第7話 現場監督、村の道を全部請け負う
午後の日差しが、納屋の壁の隙間から斜めに差し込んでいた。
埃の粒が光の筋の中で揺れている。誠が鍬の柄を布で拭っていると、外から杖の音が近づいてきた。一定のリズムを刻む、重い足音だった。何かを決めてきた人間の歩き方だ、と誠は思った。
「いるか」
戸口に立っていたのは、ドルガだった。誠は手を止めて立ち上がった。
「村長。何か御用でしょうか」
「まだここにいたのか」
「今夜だけ、というお話でしたが……行く当てもなかったもので」
ドルガは鼻を鳴らしたが、それ以上は追及しなかった。代わりに、杖の先で地面を軽く叩く。
「単刀直入に言う。村の道を、全部直せるか」
誠は一瞬、言葉に詰まった。
「全部、というと」
「村を囲む主要な道、荷車の通り道、それと井戸端の周り。今朝見た側溝と同じことを、村中でやってほしい」
昨日までの態度からは考えられない申し出だった。だが誠の頭は、すでに規模を計算し始めていた。村の広さ、道の総延長、地盤の状態。半日仕事だった側溝一区画とは、桁が違う。
「やれます。ただし、時間と人手が要ります」
「わかっとる。それで、報酬だが」
ドルガは少し言い淀んでから、続けた。
「村に払える金はない。それは知っての通りだ。だが、飯と寝床くらいは村で持つ。お前がここにいる間はな」
誠は頷いた。滞在の問題が、この一言で片付いた形だった。
「それで構いません。それより、人手の方が心配です」
「村の男衆は、大方が畑仕事だ。手が空くのは朝夕のわずかな時間くらいしかない」
ドルガはそこで一度、言葉を切った。
「これまでも、道を直そうという話は何度も出た。だがまとまった試しがない。誰が先にやるか、誰が損をするかで揉めて、結局立ち消えになる。それの繰り返しだ」
声に苦さが滲んでいた。長年、同じ壁にぶつかってきた者の言い方だった。
「今度も、そうなるかもしれません」
「かもしれん。それでもお前さんなら、多少は見込みがある。あの側溝一本で、それだけは分かった」
「わかりました。まずは村の皆さんに集まっていただけますか」
「夕刻、広場に集める」
ドルガはそれだけ言うと、杖を鳴らして納屋を出ていった。
誠は一人になった納屋で、しばらく考えを整理してから外へ出た。夕刻までにはまだ時間がある。ならば、闇雲に計画を立てるより先に、村そのものを見ておくべきだった。
誠は村の外周をゆっくりと歩いた。歩きながら、無意識に【大地審眼】を働かせる。
井戸端の石組みは黄色。主要な道の轍は、深くえぐれた箇所ほど赤に近い橙色。畑への脇道は、まだ青が多く残っていた。集会所らしい大きな建物の基礎も、継ぎ目のあたりがうっすらと黄色く滲んでいる。誠は頭の中で村を区画に分け、色の濃い箇所から順に並べ替えていく。
(まずは荷車の通り道が最優先だ。次に井戸端、畑道は後回しでいい。全部を一度にやろうとするから、揉める)
優先順位はすぐに見えた。だが、それを村人に納得させる方が厄介だということも、誠には分かっていた。技術の順番と感情の順番は、いつだって一致しない。日が傾き始め、影が長く伸びていく。急がなければ、と誠は歩を速めた。
夕刻、村の広場に人が集まった。焚き火の準備をする者、子供を抱えた女、遠巻きに様子をうかがう年寄り。空気は日暮れとともに冷え始め、誰かの吐く息が白く揺れた。誠が段取りを説明しようとした矢先、早くも声が上がった。
「うちの前の道、真っ先にやってくれよ。毎年荷車がひっくり返るんだ」
「いやいや、井戸端の方が先だろう。みんな毎日使うんだから」
「畑への道はどうすんだ、収穫の時期が近いんだぞ。日が短くなる前に片付けたい」
「うちなんか、雨のたびに床下まで水が来るんだ。それこそ後回しにできねえよ」
「そもそも、本当にできんのか。口だけじゃねえのか」
村人たちの声が、次々と重なり合っていく。誰もが自分の生活圏を優先してほしいと訴え、譲る様子はなかった。
その輪の少し外側に、ハンナの姿もあった。子供たちの間に立ち、心配そうにやり取りを見守っている。誠と目が合うと、小さく頷いてみせた。何を思ってか、それだけで少し場の空気が和らいだ気がした。
「おい、俺たちに手伝えって言うんなら、それなりの見返りがなきゃ動かねえぞ」
そう言ったのはテオだった。腕を組んだまま、値踏みするような目を誠に向けている。
「昨日は側溝一本、こいつとミラでやってたじゃねえか。それを今度は村の人間全員で、タダ働きしろってか」
「テオ」
ドルガが低く咎めた。
「言葉を選べ」
「選んでどうする。本当のことだろうが」
テオは引かなかった。
「村長は飯と寝床を出すって言ったが、それはこいつの分だ。俺たちが働く分の見返りはどこにある。畑仕事を削ってまで、道普請なんぞに時間を割く理由があんのかよ」
「理由なら、今朝お前も見ただろう」
ドルガが静かに言い返す。
「お前の家の前、あの道だけはまだ乾いてなかったな」
テオが一瞬、言葉に詰まった。図星を突かれた顔だった。それでも意地を張るように、口をへの字に結んだまま黙り込んだ。
広場が静まり返った。誰も、それ以上テオに続かなかった。皆、同じことを思いながら、口に出せずにいただけだ。
誠はその場の空気を、黙って見つめていた。技術の問題ではないことは、すでに分かっていた。誰が先か、誰が得をするか。それぞれの思惑がぶつかり合い、身動きが取れなくなっている。前世でも、こういう現場を見たことがあった。段取りを組む前に、まず人の心を整える必要がある現場を。
「今日のところは、これで解散にします」
誠が静かに言うと、村人たちは戸惑いながらも散っていった。
広場に残ったのは、誠とミラだけだった。
「どうするの、監督。あれじゃ、誰も動かないよ」
ミラが不安げに聞いた。誠は少し考えてから、答えた。
「技術は、俺一人でも十分ある。足りないのは、それを人に伝える仕組みだ」
「仕組み……?」
「順番と役割を決めて、誰が何をやるか、いつまでにどこまでやるかをはっきりさせて、動き出す。そうすれば、損得の言い合いをする暇もなくなる」
誠の脳裏に、前世で何百回とやってきた光景がよぎった。今日入ったばかりの若い衆と、十年選手の職人が、初対面で肩を並べて働く現場。共通の言葉がなければ、あっという間に烏合の衆になる。それをまとめてきたのは、いつも同じ道具だった。工程表と、毎朝五分の集まり。
「バラバラだった作業員たちが、一枚の工程表と、毎朝の短い集まりだけで、一つの現場として動き出す瞬間を、何度も見てきた。ここでも同じことができるはずだ」
「本当に?」
「ああ。誰が悪いとか、誰が得するとかの話じゃなくなる。今日、これをやる。それだけがはっきりしていればいい」
誠はそこまで言って、少し声を落とした。
「テオの言い分は、間違っちゃいない。ただで働けというのは、こっちの都合を押し付けているだけだ。だから、働いた分だけ何が返ってくるかを、目に見える形で示す必要がある」
「見える形って?」
「工程表だ。いつ、どこが終わるか。それが分かれば、誰も無駄に働かされてる気にならない」
「明日の朝、もう一度村人を集めよう」
ミラの目を見て、誠は言った。
「朝礼をやる」
ミラは一瞬きょとんとしてから、その言葉の意味を測るように誠を見つめた。
「朝礼って、何をするの」
「見てればわかる」
誠はそう言って、焚き火の残り火に目をやった。うまくいく保証はどこにもない。それでも、これしか手はなかった。
次回の更新は、7月16日 17:10を予定しています。
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