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獣人物語 第二幕 

「それで、なぜ俺が出る必要があるんだ?」


数日後、俺は父の執務室で尋ねていた。


机の向こうに座る父は、俺と同じ狼獣人だ。


父親なので当然ながら子供の頃から見慣れているし、声や体格でも判別できる。


ただ、顔が俺と似ているかと聞かれると分からない。


周囲からはよく「父君によく似ている」と言われるので、たぶん似ているのだろう。


「隣国からわざわざ使節団が来るのだ。こちらも相応の者を出さねば失礼だろう」


「騎士団長でいいじゃないか」


「先方の代表はバルガス将軍だ」


「誰だ、それ」


父が呆れた顔をした。


狼の呆れた顔も、長年一緒に暮らしていると何となく分かるようになる。


「隣国最強と呼ばれている男だ」


「へえ」


「熊獣人で、身の丈はお前より頭二つは大きい。国境付近に現れた大型魔獣を一人で仕留めたこともある」


「強いんだな」


「他人事のように言うな。向こうがお前を指名している」


嫌な予感がした。


「なんで?」


「お前と戦ってみたいそうだ」


「外交に来たんじゃないのか?」


「だから外交だ」


この世界では、それで話が通じてしまう。


国家間の外交では、宴会や贈答だけでなく武術交流が行われることが多い。


強さを尊ぶ文化なので、互いの強者を戦わせることが友好の証になるらしい。


前世の感覚では意味が分からない。


ただ、こちらも長年暮らしているので、もう驚きはしない。


「適当にやればいいんだろ?」


「もちろんだ。友好試合だからな」


「怪我をさせても困るしな」


「その心配はバルガス将軍に失礼だぞ」


父が笑う。


俺は曖昧に笑い返した。


別に相手を馬鹿にしているわけではない。


ただ、俺は自分が強いことを知っている。


幼い頃からずっとそうだった。


努力もした。


剣術も魔法も真面目に学んだし、今でも鍛錬を欠かしたことはない。


それでも、努力だけでは説明できないほど俺は強かった。


転生特典というものが本当に存在するなら、おそらくこれがそうなのだろう。



翌日、王都の練兵場には大勢の見物人が集まっていた。


友好試合とはいえ、隣国最強の戦士と国内屈指の戦士が戦うのだ。貴族だけでなく、騎士や兵士まで仕事の手を止めて見に来ている。


「ずいぶん集まったな……」


俺は観客席を見回した。


犬。


猫。


狐。


狼。


猿。


熊。


豚。


これだけ大勢が集まると、もう動物園にしか見えない。


もちろん全員服を着ているし、二本足で立っている。


話もする。


それでも動物園である。


「お前がレオンか!」


腹に響くような声がした。


振り向くと、巨大な熊が立っていた。


でかい。


父から聞いていた以上に大きく感じる。


身長は二メートルを軽く超えているだろう。肩幅も俺の倍近くある。


これがバルガス将軍らしい。


「初めまして、バルガス将軍」


「堅苦しい挨拶はいらん! お前の噂は我が国にも届いているぞ!」


豪快に笑いながら、熊が俺の肩を叩く。


痛くはない。


「楽しみにしていた! 遠慮はいらんぞ!」


「いや、友好試合だから多少は遠慮した方が……」


「ハハハ! 俺を心配しているのか!」


「まあ、一応」


バルガスはさらに笑った。


気のいい男らしい。


俺としても、こういう相手は嫌いではない。


練兵場の中央へ移動する。


武器は刃を潰した訓練用の大剣。


バルガスが構えると、先ほどまでの陽気な雰囲気が消えた。


空気が変わる。


なるほど。


確かに強い。


「始め!」


合図と同時にバルガスが踏み込んだ。


速い。


巨体からは想像できない速度だった。


大剣が横薙ぎに振るわれる。


俺は一歩下がってかわした。


風圧が顔を撫でる。


そのままバルガスが体を回し、二撃目を放つ。


これも速い。


だが、見える。


俺は剣で受け流した。


「ほう!」


バルガスが嬉しそうに笑う。


そして三撃目。


俺は受ける。


四撃目。


受ける。


五撃目。


また受ける。


強い。


確かに強いのだが、困った。


俺には遅い。


「どうした! 攻めてこい!」


バルガスが叫ぶ。


俺は迷った。


ここで手加減しすぎるのも失礼なのだろう。


相手は隣国最強の戦士だ。


少しくらい本気を出した方がいい。


「分かった」


俺は踏み込んだ。


剣を振る。


バルガスが受ける。


その瞬間、嫌な感触が手に伝わった。


「あ」


バルガスの大剣が弾き飛ばされた。


同時に巨体が地面から浮く。


熊獣人の身体が数メートル飛び、地面を二度転がって止まった。


練兵場が静まり返った。


俺は剣を持ったまま固まる。


バルガスも倒れたまま動かない。


「……バルガス将軍?」


返事がない。


まずい。


やりすぎた。


「医者!」


俺が叫ぶより先に、隣国の兵士たちが駆け出した。


幸い、バルガスはすぐに起き上がった。


「ガハハハハ!」


笑っている。


元気そうだ。


「すまない。少し力加減を間違えた」


「少しだと!?」


「怪我は?」


「ない! 見事だ!」


バルガスは心底楽しそうだった。


一方、隣国の使節団は静かだった。


何人かは明らかに俺を警戒している。


まあ、当然だろう。


自国最強の将軍が一撃で吹き飛ばされたのだ。


外交的にはまずかったかもしれない。


父を見る。


頭を抱えていた。


やっぱりまずかったらしい。


ところが、観客席の別の一角から妙なざわめきが聞こえてきた。


「……レオン様、素敵」


「本当にお強いのね」


「聞いていた以上だわ」


嫌な予感がした。


そちらを見る。


隣国から来た女性たちが俺を見ていた。


猫やら犬やら熊やらが、頬を染めている。


その中央には、豪華な衣装を着た狐獣人がいた。


「あれは?」


近くにいた役人に尋ねる。


「隣国の第三王女、アリア殿下です」


「へえ」


「大変お美しい方ですよ」


「そうなのか」


俺には狐にしか見えない。


その狐――アリア王女と目が合った。


王女は慌てたように視線を逸らした。


そして、もう一度こちらを見る。


また目が合う。


今度は逸らさない。


俺はこの人生で、こういう視線を何度も経験している。


非常に嫌な予感がした。



予感は当たった。


その日の夕食。


ミレーヌが楽しそうに言った。


「あなた、隣国のアリア王女から求婚されたそうですわね」


俺は危うく肉を喉に詰まらせた。


「もう?」


「もう、とは?」


「いや……なんでもない」


話が早すぎる。


今日会ったばかりだ。


しかも会話すらしていない。


「大変な美姫だと聞きました」


セレスが言う。


「そうなのか?」


妻たちの視線が俺に集まった。


しまった。


「いや、遠くからしか見ていなかったから」


「狐族では隣国一とも言われる方ですよ」


「へえ……」


俺には狐だった。


「どうなさるの?」


「断る」


即答した。


ミレーヌが不思議そうに首を傾げる。


「どうしてです?」


「十人いるんだぞ」


「まだ十人でしょう?」


俺は絶句した。


この世界では、その反応が普通なのだ。


「十人で十分だ」


「あなたほどお強い方なら、十五人くらい珍しくありませんよ?」


「いらない」


「王女ですから、外交的にも悪いお話ではないと思いますけれど」


「いらない」


俺は繰り返した。


これ以上増えたら、宝石の種類を覚えるだけでも大変だ。


十人が限界である。


しかし妻たちは別の意味に受け取ったらしい。


ミレーヌが柔らかく笑った。


「あなたは本当に欲のない方ですね」


「そうかな」


「ええ。これだけ強くて、地位もあって、それなのに私たちを大切にしてくださる」


ほかの妻たちも頷いている。


俺は何も言えなかった。


翌日には、


『隣国の美姫から求婚されても、妻たちを想って断った』


という話が王都中に広まった。


なぜそうなる。


しかも、それによって俺の評判はさらに上がった。


強い。


美しい。


地位もある。


そのうえ女に節操がある。


らしい。


結果として、新しい縁談が七件来た。


俺は机の上に積まれた手紙を眺め、それから隣に立つ執事を見た。


「全部断ってくれ」


「よろしいので?」


「十人で十分だ」


「旦那様らしいですな」


老執事は感心したように頷いた。


俺はため息をついた。


強くなればなるほどモテる。


モテるから断る。


断ると誠実だと思われる。


そして、さらにモテる。


この世界に転生して何十年。


俺はいまだに、この循環から抜け出す方法を見つけられずにいた。

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