エース池田が研究所にやって来た
「僕たちはAIの開発をしているんだけど、保君、一緒に研究してみる?」
「うん、やりたい……興味が……」
あ〜、最後まではっきり話してくれないかな。
日本語はね、最後まで聞かないと、YesなのかNoなのか分からないのだよ……。
俺や優子まで、保君に引きずられて、声が小さくなりそうだ。
それでなくても、俺たち兄妹は不登校の引きこもりだからね!
声が小さくなると、困るのだよ。
「じゃあ、この論文が参考になるから、読んで後で感想を聞かせてくれる」
と、優子がおもちゃを渡すように保君に論文の束を渡す。
「分かっ……」
宮原会長は、保がコミュニケーションを取るのは苦手だが、飛び抜けて頭が良いことを知っている。
しかし、頭が良すぎて小学校の生徒の誰とも話が合わず、ずっと不登校を続けているのだ。
祖父としては、可愛い孫が心配でしかたない。
頭が良いのが、もったいなくてしかたがない。
コミュニケーションさえ取れるようになれば、経営は無理でも研究所は任せられるかもしれない。
そうなれば、停滞しているA製薬の新薬開発能力を、とてつもなく向上させることができるかもしれない。
(コミュニケーションを取るのが苦手な保が、どういうわけかこの兄妹とは普通に会話を交わしているじゃないか……!)
しかも、こんなに長く会話を交わすのを初めて見た。
会話の内容を聞いていると、匠くんは保よりさらに数段賢いようだし、妹の方も保より賢そうだ。
保をここに通わせておけば、人とのコミュニケーションができるようになるだけでなく、学校になど行かなくとも、より多くの知識を学ぶことができそうだな。
鈴森会長に感謝、感謝、大感謝だ。
よくぞ連絡してくださった……大・大・大感謝する。
「保君の家は薬屋さんでしょ。AIで薬品開発に役立つツールを開発してみたらどう?
特定の症状に対して効果が期待できる成分の組み合わせや分量を、AIに考えさせたら面白そうだよ」
「面白そう……お祖父さん、明日ここに新薬開発を担当している研究者に来てもらうことはできる?」
「よし分かった。エース級の研究者を連れて来ようじゃないか!」
保が積極的に、何かをお願いしてきたのは初めてだ。
何が何でもこの勢いを止めてはダメだ。チャンスだこれは……。
忙しい社員には申し訳ないが、保がこの機会に、人とのコミュニケーションができるようになれば……。その社員には最大限のお礼をするぞ。
これが、保が生まれ変わる最後のチャンスかもしれない!
それにしても、匠くんはすごい。
ありがとう、この出会いに感謝する。
保の人生が良い方向に転がり始めた気がする。
それに、ひょっとしたらA製薬の新薬開発のエースと、この子供たちとのコラボで、案外面白いAIシステムが開発できるかもしれない。
A製薬の新薬開発の停滞ムードを、いきなりブレイクスルーするのではないか!
何だかワクワクするな。こんな気分は若い時以来だ。
そういえば鈴森会長が、匠くんたちが開発したセキュリティソフトにすごく期待しているみたいだ。
鈴森会長が、わざわざKSセキュリティ社まで作ったというからな。
保とも仲良くやってくれるし、この天才児たちを、むしろA製薬で囲い込みたいものだ。
保のためなら、匠くんに会社でも何でも作ってあげるぞ。
A製薬のビジネスも好転しそうだし、楽しくなってきたじゃないか。
***
2日後――
宮原会長と保君、さらにA製薬の新薬開発のエース・池田慎二さんが研究所にやって来た。
これから、天才児3人とエース池田との打ち合わせが始まる。
エース池田の背後には、彼にとって雲の上の存在である宮原会長。
その隣には、新薬開発研究所の所長が、腕を組みながら静かに腰掛けている。
(宮原会長に、自分を直接アピールできるなんて……サラリーマン人生最大級のチャンスだ!)
エース池田の胸が大きく脈打つ。背筋は自然と伸び、視線は真っ直ぐに前へ。眼差しは必死に冷静を装いながらも、どこか熱を帯びている。
さらに横には、研究所の所長。
(この人に好印象を持ってもらえれば……出世コース間違いなし……!)
そう思うほどに、期待と緊張が押し寄せてくる。鼻息が荒くなり、手のひらにはじっとりと汗が滲み始めていた。
だが、視線の先に並んでいるのは――小学生くらいの子供たち。
まさに、自分の子どもと同じくらいの年齢だ。
(……こんな小さな子供たちと、いったい何をどう話せばいいんだ……?)
「天才児」とは聞いているが、どの程度まで専門分野に踏み込んで良いのか……まったく見当がつかない。
(しゃべり方は、子供っぽく合わせるべきか……それとも、普通に専門用語を使って話すべきか……)
答えは出ない。だが、迷っている時間もない。
(とにかく、優しくソフトに接しておくに越したことはない……。それでいて、自分のアピールも、さりげなく……いや、確実に叩き込む! これは人生最大のチャンスなんだから……!)
池田は大きく深呼吸をして、頬の筋肉を引き上げる。
無理やり作った笑顔が顔いっぱいに広がった。
***
打ち合わせが始まった。
池田は姿勢を正し、できるだけ穏やかな声色で話を切り出す。
(とにかく、やさしく……丁寧に……!)
相手はただの子供ではない。1人は会長の孫、そして隣の2人は、あの鈴森会長お気に入りの天才児だと聞いている。
(もしも……もしもこの子たちを泣かせでもしたら……終わりだ。人事部から呼び出されて、降格一直線だぞ……!)
喉がひどく渇く。唾を飲み込む音がやけに大きく響いた気がして、池田は慌てて笑顔を作った。
(なんてやりにくい……! 子供相手にこんなに気を遣う日が来るとは……)
そんな中、正面に座る匠くんがじっと池田を見つめる。
表情は真剣そのもので、今にも「遠慮は無用」と言わんばかりだ。
(……おいおい、まさか本気で? “遠慮なんてするな、ズバッと聞け”って雰囲気を出してるぞ……)
池田の胸がざわめく。
本気で踏み込んでいいのか?
それとも、あくまでソフトに流すべきか……。
(いや……これ、もしかして本気でゴーしてもいいのか……?)
そう思った瞬間、口が勝手に動いていた。本気モードの専門的な質問を、つい投げかけてしまったのだ。
「しまった……」池田は顔を引きつらせ、慌てて額の汗を拭う。
(どうする……これ……。やっぱり難しいこと言ってゴメンねって、取り繕った方がいいか……?)
内心で焦りまくっていたその時――匠くんの口から返ってきたのは、医薬分野の学術論文を相当読み込んでいなければ答えられないような、正確かつ鋭い回答だった。
「……な、なんだこれは……」池田の目が見開かれる。
思わず姿勢を前のめりにしてしまうほどの衝撃。
そして嫌な予感がした。匠くんの表情が、次の一手を繰り出す棋士のように光ったのだ。
(やばい……今度は質問が飛んでくる……!)
案の定、核心を突く医薬分野の問いが投げ返されてきた。
その瞬間、池田の背中を冷や汗がつたう。
(まずい……これにズバッと答えられなければ、専門家としての面目が丸つぶれだ!)
喉がカラカラになるのを感じながら、拳を膝の上でぎゅっと握りしめる。
(この打ち合わせは、俺が“専門家の知識を背景にして、子供たちを優しく包み込むように主導していかなきゃならない”んだ。絶対に、だ!)
池田は大きく深呼吸し、目を細めて集中する。
(気合を入れ直すぞ……闘魂だ……エース池田を舐めるな!)
もはや相手が子供だということは頭から吹き飛んでいた。
目の前にいるのは、知識と理論で挑んでくる対等の研究者。
(もしこのやり取りで負ければ……俺はもう“エース”ではなくなる。いやそれどころか、“子供との論戦に負けた奴”ってレッテルを貼られる……!)
池田の瞳に、闘志の炎が宿った。
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