第8話 現場監督、一日で現場を作る
夜明け前の空気は、まだ冷たかった。
東の空がわずかに白み始めているだけで、広場はまだ薄暗い。誠の吐く息が白く流れ、足元の草は夜露で光っていた。遠くで鳥が一羽、寝ぼけたように短く鳴いた。
広場に集まってきた村人たちの足音は、まばらでどこか気だるげだった。眠そうな顔、半信半疑の表情。誠の呼びかけに応じて来たものの、何をさせられるのか誰も分かっていない様子だった。
誠は広場の中央に立ち、村人たちを見渡した。
「朝礼を始めます」
「朝礼……?」
聞き慣れない言葉に、村人たちが顔を見合わせる。誠はミラに視線を送った。ミラは頷いて、隣で耳を傾けている村人たちに小声で補足を入れる係を買って出ていた。
「毎朝、作業前に少しだけ集まります。今日どこで何をやるか、何が危ないか、それを全員で確認する。これをやるだけで、事故も無駄な手戻りもぐっと減ります」
「そんな時間があったら、さっさと掘った方が早いだろ」
不満げな声が上がる。誠は動じなかった。
「五分です。五分を惜しんで、半日を無駄にする現場を、俺は何度も見てきました」
「そして、失われる命も」
その言葉に、村人たちの空気が少しだけ静まった。
「今日の作業場所はここです」
誠は地面に、木の枝で簡単な図を描いた。村の主要な道と、優先すべき区画に丸をつけていく。
「東側の掘削地、昨日の雨でまだ縁が緩んでいます。ここで作業する人、崩れそうな箇所を見つけたら、大声を出す前にまず自分が離れてください。声を出すのは離れてからでいい」
「なんでそんな面倒な順番に」
「離れるのが先です。声を出すために立ち止まると、その一瞬で足元がやられることがあります」
村人たちは顔を見合わせた。半信半疑ながらも、誰も反論はしなかった。誠はさらに続けた。
「他にも、今日気をつけることがある人は」
「……荷車の車軸が、そろそろ危ねえかもしれねえ」
遠慮がちに手を挙げたのは、ダンだった。誠は頷いた。
「じゃあ、荷車班は最初にそこを確認してから動きましょう。気づいたことは、その場で言う。それだけで防げる怪我があります」
たった数分のやり取りだったが、誰かが気づいたことを、皆で共有する。それだけで、現場の空気が変わるのを誠は感じていた。
「まず今日の目標は、井戸端から東の荷車道まで。ここが一番荷傷みが酷い場所です」
「昨日、うちの前が先だって話は――」
「明日には着手します。順番は決めてあります。一度に手を広げると、どこも中途半端になる。一箇所ずつ、確実に仕上げます」
誠は図を指しながら、淡々と続けた。
「力のある人は、土砂の運搬と掘削。手先が器用な人は、側溝の仕上げと勾配の調整を。ミラは魔法での粗掘り担当。あとで俺が個別に割り振ります」
そう言うと、誠は村人たちの間を歩き始めた。
一人一人に短く声をかけ、体格や普段の仕事、得意なことを聞き取っていく。何気ない会話に見えたが、誠の目は的確に見極めていた。
「あなたは畑仕事で鍬を使い慣れてますね。掘削班に」
「あなたは細かい編み物をされるとか。側溝の仕上げ、丁寧な作業向きです」
「あなたは声がよく通る。人を集める時の呼びかけ役、お願いできますか」
「わしは年寄りだからな、力仕事は無理だぞ」
「道具の手入れと、水と食料の配分をお願いします。現場が回るかどうかは、そこにかかってます」
「あたしは子供の面倒見なきゃならんが」
「子供たちには、水たまりに近づかないよう見ていてもらえれば十分です。それも立派な仕事です」
割り振られた村人たちは、最初は戸惑いながらも、自分の得意なことを言い当てられた驚きに、少しずつ表情を変えていった。誰も彼もが、ただの村人から、役割を持った一人に変わっていく。誠はその変化を、一人ひとりの顔で確かめながら歩いた。
テオの番になった。誠はテオの体格をひと目見て、すぐに言った。
「テオさんは、土砂の運搬班のリーダーを」
「は? 俺がリーダー?」
「体力があって、村の若い人たちをまとめる力もある。運搬班は人数が一番多い。まとめ役が必要です」
テオは面食らった顔をしていたが、それ以上文句は言わなかった。
そうして作業が始まると、テオは意外なほど的確に、若者たちに指示を飛ばし始めた。誰がどの土を運ぶか、どの順番で荷車を回すか。誠が最初に見せた段取りを、そのまま自分の言葉で若者たちに伝えていた。
昼を過ぎる頃には、運搬班の動きは見違えるほど滑らかになっていた。土砂の山が着実に減り、側溝の形が伸びていく。
「テオさんの班、速いですね」
誠が声をかけると、テオは汗を拭いながら、ばつが悪そうに頬を掻いた。
「……別に、あんたの言った通りにやっただけだ」
「その言った通りにやるのが、一番難しいんですよ」
テオは何か言い返そうとして、やめた。代わりに、自分たちが積み上げた土砂の山と、仕上がりつつある側溝を見つめた。
これまで誰にも頼られたことのない自分が、今日一日で、何十人もの動きを回している。その実感が、テオの中で静かに形を変えていくのが、誠の目にも見て取れた。
「テオ、お前、指図するの様になってきたな」
昨日まで一緒に誠を冷やかしていた仲間の一人が、素直な口ぶりでそう言った。テオは何と返していいか分からず、ただ鼻の頭を掻いた。
昼過ぎ、小走りに広場へやってくる人影があった。ハンナだった。大きな籠を抱え、パンと汁物を配って回る。
「はい、テオも休憩して。ずいぶん頑張ってるみたいじゃない」
「……別に、大したことしてねえよ」
そう言いながらも、テオは差し出されたパンを受け取ると、一息にかじりついた。噛むほどに麦の甘みが広がり、汁物の湯気が冷えた体を温めていく。周りの若者たちも輪になって座り込み、笑い声が上がる。昨日までの張り詰めた空気とは、まるで違う昼だった。
少し離れた木陰から、ドルガが杖に寄りかかりながら、その様子を眺めていた。何も言わず、ただじっと目を細めている。子供たちは伸びていく側溝の縁を、追いかけっこの新しい遊び場のように駆け回っていた。
日が傾く頃、井戸端から東の道まで、側溝の骨格が一日でほぼ繋がっていた。
村人たちは、疲れた顔をしながらも、自分たちの手で伸びていった道を眺めていた。バラバラだった作業が、一つの現場として噛み合った日だった。
誠はその光景を見ながら、静かな手応えを感じていた。技術だけでは動かない現場が、今日、初めて一つになった。前世で何度も見てきた、現場が「現場」になる瞬間だった。
「明日も、頼めますか」
誠が聞くと、テオは少し間を置いてから、短く頷いた。
「……ああ。任せとけ」
その声には、今までの粗野な突っ張りとは違う、確かな響きがあった。
だが同時に、誠の目に、ある人物の姿が引っかかっていた。
運搬班の中で、誰よりも多くの土砂を黙々と運び続けていた大柄な男だった。他の誰よりも体格がよく、力も強い。だからこそ、誰も彼の分の仕事を減らそうとはしなかった。声をかける者はほとんどおらず、休憩の輪にも加わらない。誠が休めと声をかけても、男はただ小さく頷くだけで、手を止めなかった。
その男の姿だけが、誠の【大地審眼】に、かすかな橙色を滲ませていた。
次回の更新は、7月16日 21:10を予定しています。
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