↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/16

奴隷少女 第三幕

リナと旅を始めて、一か月ほどが経った。


最初の頃と比べれば、ずいぶん変わったと思う。


「ユウ、起きて」


「……もう朝?」


「とっくに」


「あと少し」


「昨日もそれ言ってた」


毛布を引っ張られる。


「寒い」


「知らない。今日中に街まで行くんでしょ」


「分かったよ」


仕方なく起きると、リナはすでに朝食の準備を終えていた。


硬いパンと干し肉、それに昨日作ったスープの残り。


最初の頃なら、俺が起きるまで黙って待っていた。


今は普通に起こす。


場合によっては毛布まで剥ぐ。


俺としては、この変化が嬉しかった。


奴隷だから従っているのではなく、一緒に旅をする相手として接してくれるようになった。


少なくとも、そう思っていた。


「今日の依頼、危ないんでしょ?」


朝食を食べながらリナが聞いてきた。


「どうだろうな」


「ギルドの人、危険だって言ってた」


「大丈夫だよ」


「そう言って、この前も魔物に襲われたじゃない」


「あれは大した奴じゃなかっただろ」


「三頭いた」


「三頭くらいなら平気だよ」


リナが呆れたような顔をする。


「死んだらどうするの?」


「死なないよ」


「なんで分かるの?」


「なんとなく」


「馬鹿」


俺は笑った。


心配してくれているらしい。


それだけでも、以前とは全然違う。


    ◇


今回受けた依頼は、商隊の護衛だった。


交易都市から山を越え、隣の領地まで荷物を運ぶ。


護衛は俺を含めて八人。


俺以外は全員、冒険者としてかなり経験があるらしい。


依頼そのものは問題なく進んだ。


三日目までは。


「止まれ!」


先頭を歩いていた冒険者が叫んだ。


道の両側から男たちが出てくる。


十人。


二十人。


最終的には三十人近くになった。


全員が武器を持っている。


「盗賊だ」


隣の冒険者が剣を抜く。


商人たちが慌てて馬車を寄せた。


リナも俺の後ろへ下がる。


「荷物を置いていけ!」


盗賊の一人が叫んだ。


「そうすりゃ命までは取らねえ!」


護衛の冒険者たちが緊張している。


俺は人数を数えた。


三十二人。


「多いな」


「当たり前だ! 下がってろ!」


護衛の一人に怒鳴られた。


「いや、俺が行くよ」


「は?」


「早く終わるから」


俺は前へ出た。


「ユウ!」


後ろからリナの声がする。


振り返る。


「大丈夫」


「三十人いるのよ!」


「分かってる」


「だったら――」


「すぐ終わるよ」


俺は盗賊たちの方へ歩いた。


向こうが笑っている。


「なんだ、兄ちゃん。一人でやるのか?」


「できれば武器を捨ててくれない?」


さらに笑われた。


「嫌だと言ったら?」


「面倒だな」


盗賊の顔から笑みが消える。


「舐めてんのか?」


「いや」


本当に面倒なだけだった。


できれば人間相手に戦いたくない。


魔物ならまだいい。


人間は加減が難しい。


俺が普通に殴れば、おそらく死ぬ。


「最後にもう一回言うけど、武器を捨てて帰らない?」


「殺せ!」


交渉は失敗した。


    ◇


結果だけ言えば、すぐに終わった。


最初の男の剣を掴んで折った。


腹を軽く押す。


それだけで男が数メートル飛んだ。


次の男は足を払った。


三人目は腕を掴んで投げた。


四人目。


五人目。


途中から数えるのをやめた。


剣を使う必要もなかった。


殺さないようにする方が難しい。


五分もしないうちに、街道には盗賊たちが転がっていた。


「終わり」


俺は手を払った。


何人かは逃げた。


追わない。


戦意を失ったなら十分だ。


「殺さないのか?」


護衛の一人が聞いてきた。


「なんで?」


「盗賊だぞ」


「もう動けないだろ」


「後でまたやるかもしれない」


「だったら役人に引き渡せばいい」


冒険者が変な顔をする。


「甘いな、お前」


「そう?」


「盗賊なんぞ、ここで殺したって誰も文句言わねえよ」


「俺が嫌なんだよ」


それだけ答えた。


俺はリナのところへ戻る。


「怪我ない?」


「……ない」


「よかった」


リナは倒れている盗賊たちを見ていた。


「どうした?」


「なんで殺さなかったの?」


「殺す必要ないだろ」


「向こうは殺すつもりだった」


「だからって、俺まで殺す必要はないよ」


リナは黙った。


「変?」


「……変」


「またそれか」


俺は笑った。


リナは笑わなかった。


    ◇


護衛依頼は無事に終わった。


盗賊を捕らえた功績も加算され、予定より多くの報酬が支払われた。


さらに盗賊の一部に賞金までかかっていたらしい。


受け取った金額を見て、俺は驚いた。


「こんなにもらえるの?」


ギルドの受付が苦笑する。


「三十二人の盗賊団をほぼ一人で壊滅させておいて、その反応ですか?」


「壊滅ってほどじゃないだろ。逃げた奴もいるし」


「十分です」


金貨の入った袋を受け取る。


重い。


しばらく働かなくても生活できそうだ。


宿へ戻ると、リナが袋を見た。


「すごい金額」


「そうだな」


「こんなの初めて見た」


「俺も」


「どうするの?」


「どうしようか」


特に欲しいものはない。


装備も今ので困っていない。


そこで、以前から考えていたことを思い出した。


「そうだ」


「何?」


「次の街、大きいんだよな?」


「そうだけど」


「奴隷契約を解除できる役所があるって聞いた」


リナの動きが止まった。


「……あるよ」


「じゃあ、そこで手続きしよう」


「何の?」


「君の」


リナが俺を見る。


「自由にする」


しばらく何も言わなかった。


俺は少し不安になる。


「嫌なの?」


「……そんなわけない」


「だよな」


当たり前だ。


奴隷のままでいたい人間など、そうはいないだろう。


「最初からそのつもりだったんだ。ただ、小さい街じゃ手続きできないって言われたから」


「最初から?」


「ああ」


リナは俺を見ている。


「なんで私を買ったの?」


「そのままにしておくのが嫌だったから」


「それだけ?」


「それだけ」


「馬鹿じゃないの」


「なんでだよ」


「高かったでしょ、私」


「まあ、それなりに」


「その金で何が買えたと思ってるの?」


「分からない」


「家だって買える」


「そんなに?」


「知らなかったの?」


「知らなかった」


リナが額を押さえる。


「本当に馬鹿」


「最近、遠慮なく言うよな」


「怒る?」


「別に」


「ほら」


「何が?」


「なんでもない」


リナは顔を背けた。


俺は少し考えてから続ける。


「それでさ」


「何?」


「自由になった後だけど」


少し緊張した。


こんなことを言うつもりはなかった。


ただ、一か月一緒に旅をしてきた。


最初は奴隷と主人だった。


でも今は、それだけではないと思っている。


「行くところ、ある?」


リナが黙る。


「ないなら……そのまま俺と一緒にいてもいい」


「奴隷として?」


「違うよ」


「じゃあ何?」


「それは……」


困った。


恋人と言うには早い気がする。


友人というのも少し違う。


「一緒に暮らす人?」


「何それ」


「俺にも分からない」


リナが小さく笑った。


「変なの」


「嫌ならいいんだぞ」


「……考える」


「うん」


それで十分だった。


    ◇


その夜、俺はなかなか眠れなかった。


宿の天井を見ながら、これからのことを考える。


次の街で奴隷契約を解除する。


リナは自由になる。


その後も一緒にいてくれたら、どこかに家を借りてもいい。


俺は冒険者を続ける。


リナは料理が得意だから、何か仕事を探してもいい。


別に働きたくなければ、それでもいい。


金はある。


そんなことを考えている自分に気づき、少し笑った。


完全にその気になっている。


リナはまだ考えると言っただけだ。


でも、たぶん大丈夫だと思った。


一か月一緒に旅をした。


最初はほとんど口も利いてくれなかった。


今では俺を起こすし、料理がまずければ文句を言う。


道を間違えれば馬鹿にする。


心配もしてくれる。


今日だって盗賊の前に出たとき、止めようとしてくれた。


俺を信頼してくれている。


そう思った。


いつの間にか眠っていた。


    ◇


朝。


目を覚ます。


静かだった。


「リナ?」


返事がない。


まだ寝ているのだろうか。


隣の部屋へ行く。


扉を叩く。


「リナ、起きてる?」


返事がない。


扉を開ける。


誰もいなかった。


ベッドは空だった。


荷物もない。


嫌な予感がする。


俺は自分の部屋へ戻る。


机を見る。


昨日受け取った報酬の袋がない。


荷物を確認する。


奴隷契約の証書も消えている。


「……え?」


宿の裏へ走る。


馬小屋へ行く。


「俺の馬は?」


馬番の少年が眠そうな顔で答える。


「女の人が乗っていきましたよ」


「いつ?」


「夜明け前です」


「どっちへ?」


「東です」


東。


次に向かう予定だった街とは逆方向だ。


俺は街道を見る。


追える。


今すぐ走れば追いつける。


馬より俺の方が速い。


一時間もかからないだろう。


一歩踏み出す。


そこで止まった。


追いついて、どうする?


捕まえるのか。


金を返せと言うのか。


奴隷契約の証書を取り上げるのか。


また連れて帰るのか。


「……なんでだよ」


声が出た。


答える人はいない。


俺は宿へ戻った。


部屋に座る。


昨日までリナがいた隣の部屋は空だった。


金がない。


馬もない。


リナもいない。


でも、一番分からないのはそこではなかった。


「俺たち、うまくいってたよな……」


誰に聞いているのか、自分でも分からない。


殴ったことはない。


怒鳴ったこともない。


同じ飯を食った。


部屋も用意した。


意見も聞いた。


奴隷から解放すると言った。


それでも駄目だった。


リナは笑っていた。


俺を馬鹿にした。


心配もしてくれた。


あれは何だったのだろう。


分からなかった。


金を盗まれたことよりも、そのことの方がずっと痛かった。



# 第三幕・幕間 リナ


夜明け前の街道を、リナは馬で走っていた。


何度も後ろを見る。


誰もいない。


それでも速度を落とさなかった。


袋の中には金がある。


見たこともないほどの大金。


これだけあれば、しばらく暮らせる。


仕事を探す時間もある。


場合によっては、小さな店くらい始められるかもしれない。


胸が痛かった。


「……馬鹿」


誰に言ったのか、自分でも分からない。


ユウは変な男だった。


奴隷を買ったのに働かせない。


殴らない。


怒鳴らない。


食事まで同じものを食べさせる。


宿では別の部屋を取る。


何かあるたび、


『どうしたい?』


と聞いてくる。


最初は怖かった。


何を考えているのか分からなかった。


後で何かを要求されると思っていた。


でも、何もなかった。


だから少しずつ分かった。


この男は、自分に強く出られない。


奴隷の自分に文句を言われても怒らない。


料理を馬鹿にしても殴らない。


道を間違えたことを笑っても怒鳴らない。


普通の主人なら許さない。


強い男なら、なおさら許さない。


だから、怖くなくなった。


魔物を倒すところも見た。


盗賊を倒すところも見た。


でも、魔物がどれほど強いのか、リナには分からない。


盗賊だって殺さなかった。


殺せなかったのかもしれない。


倒れた男たちを見ながら、ユウは困ったような顔をしていた。


強い男は、あんな顔をしない。


少なくともリナが知っている強い男たちは、そうではなかった。


父親に金を貸した商人。


借金を取り立てに来た男たち。


奴隷商人。


奴隷を買いに来た客。


強い者は命令する。


逆らえば殴る。


欲しいものは取る。


それが普通だった。


ユウは違った。


だから弱いのだと思った。


嫌いではなかった。


一緒にいるのは楽だった。


食事もおいしかった。


ユウが地図を逆さまに持っていたときは、本当に面白かった。


昨日、


『自由にする』


と言われたときは、信じられなかった。


その後も一緒に暮らしていいと言われた。


一瞬だけ、そうしてもいいと思った。


でも、自由になるなら金が必要だった。


何も持たずに一人になれば、また誰かに買われるかもしれない。


仕事が見つからなければ、食べていけない。


そして目の前には、ユウが受け取ったばかりの大金があった。


馬もある。


奴隷契約の証書もある。


こんな機会は二度とない。


「ごめん」


小さく呟いた。


返事はない。


少しだけ泣いた。


それでも馬を止めなかった。


ユウなら大丈夫だと思った。


金がなくなっても、また冒険者として稼げばいい。


変な男で、世間知らずで、お人好しだけれど、仕事だけはできる。


リナはそう思っていた。


自分が弱いと思っていた男が、本気で追えば馬など簡単に追い越せることも。


三十二人の盗賊を殺さなかったのではなく、殺さないように一人ずつ力を加減していたことも。


この世界のどんな戦士を連れてきても、おそらく彼には勝てないことも。


最後まで知らないまま、リナは東へ走っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。