奴隷少女 第二幕
その少女を見つけたのは、別の街へ移動したときだった。
大きな街だった。
街道が何本も交わる交易都市で、商人や旅人が多い。市場には野菜や肉だけでなく、武器、防具、衣類、香辛料まで並んでいた。
そして、その一角に奴隷市場があった。
存在すること自体は知っていた。
だが、実際に見るのは初めてだった。
「……マジかよ」
思わず声が出た。
人が並んでいる。
首に金属製の輪をつけられた男女が、店先に座らされていた。
値札まである。
奴隷制度。
歴史の教科書では知っている。
映画でも見た。
だが、実際に目の前にすると全然違った。
「旦那、何かお探しで?」
商人が声をかけてきた。
「いや……」
「労働奴隷ですか? 護衛に使える男もおりますよ。家の仕事でしたら女の方が扱いやすい」
扱いやすい。
その言葉に腹が立った。
しかし商人に怒鳴ったところで何も変わらない。
この男にとっては普通の商売なのだ。
「見るだけだ」
「どうぞどうぞ」
俺は並んでいる人たちを見る。
目を合わせない者が多い。
諦めたように地面を見ている。
その中に、若い女がいた。
十七、十八くらいだろうか。
痩せている。
茶色い髪は雑に切られ、服も汚れていた。
ただ、ほかの奴隷と違って俺を睨んでいた。
「この子は?」
気がつくと聞いていた。
「若いですよ。少々気が強いですが、身体は健康です」
「なんで奴隷になった?」
「借金ですね。親の借金です」
少女の表情が険しくなる。
商人は気にしない。
「読み書きは少し。料理もできます。まあ、躾には多少時間がかかるでしょうが」
「いくら?」
金額を聞く。
払えた。
ブラッドホーンの報酬と、その後にこなした依頼の金がある。
安い買い物ではない。
それでも十分足りる。
「買う」
少女が初めて俺をまっすぐ見た。
◇
「名前は?」
奴隷商を出てから聞いた。
少女は黙っている。
「言いたくないならいいけど」
「……リナ」
「リナか。俺はユウだ」
「知ってる」
「そうなの?」
「さっき商人が呼んでた」
「ああ」
なるほど。
会話が終わる。
気まずい。
俺は何をしているのだろう。
勢いで買ってしまった。
もちろん、このまま奴隷商に置いていくよりはいいと思った。
だが、これからどうすればいい。
「腹減ってない?」
リナが俺を見る。
「別に」
腹が鳴った。
俺は聞かなかったことにした。
「飯にしよう」
「いらない」
「俺が腹減ったんだよ」
近くの食堂へ入る。
「二人分」
店員がリナの首輪を見る。
「奴隷にも?」
「ああ。同じのでいい」
店員は一瞬だけ俺を見たが、何も言わなかった。
パンと肉のスープが運ばれてくる。
リナは料理を見ている。
「食べていいよ」
「……本当に?」
「そのために頼んだんだけど」
リナは恐る恐るパンを取った。
一口食べる。
次からは速かった。
かなり腹が減っていたらしい。
「ゆっくり食べろよ」
リナの手が止まる。
身体が固くなった。
「怒ってないよ。喉に詰まるから」
リナが俺を見る。
何も言わず、また食べ始める。
今度は少しゆっくりだった。
◇
その日の宿でも少し揉めた。
「部屋は二つで」
俺が言うと、主人が怪訝な顔をした。
「奴隷用の部屋ですか?」
「普通の部屋でいい」
「旦那の部屋に寝かせればよろしいのでは?」
「いや」
意味は分かった。
「二部屋で」
「もったいないですぜ」
「いいから」
金を払う。
リナが黙ってこちらを見ていた。
部屋へ向かう途中で聞いてくる。
「なんで?」
「何が?」
「部屋」
「一人で寝たいだろ?」
「奴隷なのに?」
「それは……」
俺は言葉に詰まる。
「俺は奴隷っていうのが好きじゃないんだ」
「何それ」
「俺のいたところにはなかったから」
「どこから来たの?」
「遠いところ」
「どこ?」
「説明しても分からないと思う」
「変なの」
リナはそう言った。
「とりあえず、殴ったりしないから安心していい」
リナの表情が変わる。
「食事も普通に食べていい。嫌なことがあったら言ってくれ」
「……なんで?」
「なんでって」
答えに困る。
人を殴らない理由を聞かれた経験がない。
「殴る必要がないから」
リナは黙った。
しばらく俺を見る。
「変な人」
「よく言われる」
今日だけで何度目だろう。
◇
翌日から、二人で旅を始めた。
目的地は西にある街だった。
俺はそこで護衛の依頼を受ける予定だった。
リナをどうするかは、まだ決めていない。
奴隷契約を解除する方法があることは知っていた。
ただ、小さな街では手続きができない。ある程度大きな都市へ行く必要があるらしい。
だったら、そこまで連れていけばいい。
最初の数日、リナはほとんど話さなかった。
俺の後ろを歩く。
俺が止まれば止まる。
俺が食べろと言えば食べる。
何か聞いても、
「はい」
「いいえ」
それだけだった。
まあ当然だと思う。
知らない男に買われて、いきなり旅に連れ出されたのだ。
俺だって同じ立場なら警戒する。
だから無理に話しかけなかった。
変化があったのは、一週間ほど経ってからだった。
「そっちじゃない」
「え?」
「道」
リナが言った。
俺は地図を見る。
「こっちだろ?」
「昨日の宿の人、西の橋を渡れって言ってた」
「これ西じゃないの?」
「南」
空を見る。
太陽の位置を確認する。
「……南だな」
「馬鹿なの?」
「地図が分かりにくいんだよ」
「逆さま」
地図を見る。
本当に逆さまだった。
リナが笑った。
初めて見た。
「笑うなよ」
「だって」
「気づいてたならもっと早く言え」
「聞かなかったじゃない」
「普通言うだろ」
「主人に勝手なこと言ったら怒られるから」
俺は少し黙った。
「俺には言っていいよ」
「怒らない?」
「道を間違えてるのは俺だからな」
「ふうん」
リナが俺の横を歩き始める。
それまでは必ず数歩後ろだった。
俺は少し嬉しかった。
◇
それから、リナは少しずつ話すようになった。
「まずい」
野営中、俺が作ったスープを一口飲んでリナが言った。
「そこまでか?」
「味しない」
「塩入れたぞ」
「少なすぎ」
「健康にはいい」
「何それ」
リナが俺から鍋を奪う。
「貸して」
「お前が作るの?」
「これ食べるくらいなら」
塩と香草を追加する。
しばらくして出てきたスープを飲む。
「うまい」
「普通」
「料理できるんだな」
「奴隷になる前は家でやってたから」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
聞いてほしくないこともあるだろう。
翌日から料理はリナが担当するようになった。
その代わり、俺が荷物を多めに持つ。
「それ、私が持つ」
「いいよ」
「なんで?」
「俺の方が力あるから」
「そんなにないでしょ」
「あるよ」
「嘘」
「なんで嘘つくんだよ」
リナが鼻で笑う。
どうやら信じていない。
まあ、困ることでもない。
旅は思っていたより楽しかった。
一人で歩いていた頃より会話がある。
飯もうまくなった。
リナも以前ほど俺を警戒しなくなった。
言いたいことを言うようになったし、時々俺を馬鹿にする。
普通なら奴隷が主人にする態度ではないのだろう。
俺はそれでよかった。
むしろ嬉しかった。
少しずつ、俺を一人の人間として見てくれるようになったのだと思った。
◇
街道を外れた森で魔物に襲われたのは、その数日後だった。
狼に似た魔物が三頭。
俺たちを見るなり飛びかかってきた。
「ユウ!」
リナが叫ぶ。
「下がってて」
先頭の一頭を殴る。
頭が地面にめり込んだ。
二頭目の首を掴み、木に投げつける。
三頭目が逃げようとしたので、落ちていた石を投げた。
石が頭に当たり、その場に倒れる。
終わった。
「行こう」
振り返る。
リナが呆然としていた。
「どうした?」
「……何、今の」
「魔物」
「それは分かる」
「結構速かったな」
「え?」
「いや、なんでもない」
素材になる部分だけ回収する。
リナはしばらく黙っていた。
俺は少し得意になっていた。
これで少なくとも、旅の護衛くらいはできる男だと思ってもらえただろう。
「怖かった?」
「別に」
「そう?」
「弱い魔物なんでしょ?」
「たぶん」
俺は答えた。
実際、弱かった。
リナは何か考えているようだったが、それ以上は聞いてこなかった。
俺も気にしなかった。
このときの俺は知らなかった。
リナが魔物の強さなど知らないことを。
俺が簡単に倒したのだから、大した魔物ではないと思ったことを。
そして俺が人を殴らず、店では言われた金を払い、奴隷である自分にさえ強く命令しない姿を見て、彼女が何を考えていたのかも知らなかった。
俺は、リナが心を開いてくれたのだと思っていた。
リナは俺を怖がらなくなっていた。
そこだけは間違っていない。
ただし、その理由だけが、俺の考えていたものとはまったく違っていた。




