お金を取り返せるぞ!
「何かの拍子に、取り付けた設備機器が見積もりと違うと分かれば、施主からクレームが来るんじゃないのか?」
「クレームが入る可能性はゼロではない。だが、実際にはその確率は低いだろう。理由は後で説明する」
「……ただし、性能が落ちた機器を取り付けている以上、施主の満足度は当然下がる。『この工事費でこの性能なのか?』という疑念を抱かせ、次の発注にはつながらない。要するに、顧客との信頼関係は確実に損なわれるということだ」
「不況の中でそんな不正を繰り返していたら、経営が悪化するのは目に見えているな……」
「とにかく今日中に資料をまとめて送ってくれ。確認ができれば、2〜3日のうちには納入業者と直接話をするつもりだ。それと――弁護士報酬の件は忘れないでくれよ。私はお前の友人だが、仕事は仕事だからな」
平山弁護士は、俺が心の中で訴えたかったことを、すべて的確に言葉にしてくれた。
ありがとう、平山さん……本当に助かった。父がこんな優秀な弁護士と旧友だったことを、心からありがたく思う。
***
依頼から二日後――。
平山弁護士が再び我が家を訪ねてきた。
手には分厚い書類の束を抱え、真剣な面持ちでソファに腰を下ろすと、落ち着いた声で納入業者との交渉の経過を語り始めた。
平山弁護士は、机に置いた書類の束を指で軽く叩きながら口を開いた。
「納入業者は、設備機器を扱う小さな商社だった。驚いたことに、そのB社の社長自身が、直接この不正に関わっていた」
父が大きく目を見開き、思わず背筋を伸ばす。
母は両手を膝の上で握りしめ、不安そうにしている。
「話を切り出した最初のうちは、『まったく身に覚えがない』とシラを切っていた。だがこちらには十分な証拠がある。そこで『刑事告訴すれば、あなた自身が刑務所に行くことになるぞ』と穏やかに忠告してやったんだ」
弁護士は淡々と語りながらも、鋭い眼光をこちらに投げかける。
場の空気は一気に張り詰めた。
「すると、社長は顔面蒼白になって観念し、すべてを自白したよ」
その言葉を聞いた瞬間、父の肩が大きく上下し、深い息が漏れた。
平山弁護士、少し得意げに話す。
「社長の受け答えから判断するに、千葉という社員は5年前どころか、それ以前から横領を繰り返していたようだ。だが自分の首を締めることになるから、そこまでははっきり認めなかった」
「問題は、不正を最初に持ちかけたのが千葉だという点だ。しかも、彼の妻も同じ会社に勤めている。つまり夫婦ぐるみの共犯だ」
そこまでの話を聞いて、父さんの表情が強張った。
手にしていた書類をぎゅっと握りしめ、顔色がみるみる険しくなる。
「さらに他の社員たちも、現場で取り付ける設備機器が見積書と違うことに気づいていたが、千葉から小遣い程度の金を握らされ、見て見ぬふりをしていたらしい」
平山弁護士は淡々と告げながら、視線だけ鋭く父を射抜く。
父は唇を固く結び、眉間に深い皺を刻んだ。
「……B社の社長は最後まで頭を下げ続けていたから、こちらの交渉次第では、騙し取られた金をまとめて取り返せる可能性が高いぞ」
父はことの成り行きに少し動揺している。
「損害額はおよそ3,600万円という認識で間違いないな? 資料に裏付けがあることが前提だが、数字はそこまで細かくなくても構わない……」
弁護士の低い声が室内に響く。
父はしばし沈黙したのち、書類に視線を落とし、重々しくうなずいた。
「そうだ、約3,600万円で間違いない。資料もすべて、ここに揃えてある」
平山弁護士は一度メモを閉じ、鋭い眼差しで父を見据える。
「分かった。次は刑事告訴するか、示談にするかを決めないといけない。刑事告訴にすると、警察の捜査から検察への送検と時間もかかるし、発生した損害をこちら側が立証しないといけない」
彼は腕を組み、声を低くした。
「それは、いろいろ面倒だ。刑事告訴をちらつかせての示談を勧める。刑務所の代わりに、示談のお金を支払うことが罰になるということだ」
母が心配そうに父を見つめる。
父は口を引き結んだまま、しばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「示談が良さそうだと思う。示談の対象は業者と千葉だけでいい。千葉以外の社員は、退職金なしで会社を辞めてもらうことで罰としたい」
平山弁護士は目を細め、手帳にさらさらと書き込んだ。
「会社はどうする? 続けるのか?」
「それはすぐには決められない。銀行借り入れもあるし」
平山弁護士は頷き、資料を指で軽く叩いた。
「方針が決まったのだから、あとは私に任せておいてくれ。業者と千葉には、商品納入の不正に基づく会社の損害賠償として、とりあえず4,000万円で示談交渉しよう」
「絶対、5年より長く横領をやっているからな。10年やっていたとしたら8,000万円なのだろう。4,000万円がいいところじゃないかな」
父は拳を握り締め、悔しそうに机を見つめた。
「4,000万円に対する業者と千葉の比率だが、業者の儲けの3分の1を千葉が受け取っていたということと、もともと千葉が持ちかけた不正だということから、業者が60%、千葉が40%という比率にしようか」
「千葉には思うところがあるだろうが、個人で1,600万円の支払いは重いと思うぞ。どうせそういう奴は、ズルして儲けた金を貯金なんてしないからな」
母が小さくため息を漏らす。父はその横で、唇をかみしめていた。
「示談不成立となった場合には、刑事告訴に変更だ。いろいろ面倒だが、それでいいか?」
父は背筋を伸ばし、決意を込めて答えた。
「すべて任せる」
「4,000万円をきっちり勝ち取ったら、弁護士報酬は容赦なく請求するからな。忘れるなよ」
平山弁護士が軽く笑みを浮かべながらも、目は真剣だった。
「もちろん支払う。心配するな」
父はうなずき、決意を込めた声で答える。
「了解した。交渉は明日行う。最初に納入業者、次に千葉だ。お前は会社にはいない方がいいだろう」
「明日は休むことにするよ。万事よろしく頼む」
平山弁護士は立ち上がり、深々と一礼してから家を後にした。
背中を見送りながら、室内にはしばらく緊張の余韻が漂った。
「父さん、会社はどうするの?」
沈黙を破ったのは、俺の問いかけだった。
父は長い間考え込むように黙り、やがて小さく息を吐いた。
「正直なところ、気持ちとしては百パーセント会社を畳みたい。ただ、それをやれば仕事を失う。家族の生活をどうするかが問題になる。それに銀行からの借り入れもあるし、すぐに結論を出すわけにはいかないんだ」
迷いと重責が入り混じった表情に、胸が痛む。
(お金のことは大丈夫です。僕も株で、ほんの少しだけ儲けています)
そう言いかけたが、ぐっと飲み込んだ。まだその時ではない。
***
翌日――
平山弁護士はまず納入業者B社に乗り込んだ。
ここからが、彼の腕の見せ所だった。
机を挟んで対峙する社長は、冒頭こそ強がっていたが、刑事告訴をちらつかされると顔色を失い、やがて言葉を失った。
訴訟が現実になれば、信用は地に落ち、会社は一瞬で傾く。
しかも、この年齢で刑務所など考えたくもない。出所後に待っているのは、居場所のない人生だけだ。
観念した社長の肩は大きく落ち、抵抗の余地が消えていた。
平山弁護士は逃げ道を断ち切るように、静かに、しかし畳みかけるように告げる。
「商品納入の不正に基づく損害賠償額4,000万円。そのうち60%、2,400万円が貴社の負担分です。2週間以内に、こちらの口座に送金してください」
鋭い視線と共に差し出された紙には、振込先が明記されていた。
社長は額に汗をにじませ、しばし呆然と書類を見つめていたが、やがて観念したようにペンを取り上げる。
念書に震える手でサインをし、重苦しい沈黙の中、全てを受け入れた。
「……分かりました。2,400万円、必ず用意します」
絞り出すような声は、敗北を悟った男の声だった。
この後、どこからか資金を工面するのだろう。だが、その先に待つ経営の道が険しいことは明らかだった。
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