第6話 現場監督、たった一区画の答えを見せる
最初は屋根を叩く軽い音だったが、じきに地面を叩きつける激しい雨脚に変わった。納屋の隙間から吹き込む風に、雨の匂いと土埃の匂いが混じって流れ込んでくる。板の隙間から覗く外は、雷光が走るたびに一瞬だけ白く浮かび上がった。
誠は藁の上に横たわりながら、耳を澄ませていた。雨音の強さ、途切れない勢い。前世で何度も聞いた、増水を警戒すべき夜の音だった。
(あの区画、保つか)
日暮れ前、ミラと二人で仕上げた側溝の一区画を思い浮かべる。勾配は取った。水の逃げ道もつけた。だが締固めが甘い箇所もある。一夜漬けの工事だ、不安がないと言えば嘘になる。前世でも、突貫で仕上げた箇所ほど、朝一番に確かめに走ったものだった。台風の晩、現場で一人夜通し水位を見張ったことも一度や二度ではない。今回はそれもできない。ただ音を聞いて、祈るしかなかった。
雷鳴が遠く近く響く中、誠は眠れないまま夜を明かした。
朝、雨は上がっていた。
洗われたような青空の下、村は静けさとは程遠い有様だった。
「うわ、また沈んでる……」
「荷車が動かねえ! 誰か手え貸してくれ!」
村の中央を通る道は、一面が泥濘と化していた。轍という轍に濁った水が溜まり、荷車の車輪が半分沈んで動かない。歩く人々の足も、一歩ごとに長靴を泥に取られている。ある老婆は、水を汲みに出た拍子に転びかけ、隣の男に支えられていた。子供たちは水たまりを避けて跳ねるように歩き、それでも何人かは尻餅をついて泣いていた。誠が視た限り、村のどの区画も似たような有様だった。
見慣れた光景だった。前世でも、こういう朝を何度も見てきた。
だが、誠とミラが手掛けた区画だけは違った。
側溝には濁った水が勢いよく流れ、路面には水たまりがほとんどない。表面こそ湿ってはいるが、足を取られるほどのぬかるみはなく、荷車が普通に行き来している。
「……あれ?」
最初に気づいたのは、水を汲みに来た村人の一人だった。他の場所とあまりに違う地面を、疑うように何度も踏みしめている。
「おい、こっちの道、全然沈まねえぞ!」
声が広がると、人が集まり始めた。
「昨日、あのよそ者とミラが掘ってたとこか」
「側溝があるだけでこんなに違うのか……?」
「嘘だろ、うちの前なんか膝まで浸かったってのに」
「たった一晩でここまで違うもんかね」
「これなら荷運びも楽になる。市場まで運ぶ前に荷が傾いて困ることもなくなるかもしれねえな」
「うちの前もやってもらえねえかな……」
声が重なるたび、人だかりが膨らんでいく。誰もが半信半疑の顔で、乾いた地面と隣の泥濘を何度も見比べていた。中には靴で地面を踏みしめ、本当に沈まないかを確かめる者もいた。
驚きの声の中、テオも人だかりの端に立っていた。腕を組んだまま、何も言わない。
「テオ、お前昨日、物好きとか言って笑ってなかったか」
仲間の一人にそう茶化されると、テオは口をへの字に曲げて黙り込んだ。反論の言葉が出てこないらしい。しばらくして、誰にともなく歩み寄り、側溝の縁にしゃがみ込んだ。流れる水に指先を浸し、無言でその勢いを確かめる。それから何かを振り払うように立ち上がり、仲間の輪へ戻っていった。昨日までの粗野な笑みはもう、その顔になかった。誠はその一連の仕草を、視界の端で見ていた。認めたくない、けれど認めざるを得ない。そんな葛藤が、テオの背中からにじみ出ていた。
「ミラ、これ、お前が掘ったのか?」
村人の一人が声をかけると、ミラは驚いたように目を瞬かせた。土魔法を褒められることに慣れていない反応だった。
「あ……はい、監督と一緒に」
短い返事だったが、その声には昨日までとは違う、わずかな張りがあった。俯きがちだった背筋が、いつの間にか少しだけ伸びている。
「ハンナさん!」
声に振り返ると、水桶を提げたハンナが小走りにやってくるところだった。桶を提げたまま道の様子を見て、目を丸くする。
「本当に……乾いてる。信じられない、いつもならこの時期は桶を運ぶだけで一苦労なのに」
「昨日、少し手を入れただけです」
「少しどころじゃないでしょう」
ハンナは笑って、それから少し目を潤ませた。
「水汲みも洗濯も、この道を何往復もするの。それが楽になるだけで、一日がまるきり違う。こんな朝、久しぶり。ありがとう二人とも」
桶の水面が、朝の光を跳ね返して揺れていた。誠はその何気ない光景に、たった一区画の側溝が誰かの一日を確かに軽くしたのだと実感した。数字では測れない種類の成果だった。
その時、乾いた道を小さな足音が駆けてくるのが聞こえた。振り返ると、足を引きずるようにしながらも、ピノが嬉しそうに水たまりのない道を選んで歩いていた。
「ここ、歩きやすい!」
はしゃいだ声に、周りの大人たちが小さく笑った。数日前、その足首をひねらせたのはこの村の道そのものだった。誠はそのことを思い出しながら、ピノの弾んだ足取りを目で追った。
人だかりの奥から、ドルガがゆっくりと歩いてきた。
杖をつきながら、誠たちの区画を端から端まで、無言で歩いて確かめる。屈み込み、側溝の中を覗き込み、流れる水の勢いを見る。指先で溝の縁の土を軽く押し、崩れないことを確かめるような仕草も見せた。
誠はその様子を黙って見ていた。値踏みではなく、確認だ。この老人は口より先に、自分の手と目で答えを出す質らしい。だとすれば、次に何を言うかも、口先の世辞ではないはずだった。
しばらくして、ドルガは立ち上がった。
誠の方を振り返る。何かを言いかけて、また口を閉じる。値踏みするような、昨日とは質の違う視線だった。
「……ふん」
それだけ言うと、ドルガは村人たちの間を抜けて、自分の家の方へ歩いていった。
誠は、その後ろ姿をしばらく見送った。何も言われなかった。だが、昨日「タダ飯は食わせられん」と切り捨てた時の目とは、明らかに違っていた。
「監督」
ミラが小さな声で呼んだ。
「村長、なんか考えてるみたいだったね」
「そうだな」
誠は短く答えて、乾き始めた側溝の縁に目をやった。水はまだ勢いよく流れている。
雨季はまだ終わっていない。これから先も、こういう夜は何度も来る。だとしたら、村全体をこの状態に持っていくしかない。だが人手も資材も、今のところは誠とミラの二人しかいない。村長が動くとなれば話は変わる。人も金も、多少は融通が利くはずだ。段取りを組み直すには、まず村長の腹を聞く必要がある。誠の頭の中で、次の段取りがゆっくりと形を取り始めていた。
その日の午後、ドルガが誠のもとを訪ねてきた。
次回の更新は、7月16日 12:10を予定しています。
【お願い】
もし面白かったら、下のブックマーク(★)や評価で応援いただけると非常に励みになります!
(ブックマークは下の「ブックマークに追加」ボタンからお願いします)
【本作品のAI利用について】
本作品は「小説家になろう」の規定に基づき、生成AIを執筆・構成の補助として使用しております。
※本作品は「カクヨム」様にも掲載しております。
(ブックマークは下の「ブックマークに追加」ボタンからお願いします)




