第6話 金貨6枚の重さ
麦を積んだ荷車が来た時、レオンは寝癖を直しているところだった。
濡らして押さえても、一か所だけ戻る。昨日までは髪に土がついていないだけで満足していたのに、少し眠れるようになると、こういうことが気になるらしい。
「そのままでいい。麦は髪を見ない」
戸口からミレイユに言われた。
「売ってくださる方は見ます」
「待たせる方が悪い」
もっともだった。
レオンは櫛を置き、外套へ腕を通した。
グレイフェルへ着いて、五日目の朝だった。
◇
広場に荷車が二台停まっていた。
山積みの麻袋には、夜露を避ける厚い布が掛けてある。村から買い付けに出した男が、御者台の横でバルドへ手を振っていた。
その隣に立つ商人は、丸顔の、四十歳ほどの男だった。襟元をきっちり留めた上着に、泥だらけの長靴。頬より鼻の頭の方が赤い。
「エルンです。西の市場で穀物を扱っております」
帽子を取り、レオンの顔から髪の上へ、一瞬だけ目が動いた。
見られた。
「領主のレオンです。急なお願いを聞いてくださって、ありがとうございます」
「代金を頂ければ、こちらこそ。道の最後の坂だけ、どうにかなりませんかね。帰りは馬が嫌がりそうです」
バルドが、荷の封を確かめていた。
買い付けに預けた前金と、残りの支払いを合わせて金貨六枚。麦二十四袋に少量の豆と塩、それに運賃だった。
レオンは一袋の口を開けてもらった。乾いた麦の匂いがする。バルドが下の方からもひとつかみ取り、掌で転がして頷いた。
「倉へ入れよう。数はわしが見る」
人が集まってきた。
荷車から担ぎ上げた袋は、男の背中を半分隠した。それでもまだ二十三袋ある。レオンは流れていく荷を見て、少し息をついた。
これだけあれば。
「村全体で、八日ほどの足しになる」
バルドが言った。
「八日」
「豆の分をうまく回せば、もう少し」
六十万円ほど、と考えてしまった。
前世の自分一人なら、ずいぶん暮らせる金だ。それが目の前を袋になって通り過ぎ、三百人余りで食べれば八日になる。
「次の買い付けも、考えておいてください」
エルンは帽子をかぶり直した。
「冬が近づけば、ほかの村も買います。今日の値で、いつでも同じだけとはいきませんので」
「……はい。相談させてください」
父の金貨百枚を断った自分を、もう一度だけ呼んできたい。
説教はしない。この荷車の横に立たせ、八日、と聞かせるだけでいい。
◇
共同倉庫の戸を開けると、床の端が黒かった。
レオンは足を止めた。外からは分からなかったが、壁際の板が湿っている。窓の下に空の袋が畳んであり、その底にも同じ色がついていた。
「そこには置くな」
バルドが、運び手を中央へ誘導した。
「雨が吹き込む。今までは荷も少なかったから、避けて置けた」
今は避けた場所へ二十四袋を入れようとしていた。
レオンは窓の鎧戸を開いた。留め具が曲がり、下端がきちんと閉まらない。壁の継ぎ目にも水が入った跡がある。
麦を買うところまでしか考えていなかった。
保存する場所も仕事のうちだ。設備管理をしていたのに、倉庫があるという言葉だけで、使えるものと思い込んでいた。
「ヨナスさんを呼べますか。先に荷を置く台が欲しいです」
「裏の板を使うか?」
運び手の一人が聞いた。
「見せてもらってからで。濡れた板なら、別の物を探します」
荷車の布を広場の軒下へ移し、その下で袋を待たせることにした。急いで運んだ人たちに頭を下げると、一人が首の汗を拭った。
「腐らすよりいいさ。次からは、先に言ってくれ」
「そうします」
レオンは袖をまくった。
◇
ヨナスが選んだのは、使っていない寝台の枠だった。
「脚を落として、横へつなぐ。これなら今日中に載せられる」
節の張った指で継ぎ目を押す。左脚をかばって座りながらも、作業の手は止まらなかった。
寝台を持ち出した家の男が、複雑な顔をしていた。
「うちの親父が使ってたんだが」
「捨てるわけじゃない。麦が寝る」
「親父より場所を取るな」
ヨナスが、鼻で笑った。
レオンは外した鎧戸の留め具を台へ置いた。まず曲がりを道具で戻す。割れた端を調べ、合う鉄片を選んで添えた。
――【手直し】 熟練度2 ――
指先の光が、細い継ぎ目へ収まった。
手を離してみる。引いても、軽くねじっても、口は開かない。
ただし木枠の方は腐っていたので、金具だけ戻しても意味がなかった。
「こっちは替えるぞ」
ヨナスが新しい端材を選ぶ。
レオンは頷き、釘を渡した。祝福が少し上達しても、横に職人がいるありがたさは変わらなかった。
昼過ぎには、荷がすべて収まった。
袋と床の間に隙間ができ、壁にも直接触れない。閉めた鎧戸を外からミレイユに押してもらったが、今度は勝手に開かなかった。
ブラムには壁と雨水の流れを見てもらう。今日ふさげる所と、材料を買ってから直す所を分けて書いた。
直し残しはあった。それでも、新しい麦を濡れた床へ積まずに済んだ。
エルンが入口に顔を出した。
「荷下ろしを待つ間に、ずいぶん変わりましたね」
「次は、着く前に済ませます」
「それは助かります」
商人は率直だった。慰められるより、その方がレオンにはありがたかった。
◇
帰り支度をするエルンへ、次の市の日を聞いた。
麦を買い続ける金は、父の援助だけを待つわけにはいかない。村に売れるものがあるか、帳簿を確認する必要があった。
そう考えていると、エルンが倉庫の戸を振り返った。
「あの留め具を直したのは、領主様ですか」
「一部だけです。木枠はヨナスさんが」
「金具の方です。うちにも壊れたのが溜まってましてね。次に持ってきても?」
返事をしかけて、レオンは止まった。
何でも直せるわけではない。仕事を受けてから困るのは、もう避けたい。
「見て、直せるものだけでもよければ。代金は、その時に相談させてください」
「もちろんです。新品より高ければ、私も頼みません」
エルンは笑って御者台へ戻った。
馬の背が門の向こうへ消えるまで見送り、レオンは倉庫へ引き返した。
オルガが豆の袋から今日の分を量っていた。器へ落ちる豆の音が、思いのほか大きい。
「今日は少し増やせるよ」
彼女はそう言って、量った分を鍋へあけた。
レオンは、六枚の金貨を思い出した。
なくなった金の方ばかり考えていたが、その分が今、この鍋に入っている。
「僕の分は、いつも通りでいいです」
「皆で少しずつだよ。あんただけ減らしてどうする」
差し出された椀を受け取った。
匙を入れると、昨日より重かった。




