしたハッキングの痕跡があったの。……F社のハッカーかしら?」
彩乃ちゃんが目を細めて言う。
「私たちのセキュリティシステムを甘く見ているわね。世界最高レベルのハッカーでも、このサーバーには入れないはずよ。父さん、次に侵入してきたらウイルスを背負って帰ってもらうつもりよ。それでもいい?」
俺は苦笑しながら首を振った。
「彩乃ちゃん、ここのサーバーをハッキングしたら感染しました……なんて、ハッカーは恥ずかしくて口外できないだろうけど、それでも専門家である調査部の意見を聞いてからにしてほしいな」
彩乃ちゃんは肩をすくめ、しかし楽しげに目を輝かせる。
「……分かったわ。聞いてみます。でも、こういうの一度やってみたかったのよね。楽しみだわ。とんでもないウイルスをお土産に持たせてやるんだから」
***
やがて鈴森会長が帰った後、三家族だけで話を続ける。
「とにかく明日、専門家の方が来られるので、その指示に従いましょう」
俺は皆を見渡しながら言った。
「それから、今日はタクシーで自宅に帰った方がいいと思います。今後しばらくは、自分で車を運転するのは控えましょう」
坂下さんがうなずき、表情を引き締める。
「どこに行くにもタクシーを使ってください。タクシー代は未来技術研究所がタクシーチケットを用意しておきます。……今日はこのくらいにして、詳しいことは明日、調査部の方に聞きましょう」
***
翌日――
K社調査部の3名が未来技術研究所にやってきた。
SS警備のように屈強な体格ではなく、落ち着いた雰囲気をまとい、知的な眼差しを向けてくる。ひと目で「頭脳派」という印象を受けた。
代表して野口さんが姿勢を正し、説明を始める。
「F社が依頼する裏社会部隊の連中は、相手に弱みを見つければ、そこに徹底的に食いついてきます。ですから、まずは3家族それぞれに“弱みになり得ること”がないか確認する必要があります」
彼は視線を一同に走らせながら、ゆっくりと言葉を区切る。
「どんなに小さなことでも構いません。もし秘密があるのなら我々に教えてください。事前に対策を講じることで、奴らに握らせないようにします」
俺は一呼吸置いてから口を開いた。
「私たち3人ですが、籍は私立の小学校にあります。ただし、自宅で課題を提出すれば出席扱いにする、という約束で、一度も通学していません」
さらに続ける。
「それから、アメリカに滞在していた間はS大の教育プログラムに参加していました。その関係で、不登校の件が学校側から漏れるかもしれません」
野口さんはすぐにペンを走らせ、うなずいた。
「承知しました。明日、その学校の校長に直接会い、余計なことを口外しないよう厳重に釘を刺しておきます。他にご家族の方で、何か心当たりはありますか?」
坂下さんが姿勢を正し、低い声で答える。
「このビルが一度襲撃されたことがあります。その時はSS警備が対応してくれて事なきを得ました。もちろん違法なことはしていないので弱みにはならないと思いますが、詳細は後ほどまとめて報告します」
野口さんは表情を崩さず、冷静に頷く。
「他にはありますか? 奴らは、当事者にとっては些細な傷でも、ひとたび目をつけたら徹底的に広げてきます。たとえば男女間の問題です。結婚前に交際していたか否か、その程度のことでも利用されかねません」
彼は一拍置き、言葉を強めた。
「ほんの少しでも気になることがあれば、メールでも結構です。ご家族にさえ隠したいことがあるかもしれませんが、私たちは絶対に秘密を守ります。どうか安心してご連絡ください」
(……父や母の、結婚前の色恋沙汰なんて聞きたくもないな)
そう心の中でつぶやき、ちらりと優子や彩乃ちゃんの顔を見る。
二人も同じ思いらしく、視線を合わせると苦笑を浮かべていた。
(それにしても……父さんの眉がピクリと動いたけど、大丈夫なんだろうな!)
「弱みをすべて潰したとして、その次に奴らがよく使う手口を説明します。まずは当たり屋を使った人身事故です。しばらくの間、自分で車を運転するのは絶対にやめてください。プロの当たり屋が仕掛けてきます」
「歩いているときも注意してください。わざとぶつかってきて、大怪我をしたとか、持病があるから死にそうだとか、難癖をつけてくる者が出てくると思います」
「それから、相馬さんは貸しビル業をされていますね。そのビルに対するクレームや、入居テナントの社員からの苦情が、前触れもなく持ち込まれる可能性があります」
野口さんは表情を引き締め、声を少し落として言った。
「……その際は決して自分で対応せず、必ず我々に連絡してください。クレーマーと直接やり取りするのは危険です」
和也さんは背筋を伸ばし、真剣にうなずいた。
「わかりました。貸しビルはこのビルだけですし、借りているのはSS警備ですから、大きな問題は起きないと思います」
野口さんは間髪入れず、さらに続ける。
「SS警備についても、顧客からクレームが寄せられる可能性があります。その場合も同じです。我々を通してください」
「承知しました。何かあれば、すぐに報告します」
和也さんは表情を引き締め直し、短く答えた。
そのやり取りを見守る家族たちの顔には、次第に疲労の色が浮かび始めていた。
長い説明と緊張の連続に、空気は重く、誰もが肩に力を込めたまま座っている。
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