鈴森会長が研究所にやってきた
研究所の扉を開けると、緊張感が一気に高まる。
「会長、どうぞ中へ」
俺が一歩下がって手を添えると、鈴森会長がゆっくりと中へ入っていった。
その後ろから、お付きの人たちも列をなして入室してくる。
会長がプロジェクターの前に用意した立派な椅子に腰掛けると、随行者たちは即座に動き、後方の椅子に座る者、控えめに立ったままの者とに分かれた。
その立ち振る舞いだけでも、会社の序列や役割の違いが見て取れる。勉強になるな……。
俺は深呼吸をしてスクリーン前に立ち、冒頭の挨拶を済ませる。
声がわずかに震えそうになるのを押さえ込みながら、プレゼンを開始した。
まずはセキュリティシステムの概要を説明し、続けてAIをどう活用しているかを論理立てて語っていく。
会長は時折顎に手を当てながら、真剣な眼差しをこちらに向けている。
背後の幹部たちも、メモを取りながら食い入るようにスライドを見つめている。
そして最後に“おまけ”として、開発中のAIプラットフォームを紹介する。
世の中では音声認識の研究が盛んに進められているが、まだ大きな成果は出ていない。
その流れを踏まえた上で、俺は自分たちの強みを示す。
「今回の適用例は、画像処理による特徴点の抽出です」
スクリーンに映し出された映像に合わせ、俺は説明を重ねる。
「座標データをニューラルネットワークに読み込ませることで、閾値を自動調整し、対象の次の動きをオンライン学習で推定していきます」
デモンストレーションが始まる。
ラケットで打たれたテニスボールが画面を横切ると、システムが即座に予測軌道を描き出す。
まるで未来を先取りするかのような滑らかな線がスクリーンに浮かび上がった。
会長の目が一瞬大きく見開かれる。
続いて後ろに並んだ幹部たちも小声で感嘆の声を漏らし、やがて会場全体から自然と拍手が湧き起こった。
心臓の鼓動が一気に高鳴る。
(よし……伝わった!)
お付きの人たちから名刺を受け取ると、そこには「技術本部長」「副本部長」「会長秘書」……と肩書が並んでいた。
(すごいな……大企業の偉い人たちが揃っているじゃないか!)
「すごいな、君たちの技術力は!」
本部長が目を細めながら身を乗り出してきた。声に熱がこもっている。
「K社技術本部長としては、今すぐにでも君たちに入社してほしいところだ。しかし年齢が年齢だから、それも難しい。だが、このままにしておきたくない。君たちが開発する技術を、我が社が利用させてもらうような契約が結べればいいのだが」
会長も軽く頷きながら口を開いた。
「君たちが作ったセキュリティソフトだが、世界で使われているセキュリティソフトのレベルと比べて同等か、それ以上らしいぞ! 技術本部ネットワーク担当の山田部長が大絶賛なのだよ」
優子と視線を交わし、俺は落ち着いて答える。
「私たちには、技術を製品として世の中に出す力はありません。最先端の技術を作れても、それを社会で使ってもらうためには、故障しない技術とか、誤操作させない技術といった、技術を支える技術が必要になります」
一呼吸おいて、会長をまっすぐ見つめる。
「それは長い年月と経験により、少しずつ蓄積されるものだと思います。また、技術の権利を守るための特許防衛ノウハウも、私たちには持っていません」
会長は腕を組み、じっと聞き入っている。
空気が少し張り詰めるが、俺は続ける。
「ですので、K社と協力し合ってセキュリティソフト開発を進めるのは、私たちにとって大いにメリットがあると考えています。開発に派生して生まれるかもしれない技術については、柔軟に対応していただきたいと思います」
言い終えると、会長が破顔して声をあげた。
「よく分かっているじゃないか。やはり匠くんは面白いな」
その目は鋭いが、どこか楽しそうでもある。
「会長、今後も定期的に研究所にご足労いただけますでしょうか?」
俺が少し緊張しながら尋ねると、会長は口元をほころばせて大きく頷いた。
「もちろん、そうさせてもらうよ!」
その一言で場が和み、俺と優子は思わず顔を見合わせて笑みを浮かべる。
会長たちは満足そうな表情を残しながら研究所を後にした。
父は会長が乗り込む車を見送ったあと、ふうっと肩の力を抜いてため息を漏らす。
「……やっぱりすごいな、あのオーラは……」
疲れ切った顔をしているのも無理はない。
(今日はゆっくり休ませてあげよう……)
一方で、優子は自分の技術が認められた喜びに目を輝かせ、足取りまで軽やかだ。
もちろん、俺も同じだ。胸の奥が晴れ晴れとしている。
***
移動する車の中で、鈴森会長と技術本部長が小声で話し合っていた。
窓の外を眺めていた会長が、ふと目を細めて口を開く。
「会長! すごい子供たちですね」
技術本部長が興奮を隠せずに言うと、会長はゆっくりと頷く。
「匠くんと話していると、とても9歳とは思えないな。そういえば……A製薬の会長の孫も、頭の出来が良すぎて不登校になっていると聞いている。その孫に、匠くんたちを紹介してあげたらどうだろうか?」
「それはいいかもしれませんね」
本部長が目を輝かせて答える。
「A製薬の会長も、間違いなくお喜びになるでしょう」
「そう思うか?」
会長はにやりと笑い、すぐに秘書へ視線を送る。
「さっそく今日のうちに連絡を取ってみよう」
「ところで、セキュリティシステムですが、どうしますか? 我が社はセキュリティシステムを使うことはあっても、販売とメンテナンスをするようなノウハウはありませんが」
「Sシステム社と我が社で共同出資の会社を作るのはどうだ?」
会長が腕を組み、ゆっくりと車窓の外を眺めながら言葉を落とす。
「名前は……そうだな、KSセキュリティ社としようじゃないか」
「匠くんたちとの関係はどうしますか?」
技術本部長が少し身を乗り出す。
「匠くんはまだ9歳ですから、さすがにKSセキュリティ社の社長になってもらうわけにはいきませんよ」
会長は口元をわずかに緩め、指先で肘掛けをトントンと叩いた。
「今回は、匠くんにKSセキュリティ社の大株主になってもらうことにしよう。いずれ、彼が成長したら社長になれば良いだろう」
「……それと……会社の場所だが、あのビルの7Fはまだ空いていたな。そこにセキュリティソフトの研究開発部隊を入れることにしてはどうだ?」
「未来技術研究所とは、技術コンサルタント契約を結ぶ必要がありますね」
本部長は深く頷きながら、手帳に走り書きしていく。
「いいですね。あの天才児2名は、何としてもK社で囲い込みましょう」
本部長は思わず声を弾ませる。
「まさに金のタマゴですよ!」
「そうだな……」
会長はゆっくりと背もたれに体を預け、眼を細めた。
「匠くんのプレゼンを聞くと、ジャンルを問わず見識が深そうだった。あの年齢で、あれほどの理論を語れるとは……」
低く笑みを浮かべながら続ける。
「少し停滞気味のK社の技術レベルを、一気にブレイクスルーさせてもらえそうだな。久々にワクワクしてきたよ」
車内には重役たちの興奮が漂い、会話はさらに熱を帯びて続いていった――。
***
数日後、K社からメールが届いた。
件名を見ただけで、ただの連絡ではなく正式な提案だと分かる。胸が少し高鳴る。
……内容を要約すれば……
SシステムとK社で、共同出資によりKSセキュリティ社を設立する。
俺がKSセキュリティ社の大株主になる。
秋葉原ビルの7Fに、KSセキュリティ社の先導的な開発部隊を入れる。
未来技術研究所とKSセキュリティ社とで、技術コンサルタント契約を結びたい。
……という、夢のような内容だ。
まさか本当にこうした具体的な形で話が進むとは思っていなかったので、読みながら思わず手が震えた。
もちろん、すぐに顧問弁護士の平山さんに連絡し、送られてきたメールと契約書の条文をチェックしてもらう。
父と母も一緒に真剣な顔で同席する。
平山さんは書類を一枚ずつめくりながら、眉をひそめたり、頷いたり。
やがて一息つき、「問題なし」とはっきり断言してくれた。
ほっと胸を撫で下ろす俺たち。
さらにありがたいことに、俺と父は「この契約条文の意味は……」といった質問を次々とぶつけると、平山さんが丁寧に解説してくれた。
法律用語を分かりやすく噛み砕いて説明してくれるので、授業を受けているような気分になる。
「契約とは、こういう視点で読むのですよ」
「……この条文の一文が、後で大きな意味を持つこともあるのです」
そんな説明を聞きながら、父も俺も何度も頷いた。
おかげで、契約の書き方や条文の持つ意味に、少しは詳しくなることができた。
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