これじゃ夜逃げじゃないか?
「ところで匠くん、宮原会長にも“経済的クラッシュが来る”ことを伝えたのかな? 彼は、匠くんのおかげでずいぶん儲かったと自慢していたよ」
鈴森会長が目を細め、声を落として言う。
「もちろん私は、匠くんと約束したから誰にも言っていないよ」
そう付け加えながらも、会長の視線にはわずかな探る色がある。
「宮原会長があれだけ喜んでいたから、他の人にも自慢しているかもしれないよ。お金を儲けた話は、あまり広まらない方がいいと思う」
腕を組み、深くうなずきながら警告めいた口調になる。
俺は眉をひそめ、苦い気持ちで答える。
「会長と話していたのを、横で保君が聞いていたので……彼が宮原会長に話したのだと思います。絶対に秘密だと念を押していたのに!」
拳を膝の上で握りしめる。
「……経済的クラッシュが来ることを、私から聞いたという話を、絶対口外しないよう、会長から宮原会長にお伝え願えないでしょうか」
(口の軽いやつめ……保……この大バカ野郎が……!)
胸の奥で、怒りと焦りが渦巻く。
鈴森会長は、額に手をやり、重々しい声でうなずいた。
「そうだな。その方がいいな。お金に関する話は、広まるのが早い。興味本位で、面白おかしく、有ること無いことが付け足されていくぞ」
視線が鋭くなり、低い声がさらに重みを増す。
「しかも、儲かったのが“少年の助言”だったとなると……マスコミが大騒ぎになる」
俺は息を呑む。
しかし、時すでに遅しだった。
AKビル管理の電話が鳴りっぱなしになる。
ネット上は『AIでリーマン・ショックを予想した天才児たち』というワンフレーズで溢れている。
保君は「ごめんなさい」の連呼。
しかも下を向いたまま、小さな声……全然謝ってもらっている気がしないぞ。
とにかく、もうどうにもならん。いずれマスコミやネット民が、興味本位で騒ぎ出すはずだ。
(困った! 困ったぞ……どうしてくれるんだ……タ・モ・ツ……!)
(少なくとも、半年くらいは普通の生活ができなくなるかもしれないな……!)
マスコミや、訳のわからない連中に、住所や家族の顔が晒されたり、有ること無いことプライバシーを捏造されたり……想像するだけでうんざりする。
『私立の小学校に入学したものの……1回も登校しない不登校の天才児……リーマン・ショックをAIで予測……』
みたいな見出しや記事が飛び交うに決まっている。
しかも、不登校の兄妹なんて、突っ込みどころ満載だろう。
(“子どもを学校に通わせず、金儲けさせる鬼畜な両親……”なんて記事も出てきそうだ……!)
とにかく、訳の分からない奴らに振り回されるのは嫌だ。
構っているだけ、時間の無駄だ。
鈴森会長に相談したら、重い口調で言われた。
「……ほとぼりが冷めるまで、アメリカに住むことを勧める。手配しようか?」
「行きます。お願いします!」
俺は迷わず即答していた。
***
数時間後、秘書からアメリカ行きの概要がメールで届く。
画面を覗き込みながら、思わず息を呑んだ。
――滞在先はサンタクララ。
サンノゼにあるK社の研究所を、量子コンピューター開発の拠点とする。
サンタクララからサンノゼの研究所へは、スタッフが毎日送迎してくれる。
さらに「先日のアドバイスへの謝礼として、サンタクララの住宅は進呈する」と書かれていた。
「住む家まで用意してもらえるのか……」
母が驚きの声をあげる。横で優子も目を丸くしている。
取りあえず父は日本に残り、2週間ほどホテル暮らしをしてもらうことになる。
AKビル管理の業務を一時的に委託する業者を探さないといけないし、留守宅の防犯対策を警備会社に頼んだりしないといけない。
それに、俺たちの研究機材のいくつかもサンタクララに送ってもらいたい。
マスコミ対策は、平山弁護士がいろいろ手伝ってくれるみたいだ。
本当に、平山さんにはお世話になっている。
サンノゼに移った後も、父には3か月に1回くらい、秋葉原の様子を見に行ってもらおうかな。
パスポートは、今年の家族旅行のために準備していたから、全員分揃っている。
航空チケットの手配はK社がすべてやってくれているので、空港でチケットを受け取ればOKだ。
俺たち家族は、せかせかと身の回りの物をキャリーバッグに詰め込んでいる。
明日の朝3時頃、平山弁護士に手配してもらったワゴンに乗って、成田のホテルへ移動する予定だ。
そのまま飛行機の出発時間になれば、成田空港から出国する。
父は成田のホテルに一泊し、都内のホテルへUターンだ。
(しかし、なんだか……これって……夜逃げみたいじゃないか……!)
悲惨な未来を変えたはずなのに、夜逃げすることになってるぞ……
これは、リーマン・ショックのことを鈴森会長にバラそうとしたことへのペナルティなのかな。
それとも、悲惨な人生への巻き戻しが始まったのか……?
***
深夜3時――
家族でワゴンに乗り込む。
マスコミは、当然……いないはず……
事件じゃないんだから、さすがにそこまでは……
「○○TVの者ですが!」
マイクを握りしめて、カメラマンを引き連れた連中が走ってくる!
「いい加減にしろ……社会の巨悪に突撃しろよ!」
心の中で毒づきながら、俺は顔をしかめた。
「車を出してください!」
父さんが、緊張した声で運転手さんを急かす。
額にはじっとり汗が浮いている。
ギリギリだった……。
もたついていたら、秋葉原ビルをマスコミに取り囲まれ、外に出られなくなっていたかもしれない。
そうなったら、自宅に閉じ込められ、事実上の軟禁生活だ。
(俺たちは犯罪者じゃないのに……何だ、この異常な扱いは!)
胸の奥に苛立ちがこみ上げる。
***
成田空港。
会長の秘書が待っていて、スーツケースを受け取ると同時に、封筒を差し出してきた。
「こちら、航空チケットでございます」
緊張していた母の表情が少し和らぐ。
これでひとまず大丈夫だ。あとは出国手続きをして、飛行機に乗るだけ。
***
飛行機の座席はビジネスクラスを手配してくれていた。
ふかふかのシートに体を沈めた瞬間、肩の力が抜けていく。
母はグラスを手に取り、シャンパンをひと口。
優子と俺はオレンジジュースを口に含み、思わず安堵のため息が漏れる。
「……やっと落ち着けたわね」
母が小さくつぶやく。
俺と優子は、顔を見合わせて苦笑した。
緊張の糸が切れたのか、3人ともあっという間に瞼が重くなり――そのまま爆睡モードに突入した。
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