妹はプログラムが得意?
優子ちゃんがぽろぽろと涙をこぼし始めた。
声を上げるでもなく、ただ静かに泣いている。
うれしかったのか、安心したのか……。
それでも、母の言葉に心を許し、ついていこうと決意したのは間違いないだろう。
あの意地悪ババアと一緒に暮らしていた日々は、どれほど辛かったことか。
俺だって、あんな家にいたら一日で逃げ出す。
――もう安心だよ、優子ちゃん。
ソファの隣で母がそっと背中をさすり、優子ちゃんの涙をハンカチで拭いている。
しばらくは母に任せておけばいい。
(それにしても、母さんは行動力あるな……やるときは本当にやる人だ……!)
落ち着いたところで、優子ちゃんの身の上が少しずつ分かってきた。
あの村岡のババアは、優子ちゃんの父親の弟の妻――つまり叔父の奥さんだという。
俺は思わず拳を握りしめる。
「遠い親戚かと思ったら、近い親戚じゃないか……!」
両親が交通事故で亡くなったとき、親戚会議で叔父夫婦が優子ちゃんを引き取ることになったらしい。
ならば、きちんと面倒を見るのが当然のはずだ。
それを……あの仕打ちとは……何だよ!
「引き取った」どころか、厄介者扱いで追い出すような真似をして――。
扱いが酷すぎるにもほどがあるだろ!
***
優子ちゃんの希望もあって、正式に村岡優子は相馬優子となった。
年齢は7歳。俺に妹ができた瞬間だ。
母は両手で優子を抱き寄せ、頬をくしゃっとさせながら笑う。
「なかなか子供ができなくてね……やっと匠が生まれたのよ。本当はね、もう1人子供がほしかったのよ! 本当にうれしいわ」
そう言って、母は優子をギュッと抱きしめる。
優子の小さな肩がびくっと震えたが、次の瞬間、安心したように母の胸に顔を埋めた。
今まで意地悪ババアのせいで、優子は心に深い傷を負ってきたに違いない。
けれど、これからは母がそばにいる。もう怯える必要はない。
俺も、妹ができて素直にうれしい。
今のところ俺は登校拒否&引きこもり生活だから、両親以外に年齢の近い話し相手ができたのだ。
これがうれしくないわけがない。
ただ――その痩せ方があまりにひどい。
意地悪ババアの仕打ちがどれほどだったのか、体が物語っている。
母も心配になったらしく、「一度ちゃんと診てもらいましょう」と病院に連れて行った。
診察室で服をめくった瞬間、あばら骨が浮き出た体を見て、医師や看護師の表情が一変したという。
「ちゃんと食べさせてあげてください」と、母はきつく睨まれたらしい。
(母は無実だぞ……悪いのはあの意地悪ババアだ!)
検査の結果は異常なし。痩せてはいるが、健康に致命的な問題はないと分かって、家族全員が胸をなで下ろした。
「よかった……これからは、しっかり栄養をつけさせないとね」
母が新しい決意を込めた顔で、優子の頭を撫でる。
子供を痩せさせてどうする。今はいっぱい食べて成長する時期なのだ。
母が台所に立つ背中が、やけに頼もしく見えた。
「痩せこけた妹に、不登校の長男……こりゃ……児童相談所に通報されないか心配だよね……」
俺が半分冗談で言うと、父が苦笑しながら眉をひそめる。
「匠、おまえがそれを言うな。しかし……確かに、その可能性はあるな」
父は腕を組んで考え込むふりをしてから、顔を上げる。
「優子は毎日トンカツとかステーキにするか? 加えて、おやつにケーキを食べれば、すぐに太れると思うぞ」
すかさず母が箸をピシッとテーブルに置き、呆れ顔で父を睨む。
「ダメよ〜。優子にはバランス良く栄養のあるものを食べてもらうつもりなの。匠も同じよ。これから中学ぐらいまでは、どんどん体が成長する大事な時期だからね」
母の真剣な表情を見て、優子は胸の奥がじんわり温かくなる。
(相馬家の家族になって、本当に良かった……)
あのときは運命の神様に見捨てられたと思っていた。
でも、まだ運は残っていたのだ。
この家族は、全員が本当にやさしい。
ふと窓の外に広がる夜景に目を向ける。
(それに、自宅がビルの最上階なんてすごいわ……叔父夫婦の家とは比べものにならない……!)
もしあのまま叔父の家にいたら、自分はどうなっていたのだろう。
ぞっとして、優子は小さく首を振る。
(叔父夫婦のことは……もう会うこともないでしょう。忘れてしまおう!)
けれども、心の奥にふと疑問が浮かぶ。
さっき「お兄さんが不登校」って言っていたような……。
(お兄さんはどうして小学校に行っていないのかしら……?)
さらに――母が説明していた「8階の研究所」という言葉が頭をよぎる。
(子供なのに、なぜ自分の研究所なんて持っているの? 分からないことだらけだわ……)
優子は不安と好奇心が入り混じった表情で、兄を見つめていた。
後で、こっそり聞いてみようかな。
(お兄さんが何をやっているのか、すごく気になる……)
優子は小さく息を吸い、思い切って口を開いた。
「お兄さんは、何の研究をしているの?」
俺は椅子にもたれながら、にやりと笑う。
「AIの研究だよ。興味ある?」
「AIというのは何ですか?」
優子が首をかしげながら、瞳をきらりと輝かせる。
「コンピューターが自分で学習して賢くなる技術だよ。将来、社会のいろいろなことに使われていくはずなんだ」
「今度、私にも教えて! 面白そう」
優子は身を乗り出して、期待に満ちた声をあげた。
俺は思わず笑みを深くし、胸を張る。
「優子は、そういうのに興味ある? お〜、じゃあ下の研究所に一緒に行こうよ」
すると父が、半眼で俺を見ながら口を挟む。
「匠、優子をおまえの世界に無理やり引き込むのはダメだからな」
母も両腕を組み、真剣な顔で頷いた。
「そうよ。優子には普通の子供になってもらうつもりだからね」
俺は手をひらひらと振り、苦笑する。
「分かっているよ。優子が興味を持たなければ、すぐに戻ってくるよ」
そして、妹の方へ手を差し伸べる。
「行こう……妹よ」
優子は思わず吹き出しそうになりながらも、にこっと笑った。
「普通じゃないお兄さんなんて……なんだか面白そう」
2人は顔を見合わせ、小さく頷くと並んで歩き出した。
エレベーターに乗り込み、静かにドアが閉まる。
行き先は――8階の研究所だ。
「パソコンとか使ったことある?」
俺が問いかけると、優子は少し考えるように視線を宙にさまよわせた。
「両親が亡くなる前、お父さんのパソコンでいろいろなことを調べたりしていたわ」
懐かしそうに目を細める。その表情に一瞬、影が差す。
「じゃあ、優子にパソコンとノートパソコンをセットでプレゼントするよ」
俺は軽い調子で言いながら、机の上を指でトントンと叩いた。
「お兄さんが買ってくれるの?」
優子が目を丸くして、ぱっと顔を上げる。
「そうだよ。こう見えても、少しはお金を持っているのだよ」
得意げに胸を張ると、優子は小首をかしげた。
「両親にもらったの?」
純粋な疑問に、俺は一瞬言葉を詰まらせる。
「もう兄弟になったからいいか……家族以外には絶対秘密だよ。株式投資で儲けたのさ」
声を潜め、唇に指を当ててみせる。
「お兄さんは、まだ8歳でしょ?」
信じられないといった目で俺を見つめる。
「4歳から、株式投資をやっているよ」
さらりと言うと、優子の口がぽかんと開いた。
「え……そんな小さい時から……」
驚きと戸惑いが入り混じった声が漏れる。
「優子のパソコンが届くまでは、このノートパソコンを自由に使っていいよ。自分の部屋に持っていってもいいからね」
俺は机の上のノートPCを軽く押し出しながら差し出す。
「兄さん、ありがとう」
優子の瞳がうるんで、頬が少し赤らむ。
「じゃあ、リビングに戻るかな。このノートパソコンでいろいろ調べて、興味があることが見つかったら教えてね〜」
俺は立ち上がり、軽く伸びをした。
「そうするわ」
優子がノートPCを大事そうに抱え、力強く頷いた。
***
翌日――
優子がどこかうれしそうにしていたので、俺は気になって声をかけた。
「興味があること、見つかったのか?」
優子は椅子の背から身を乗り出し、きらきらした瞳でこちらを見つめる。
「私は、数学とプログラミングに興味があるみたいだわ」
「そうか……良かった、良かった」
俺は思わず笑みを浮かべる。
「今週中に優子のパソコンとノートパソコンが届くと思うから、プログラムを作ってみたらどう? 取りあえず基礎的なプログラムを組んでみて、それができたら俺が作っているAIのプログラムも弄ってみれば面白いと思うよ」
優子は目を丸くし、驚きと期待を込めて頷いた。
「ほんとうに? 私でもできるかな……」
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