私がこの子を引き取ります
「優子、あんたはこの家から出て行ったんでしょ! なんで戻ってきたのよ! それに……何なの、この人たちは!」
意地悪ババアが、開口一番に声を荒げる。
鋭い目つきで優子ちゃんを睨みつけ、口元を吊り上げるその姿は、本当に蛇みたいだ。
(いつもこんな感じで、優子ちゃんに怒鳴っているのか……。こんな人と一緒に暮らせと言われたら、俺だってすぐに家出するぞ!)
優子ちゃんは、俺より1歳下の7歳だ。
7歳の子供に投げつける言葉じゃないだろ。
その瞬間、母の顔色がさっと変わる。
瞳に怒りが宿り、スイッチが入ったのが一目で分かる。
「あなた! この子に向かって、なんてことを言うの!」
猛烈な勢いで抗議を始める母。
腰を少し前に突き出し、腕を広げるようにして優子ちゃんを庇いながら、おばさんに詰め寄る。
意地悪おばさんは、母の剣幕に押され、思わず後ずさりしそうになる。
肩をすくめ、目が泳いでいる。
(いいぞ、母さん! 頑張れ、負けるな!)
俺と父は後ろで固唾を飲みながら成り行きを見守る。
(母さん、やるときはやるんだな……!)
「この子は、私の子供じゃないのよ!」
おばさんが開き直るように声を張り上げる。
「その子の両親が亡くなったっていうから、仕方なく私が預かってるだけ! そんなに言うなら、あんたがこの子を引き取って世話をすればいいでしょ。……あんたにできるのかしら?」
最後の一言で、おばさんは勝ち誇ったように顎を突き出し、母を睨みつけた。
「分かったわよ! 私がこの子を引き取って世話をします。優子ちゃん、この家からあなたの荷物を全部持ってきなさい」
母が力強く言い切る。その声は迷いがなく、優子ちゃんの小さな手をぎゅっと握りしめていた。
「荷物は私が取ってくるわ。優子、あんたは二度と家に入らないで頂戴!」
おばさんが鼻で笑うように言い放ち、乱暴に踵を返す。
数分後、リュックを片手でぶら下げ、ぞんざいに玄関先へ戻ってきた。
「ほら!」と吐き捨てるように言いながら、そのまま優子ちゃんにリュックを放り投げる。
小さな体に衝撃が走り、優子ちゃんは思わずたたらを踏む。
次の瞬間、おばさんは中へ引っ込み、ドアをガンッと大きな音を立てて閉めた。
俺も父も母も、同じことを考えていた。
(なんという仕打ちを……! こんな小さな子供に!)
優子ちゃんが肩を震わせ、ついに泣き出した。
両手で顔を覆い、嗚咽がこぼれる。
当たり前だ。こんなことをされて泣かない子供なんていない。
家族全員の怒りが一気に沸騰する。
拳を握りしめる父の顔は真っ赤に染まり、母は歯を食いしばって今にも再び家へ踏み込もうとしていた。
でも、こういう時こそ冷静でいなければいけない。
「父さん、平山弁護士に電話してください!」
俺は声を張った。
「大急ぎでここに来てもらってください。このまま優子ちゃんを連れて帰ったら、法的にやっかいなことになるかもしれません。あんな奴に弱みを握られる必要はないです!」
父が我に返り、慌てて携帯を取り出す。
素早く番号を押し、耳に当てると、低く短く事情を伝えていた。
「とにかく、急いで来てくれ! 緊急なんだ!」
父は受話器を握りしめ、声を強める。
同級生だからこそ通じる無茶ぶりだろう。普通の弁護士なら絶対断られる依頼だ。
(持つべきものは、やっぱり同級生の弁護士だな。無理が言えて最高だ!)
俺たち家族は、アパート近くの道路脇に腰を下ろした。
冷たい鉄のガードレールに並んで腰掛け、ただひたすら平山弁護士の到着を待つ。
冬の風が肌を刺す。優子ちゃんはリュックを抱きしめ、小さく体を縮めている。
母はその肩にそっと腕を回し、体温を分け与えるように寄り添っていた。
やがて1時間ほど経ち、タクシーが停まった。
後部座席から姿を現したのは――待ちに待った平山弁護士だ。
「お待たせしました」
その落ち着いた声と同時に、場の空気が一気に和らぐ。頼りになる人が登場だ。
母は立ち上がり、すぐに事情を説明し始めた。
怒りを抑えつつも、声は震え気味だ。優子ちゃんを相馬家で引き取りたい――その強い思いを伝えている。
俺も父も、その意志に迷いはなかった。
(何としても優子ちゃんを、あの意地悪ババアから守る……!)
家族全員の総意だ。
事情を理解した平山弁護士が、腕を組んで父に問いかける。
「その子供を引き取って戸籍に入れますか? それとも養育者になりますか?」
父は少し考え込み、深くうなずいた。
「養育者には必ずなります。その後、本人の意思を確認して籍に入れます。優子ちゃん、それでいいかな?」
優子ちゃんは潤んだ瞳をこちらに向け、ぎゅっと唇を結んだ。
やがて、か細い声で「はい」と答え、弱々しく頷いた。
その瞬間、母の目に涙が浮かび、父の表情もほんのりと和らいだ。
あの意地悪ババアと暮らすより、絶対マシだからな。
俺が優子ちゃんでも、同じように答えるよ。
平山弁護士が静かに言った。
「後は万事、私にお任せください。その子とともに、相手と話をしてきます」
その言葉を信じ、俺たちはさらに1時間ほど外で待つことになった。
寒風に当たりながらも、誰一人口を開かない。みんなで優子ちゃんを心配し、時折あの意地悪ババアの家の方向を睨む。
やがて、アパートのドアが開く。
平山弁護士が優子ちゃんを伴って出てきた。彼の背筋は凛としていて、優子ちゃんの小さな肩をしっかり守っているように見えた。
「もう、この子を自宅に連れて帰っても大丈夫ですよ」
弁護士は穏やかな笑みを浮かべながら続ける。
「必要な書類は私が自宅に届けます。もちろん、私の報酬もよろしく頼みますよ。大急ぎと言われて、他の仕事を後回しにして来たのですからね。頼みますよ」
言葉とは裏腹に、彼はニコニコ顔だ。
(やっぱり頼れる弁護士がいると心強いな……でも、弁護士を頼むのもお金だ。結局、この世はお金がものを言うんだよな……)
俺たち4人は、平山弁護士が乗ってきたタクシーとは別に、無線で呼んでもらったもう一台のタクシーに乗り込み、秋葉原ビルへと戻ってきた。
「さあ、家に着いたわよ」
ビルの入口で母が優子ちゃんの手を優しく握る。
優子ちゃんは立ち止まり、大きな瞳でビルを見上げた。
その顔には驚きと不安、そして少しの期待が入り混じっている。
「このビルが家なの……?」と小さな声。
(そうだ、このビルは父さん自慢のビルなんだ。これからはここが、君の新しい家だよ)
エレベーターで9階へ上がり、玄関のドアを開ける。
「優子ちゃん、中に入って」
母が背中を軽く押すと、優子ちゃんは恐る恐る足を踏み入れた。
リビングのソファに腰を下ろさせると、母がすぐにキッチンへ行き、ジュースとお菓子をテーブルに並べる。
「まずは、甘いものでも食べて落ち着いてね」
トレイを置く手つきは優しく、微笑みながら言葉を添える。
「優子ちゃんも苦労したわね。とにかく安心していいから。これからはずっと、のんびりしていいからね」
差し出されたジュースを両手で受け取りながら、優子ちゃんは小さくうなずいた。
だが、表情はまだ硬いままだ。
「ありがとうございます。ところで……私はこれからどうなるのでしょうか?」
緊張した面持ちで、恐る恐る問いかける。
(俺たち家族のことも何も知らないし、どうして助けてくれたのかも分からないのだから、当然だよな……)
母はソファの隣に腰を下ろし、優子ちゃんの肩にそっと手を置いた。
「心配する必要はまったくないわ。この家で家族として、のびのびと楽しく暮らせばいいの」
柔らかな声で続ける。
「実子になるかどうかは、少し落ち着いてから、ゆっくり自分で決めていいのよ。私たちは、家族になってくれるのを歓迎するわ」
母の言葉に、優子ちゃんの目尻がほんのり赤くなり、潤んでいく。
緊張がほどけ、ようやく「ここで暮らしていいんだ」と思えたようだった。
ここまで、お読みいただきありがとうございます。
励みになりますので
ぜひブックマークや評価などをお願いします。




