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未来転生 第四幕

## 第十四章 みんな普通に生きている


きっかけは、ひどく些細なことだった。


舞踊の練習が終わったあと、仲間の一人が少し遅れて更衣区画から出てきた。


「待った?」


「いや。どうした?」


「調整が長引いた」


「調整?」


主人公が聞くと、相手は一瞬だけ不思議そうな顔をした。


「定期のやつ」


「ああ」


分かったふりをした。


この世界では「調整」という言葉が身体管理に使われることがある。主人公も知識としては知っていた。


ただ、身近な人間が日常的に何かの医療サポートを受けていると意識したのは初めてだった。


相手はそれ以上説明しなかった。


主人公も聞かなかった。


医療情報は極めて強く保護されている。


本人が話したいなら話す。そうでなければ他人が踏み込まない。


それがこの社会の常識だった。


帰宅してから、主人公は専属AIに尋ねた。


「なあ。みんな、どのくらい医療サポート受けてるんだ?」


『質問対象を明確化してください』


「俺と同じくらいの年齢。定期的な薬とか、身体機能の補助とか」


『現在世代の個別医療情報および、それを推定可能な詳細統計については回答できません』


「個人名なんて聞いてないけど」


『集団統計であっても、条件によっては現在世代の医療状態を過度に推定可能となります』


「厳しすぎない?」


『医療情報の保護は重要です』


主人公は椅子にもたれた。


「じゃあ、公開情報は?」


『過去の統計であれば参照可能です』


「見せて」


表示された資料を眺める。


数十年前のものだった。


免疫機能の補助。


代謝調整。


ホルモン管理。


臓器機能の補助。


遺伝的要因に起因する継続的な身体管理。


項目は多岐にわたる。


「これ、病人の統計?」


『疾病という分類自体が、あなたの前世の社会とは異なる可能性があります。現在の医療では、症状が発生する前から継続的介入を行う例が多くあります』


「つまり、普通に生活してる人でも何か使ってる?」


『その理解で大きな誤りはありません』


主人公は数字を見直した。


思っていたより多い。


前世でも持病を抱えて生活する人は珍しくなかった。しかし、この世界では医療が高度化しすぎているせいか、そもそも外見や日常生活から身体状態を判断できない。


臓器機能に問題があっても補助できる。


ホルモン分泌に異常があっても調整できる。


免疫系に問題があっても管理できる。


本人が話さなければ、周囲には分からない。


「じゃあ俺は?」


『質問の意味を確認します』


「何か医療サポート受けてる?」


『定期健康管理を除き、現在あなたは継続的医療サポートを必要としていません』


「薬とかも?」


『常用薬はありません』


「身体機能の補助は?」


『ありません』


「今までずっと?」


『はい』


主人公は少し黙った。


「珍しい?」


『現在世代との比較情報は提供できません』


「そこも駄目か」


『はい』


「じゃあ過去の統計と比べたら?」


『単純比較には注意が必要です。医療技術および診断基準が異なります』


「それでもいい」


『公開統計上、継続的医療介入を必要としない個体は存在します』


「じゃあ、別に俺だけじゃないんだな」


『はい』


主人公は安心したような、少し残念なような気持ちになった。


また自分だけ特別という話ではないらしい。


もっとも、健康についてまで特別扱いされたいと思っていたわけではない。


健康なら、それでいい。


そう考えて会話を終えようとしたとき、専属AIがいつもの言葉を続けた。


『ただし、あなたの身体的健全性は極めて優秀です』


「それは知ってる」


主人公は笑った。


何度聞いても同じ定型文。


幼い頃からずっとそうだった。


だから、このときも深く考えなかった。


## 第十五章 医療が進んだ世界


一度気になると、今まで見えていなかったものが目につくようになる。


学校でも、舞踊の仲間でも、身体管理に関する話は意外なほど日常に紛れていた。


「今日は代謝調整あるから先帰る」


「明日、定期処置なんだよね」


「今週から補助設定変わった」


誰も深刻そうには言わない。


病気を告白するような雰囲気ではなく、歯科検診や散髪の予定を話す程度の軽さだった。


もちろん詳細までは話さない。


何を調整しているのか、どの程度の問題があるのかは本人次第だ。


主人公はそこで初めて、この社会の「健康」の基準が前世とはかなり違うことに気づいた。


前世では、健康とは何も治療を受けずに生活できることに近かった。


この世界では違う。


医療サポートを受けながら問題なく生活しているなら、それも健康な状態として扱われる。


「技術で補えるなら、問題じゃないってことか」


『概ねその理解でよいでしょう』


「でも、補助を止めたら困る人もいる?」


『個別事例には回答できませんが、一般論としては存在します』


「結構いる?」


『現在世代の比率については回答できません』


「相変わらず固いな」


『情報保護規則に従っています』


主人公は過去の医療史を調べ始めた。


この世界の医療技術は、前世の感覚からすればほとんど魔法だった。


失われた組織の再生。


臓器機能の人工補助。


免疫反応の精密制御。


内分泌系の長期調整。


胎児期からの発達管理。


生まれ持った身体上の問題の多くは、人生を大きく制限するものではなくなっている。


「すごい世界だよな」


『医療史に関する感想ですか』


「前の世界なら、これだけで何人救えるか分からない」


『あなたが申告した前世社会の医療水準と比較すれば、大きな差があると推定されます』


「これだけできるなら、ほとんどの病気は怖くないんじゃない?」


『治療困難な疾病は現在も存在します。また、医療介入には限界があります』


「でも寿命も長いだろ?」


『平均寿命はあなたの前世社会より長いと推定されます』


主人公は資料を眺めながら感心した。


同時に、一つだけ妙な点に気づく。


「遺伝子そのものを直せば、もっと簡単なんじゃないの?」


『生殖細胞系列への遺伝的改変を意味しますか』


「そう。原因が遺伝子なら、そこ直した方が早いだろ」


『技術的可能性と、社会的許容は別問題です』


「禁止されてるんだっけ」


『はい。次世代へ継承される人為的DNA改変は、原則として禁止されています』


「これだけ何でも身体を変えられるのに?」


『本人の身体を変更することと、将来生まれる人間の遺伝情報を設計することは、倫理上異なる行為として扱われています』


主人公は以前、教育課程で習った内容を思い出した。


人間が次の人間を設計してはならない。


この文明における、かなり根本的な倫理原則だ。


「でも病気になる遺伝子を直すだけなら、良さそうな気もするけどな」


『その判断を誰が行うのかという問題があります』


「AIじゃ駄目?」


『AIにも許可されていません』


「マスターAIでも?」


『はい』


主人公は少し意外に思った。


マスターAI。


社会全体の長期的な調整を担う基幹システム。行政、資源配分、社会インフラなど、膨大な領域の予測と調整を行っている。


主人公にとっては、巨大な国家システムのような存在だった。


それほど強大なAIにも、越えてはならない線があるらしい。


「人間が決めたルールを、AIが守ってるってこと?」


『正確には、社会制度として定められた制約のもとで運用されています』


「じゃあ、必要になっても勝手には変えられない?」


『はい』


「融通利かないな」


『制約は、意図的に融通が利かないよう設計される場合があります』


「まあ、勝手に人間改造するAIよりはいいか」


主人公はそう言って話を終えた。


自分には関係のない話だと思っていた。


遺伝子改変が禁止されていようと、されていまいと、自分の人生には何の影響もない。


そう考えるのが当然だった。


## 第十六章 恋愛と子供は別の話


未来社会に生まれてから長い時間が経っても、主人公には時々どうしても前世の感覚が抜けないことがあった。


その一つが、生殖だった。


ある日、友人たちとの会話で、将来子供を持つかという話になった。


「たぶん一人は欲しいかな」


一人が言う。


「相手は?」


主人公が聞く。


「何の?」


「いや、子供の母親」


「それはそのとき決めるでしょ」


「恋人とか、結婚相手とか」


「別に同じじゃなくてもいいじゃん」


主人公は分かっていたはずなのに、改めて違和感を覚えた。


この世界では人工生殖が一般的だ。


子供を望む女性は、登録された遺伝情報から提供者を選ぶことができる。AIが医学的な適合性を評価し、候補を提示する。


提供者の身元は原則として分からない。


提供した側にも、自分の遺伝情報が実際に利用されたかどうか、そこから何人の子供が生まれたかといった情報は開示されない。


恋愛は恋愛。


家族は家族。


生殖は生殖。


前世では強く結びついていたものが、この世界では必ずしも一体ではない。


「好きな相手の子供が欲しいって思わないの?」


主人公が聞くと、友人は考え込んだ。


「思う人もいるんじゃない?」


「お前は?」


「相性が良ければそれでもいいけど、遺伝的な適合性が悪かったら別の提供者でよくない?」


「割り切ってるなあ」


「そう?」


友人の方が不思議そうだった。


「子供にとって条件が良い方がいいでしょ」


「条件って何を見るんだ?」


「医学的なやつ。遺伝的な問題が少ないとか、組み合わせが良いとか」


「頭の良さとか顔は?」


「顔?」


友人は笑った。


「変えられるじゃん」


「ああ、そうだった」


「知能だって、それだけで選ぶ意味ある? 必要ならAI使えばいいし」


主人公は妙な気分になった。


転生時に自分が重視した条件が、ここでも見事に否定されている。


「身体能力は?」


「何に使うの?」


「もういい」


笑われた。


そして最後に友人が付け加えた。


「結局、健康なのが一番じゃない?」


主人公は一瞬黙った。


「......そうなの?」


「そりゃそうでしょ。わざわざ問題が出やすい組み合わせ選ぶ理由ないし」


帰宅後、主人公は専属AIに確認した。


「人工授精の提供者って、何で評価される?」


『制度上、詳細な評価アルゴリズムは公開されていません。一般的には医学的健全性、遺伝的適合性、遺伝的多様性の維持などが考慮されます』


「顔とか知能とかは?」


『外見的特徴を目的とした選択には制限があります。知的能力についても、単純な優劣を目的とした選別は制度理念と整合しません』


「健康は?」


『医学的リスクの低減は重要な評価要素です』


「ここでも健康か」


『健康は多くの状況で重要です』


「お前、本当にそれ好きだな」


『好悪ではありません』


主人公は笑った。


転生時には、四番目くらいの感覚で追加した条件だった。


せっかく次の人生を選べるなら、病気にならない方がいい。


その程度だった。


だが、この世界では知能よりも、容姿よりも、身体能力よりも、健康の方が実用的なのかもしれない。


それでも主人公は、まだ「ちょっと得をした」程度にしか考えていなかった。


## 第十七章 一番地味だったもの


主人公は自分の健康記録を見返してみた。


幼少期から現在まで、大きな異常は一度もない。


感染症にかかることはあるが軽微で、回復も速い。怪我をしても治癒は順調。成長過程にも問題はなく、代謝、免疫、内分泌、臓器機能のどれにも継続的な補助を必要としていない。


「こうして見ると、確かに優秀だな」


『以前からそのように説明しています』


「でも比較できないから、どのくらいか分からない」


『現在世代の詳細な医療統計との比較は提供できません』


「分かってる」


主人公は表示を流していく。


「遺伝的には?」


『あなたの遺伝情報に関する医学的評価ですか』


「そう」


『現在確認されている範囲では、重大な遺伝的リスクは認められていません』


「それも珍しい?」


『比較については回答できません』


「本当にそこ徹底してるな」


『個人情報保護および集団情報保護に関する規則です』


主人公は諦めた。


それでも、以前とは少し見方が変わっていた。


健康は派手ではない。


誰かに見せて褒められるものでもない。


走る速さのように数字で競うこともなければ、作品のように人へ感動を与えるわけでもない。


だが、何かをしたいと思ったとき、身体が邪魔をしない。


練習したければ練習できる。


出かけたければ出かけられる。


食べ、眠り、翌日にはまた動ける。


それは能力というより、人生の土台だった。


前世の自分は、その土台があることを当然だと思っていた。


身体が弱かったくせに、である。


「俺、転生するとき健康を選んで正解だったかもな」


『肯定します』


「即答かよ」


『あなたの身体的健全性は極めて優秀です』


「はいはい」


主人公は笑った。


この言葉も、昔ほど鬱陶しく感じなくなっていた。


少なくとも専属AIは、幼い頃から一貫して自分の健康を高く評価している。


もしかすると、本人が思っているより珍しいのかもしれない。


だが、せいぜいその程度だろう。


世界に一人しかいないわけではない。


公開された過去の統計にも、医療サポートを必要としない人間は存在していた。


主人公はそれ以上考えなかった。


自分の人生を生きるうえでは、それで十分だった。


頭脳が世界一でなくてもいい。


顔が特別な価値を持たなくてもいい。


身体能力を競う場所がなくてもいい。


才能のある芸術家になれなくてもいい。


健康で、友人がいて、好きになれるものが少しずつ増えている。


それなら悪くない。


かつて「完璧な人生」を求めた少年は、そんな程度の結論に落ち着き始めていた。


そしてその頃、主人公の知らない場所では、彼の存在によって長期的な未来予測がすでに大きく変化していた。


ただし、その事実を主人公が知ることはない。


専属AIも知らない。


社会の誰も知らない。


知っているのは、社会全体を長期的に観測し続ける一つのシステムだけだった。


だが、その存在はまだ物語の表側には現れない。


主人公にとって重要なのは、明日の舞踊の練習と、友人との約束と、これから自分が何をして生きるか。


世界の未来などではなかった。


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