経済産業省の不満
2010年8月――
その後の保はというと……父親が逮捕された衝撃から抜け出せず、これから自分はどうなるのかと不安に押し潰され、毎日ただ黙って下を向き、椅子に座り込んでいるだけだった。
暮らしの先行きに焦りを覚えた母親は、「お金になるAIシステムをさっさと開発しなさいよ!」と叱りつける。
さらに社長を継いだ叔父も、「M大の研究員たちと、早くコミュニケーションを取れ!」と怒鳴りつける。
だが、保は一言も発せず、ただうなだれたまま。
立ち上がろうとしても、よろよろと足がもつれるだけだった。
そんな日々が何日も続き――ついに保は心身をすり減らし、ほとんど廃人のような状態になってしまう。
無意識に家を飛び出し、しばらく走ったかと思えば、そのまま道端で力尽きるように倒れていた。
やがて意識を取り戻すと、ベッドの横に元会長が立っていた。
「日本に帰ろう」
「……うん」
「僕は……どうしてここに?」
元会長は穏やかに答えた。
「保の母さんが、どうしてもおまえに会わせてくれないから、人をやって家の様子を見張らせていたんだ。報告によれば、おまえは家を飛び出した直後に道端で倒れたらしい。彼がそのまま病院に運んでくれて、連絡を受けた私がこうして来たというわけだ」
そして保の手をそっと握り、柔らかな声で続けた。
「日本で私と一緒に、のんびり暮らそう。匠くんたちには大きな迷惑をかけた。落ち着いたら謝りに行こうな」
しばらく黙っていた保は、ようやく小さな声で自分の気持ちを吐き出した。
「……AIの開発は、もうやりたくない」
「それでいい」
元会長は微笑み、うなずいた。
「しばらくは何も考えなくていい」
***
2011年1月――
今年は大地震がある年だ。
俺に何かできることはないのかなと思うが、地震を止めることはできないし、前世と同じく、義援金の寄付ぐらいしかできない。
前世でも、いろいろ考えた。
しかし神様に「未来のことを伝えてはダメ」と言われている以上、何もできない。
***
2011年3月――
日本で大地震が発生する。
インターネットで災害の映像が流れている。
前世でも見た、悲惨な映像だ。
この映像を見ると、「お金もあるし、優秀な頭脳をギフトしてもらっておいて、何もできなかったのか?」と自責の念にかられる。
K社も工場の一つが被災したようだが、被害は軽微で済んだそうだ。
工場は、しばらく稼働停止にするらしい。
秋葉原のビルは無事だった。
古いビルを建て替えておいて良かった。
前のボロビルなら、倒壊していたかもしれない。
3家族には、3月の始めにサンタクララへ移動してもらっていた。
昨年の襲撃事件の気分転換という名目で、アメリカに招待しておいたのだ。
日本での大地震のニュースをネットで見ながら、3人の父さんたちは仕事の相手に連絡を取っている。
結局、俺が大地震でできたことといえば、3家族をアメリカに移動させたことぐらいだ。
地震が落ち着いたら、帰国してもらおう。
***
ところで、量子コンピューターの方だが……
開発は、プロトタイプを作るところまで来ている。
現在は、量子ビットをどういう素材で構築するかを検討する段階で、どちらかというと俺たちは、量子ビットの特性をAIにどう活用するかを研究している。
研究を進めるうちに、このコンピューターがAI分野と相性が良いことが、改めて確認できた。
もちろん、公開するAIシステムはセキュリティ分野に限定するつもりだ。
***
2011年5月――
母さんたちと帰国することになった。
父さんたちは、すでに日本に帰っている。
現在、秋葉原の自宅には俺一人だ。
今日は秋葉原ビルで、のんびり一人籠もろうと思っていたのだが、鈴森会長から気になるメールが届いている。
最近、日本の経済界や霞が関界隈では、俺たち3人のことを「日本の宝」などと呼んでいるらしい。
それに伴い、「なぜK社がその宝を独占しているのか」という声が、国や産業界から出ているという。
K社だけいい思いをしていてけしからん、ということなのだろう。
当然のように、量子コンピューターの開発にも文句が出ているらしく、日本の国益につながる量子コンピューター開発を勝手にアメリカ企業と共同で行っていることに、経済産業省が不満を漏らしているのだという。
もしも俺たちが量子コンピューターの開発に成功してしまったら……
「なぜ国は開発に関与してこなかったのか」と言われるのが嫌なだけだろう。
彼らは基本的に何もしないのに、「やってますポーズ」と「手柄」だけは欲しい。
つまり「美味しいところを国にも少し寄越せ」ということなのだ。
それに加えて、経済産業大臣も「自分のところに挨拶に来い」と言っているらしい。
選挙区へのアピールと票集めが狙いのようだ。
他にもいろんなところからグチグチ言われているが、匠くんに伝えれば嫌な気持ちになるだけなので割愛するとのこと。
ただ、大臣には一度挨拶しておいた方がいいかもしれない、とも書かれていた。
……他の案件を知らせてもらわなくても、すでに嫌な気持ちだ。
それにしても、経済界の重鎮である鈴森会長とコネクションを作っておいて良かった。
そうでなければ、俺たちはいいように翻弄され、下手をすれば政府の管理下に置かれていたかもしれない。
国なんかに関わっても、何も得るものはない。
もしも戦争兵器の開発に協力させられたりしたら、歴史の修正力に抹殺されてしまう。
絶対にお付き合いはお断りだ。
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